2019年9月の文化祭で会誌に掲載した内容であり、時事は当時に準拠しております。
3.1ヨーロッパ
3.1.1イギリス
言わずと知れた近代競馬発祥国。
古代ギリシャ時代から存在した娯楽を制度化・体系化し、現在世界各地で行われる競馬の礎が作られた。この地では貴族が自らの所有馬の優秀さを他に見せつけるためにレースが行われており、はじめはマッチレース(1対1で1回行われる対決)、ヒートレース(同じ組み合わせの馬でのレースを複数回行い、勝ち回数の多い馬を優勝とするレース、僅差勝ちであると当該レースを勝ちにカウントせず、これが「デッドヒート」の語源である)などが主流であったが、ブックメーカー(日本では違法、ノミ屋と呼ばれる。馬券に対する払い戻し倍率を決定して販売する賭け屋)による馬券発売に相まってステークスレース(出走馬の馬主が金を出し合い、上位入着馬の馬主がこの金を賞金として獲得するレース方式)が盛んにおこなわれるようになった。
またクラシックレースというレース体系が作られ、牡馬は「2000ギニー(日本でいう皐月賞)」「ダービー(日本でいう東京優駿・日本ダービー)」「セントレジャー(日本でいう菊花賞)」、牝馬は「1000ギニー(日本でいう桜花賞)」「オークス(日本でいう優駿牝馬)」「セントレジャー」という「三冠」レースが作られた。
特に「ダービー」は三歳馬が生涯に一度だけ出走できる競馬界最高峰のレースで、優勝馬の栄誉は「一国の宰相になるよりも難しい」と例えられるほど。世界中でこれを模範にしたレースが行われ、各国の馬はその国のダービーに勝つために生産されるといっても過言ではない。ダービーに勝てる血統が主流血統となり、ダービーの条件が求められる能力に反映される…ともかくそれ程に重要なレースなのである。
また障害競走も人気で、「グランドナショナル」はダービー以上の人気を持ち、馬券発売は国内最高額、年によっては日本の有馬記念を上回るという。現在でも高い人気を持ち、国内ではサッカーに続く観客動員数(年間約600万人)を誇るスポーツである貴族のたしなみであった競馬スタイルは残っており、あのエリザベス女王も馬主として活動している。
毎年6月にはロイヤルアスコット開催という王室主催の競馬があり、その期間には数々のビッグレースが組まれている。エリザベス女王はウィンザー城から馬車で30分ほどかけて競馬場へ臨席、優勝馬の馬主には直接トロフィーを贈呈する。ゴルフ・テニスの全英オープンと並ぶ盛り上がりを見せる一大イベント。ここではドレス・コードも厳格で、毎年公式のファッション・ブックが作られるほど。また、絵画や文学など芸術の題材としても競馬は人々の生活に深くかかわり、元障害競走騎手のディック・フランシスは英国推理作家協会会長を務めたほか、エドガー賞を受賞するなど数々の競馬小説を残している。
また、将来ジョッキーを目指す子供たちはポニー競馬に騎乗し腕を磨く。名門国立大学に馬学部やサラブレッド産業についての研究室があるなど、発祥国らしく人との密接なかかわりがある。
3.1.2アイルランド
イギリス同様にアマチュア競馬が盛んである。
障害競走発祥の地とされ、平地競走の1.5倍のレース数と大変な人気を誇る。
馬券発売は日本と同じく国が許可した機関が行っている。
サラブレッドの生産が非常に盛んで、地理的に近いイギリスで出走する馬もアイルランドで生産されていることが多い。世界的に有力な競馬組織・クールモアやゴドルフィンが本拠地の牧場を置くのもここ。
2000年以降のイギリスダービー勝ち馬20頭のうち過半数の11頭はアイルランド産馬。この背景には、種牡馬(お父さん馬)種付け料が非課税だったことがあげられる。2008年をもってこの制度は撤廃され、課税対象となったが、現在でも世界のスター種牡馬が集結する土地となっている。
3.1.3フランス
この国で行われるレースで最も有名なのは「凱旋門賞」だろう。第一次世界大戦からの復興を掲げて始まったレースで、昔は「馬場が偏っていて、勝つと逆に価値が下がる(フランスの変な馬場で勝つ馬は、逆にイギリスの良い馬場で負けてしまう)」などと言われたローカルレースであったが、馬場造園技術の進歩と賞金の充実でヨーロッパ最高峰のレースにまで価値を上げた。
この国の競馬はイギリス大使による英国貴族文化の「輸入」のような形で始められ、フランス革命によって一度中止するも、ナポレオン・ボナパルトが優れた軍馬の育成を目的に再興している。
現在は国が許可した団体のみが馬券発売を行っている。
特徴としては、速歩競走が非常に盛んなことがあげられ、騎手が乗ったうえで、通常の競馬での走法(襲歩・ギャロップ)で走らず、3番目に早い走法で競う「速歩競走」と、騎手が乗った台車を引いて競う「繋駕速歩競走」に分けられる。これに使用する馬はサラブレッドではなくやや小柄なトロッター種などで、アマチュア騎手による競走も盛んであるほか、この競走用のグレードも存在する。
見習い騎手も多くの騎乗機会があり、昨年のフランス全国リーディングジョッキー(最多勝利騎手)は見習い女性騎手のミカエル・ミシェル(今年、ワールドオールスタージョッキーズで来日)であった。
3.1.4ドイツ
この国も、イギリスから馬を輸入して競馬がスタートされた。第二次世界大戦で壊滅的な被害を受けるも、速歩競走を中心に盛り上がりを見せている。
馬券発売は、ブックメーカーによるものと国が許可した機関によるものの双方が認められている。
また、馬名を母馬と同じイニシャルにするという規則がある。
ドイツ競馬は重くパワーの必要な芝を特徴としていて、ドイツ産馬もそれに伴ってパワーがあるのが特徴的だ。デインドリームやノヴェリスト(現在日本で種牡馬生活を行っている)など、イギリスやフランスのヨーロッパ最高峰のG1レースを勝利する馬も出てきており、生産馬のレベルも確実に上昇している。ただ、この「重い芝」がネックとなり馬場のガラパゴス化(他国の馬場状態とかけ離れすぎている状態)が続いており、国内の海外馬参戦可能レースに海外馬が参戦しない、という状態が長く続き、レースの格が低下している。
例えば、ドイツ競馬界では最高峰の「ドイツ版ダービー」ドイチェスダービーはG1からG2へと格下げの危機にあることを国際組織から通告されている。ちなみに日本は逆で、「馬場が軽すぎて」海外馬が来ない状態になっている。明日は我が身、の精神でこの事態を受け止めるべきなのだ。
3.1.5イタリア
古代ローマの時代から、繋駕速歩競走の元となった馬に戦車を曳かせる競馬があり、祭りの中で草競馬大会が行われるなど競馬の土壌は出来ていた。
イギリスから制度も輸入し近代競馬がスタートし、「ドルメロの魔術師」こと伝説的馬産家フェデリコ・テシオやジュゼッペ・デ・モンテルたちによりネアルコやリボー、オルテッロなど数々の名馬が生産された。
国内では速歩競走が盛んで、競馬場の半分はこれ専用のもの。
ブックメーカーによるものと国認定の機関によるもの、双方の馬券発売がある。
また、イタリア競馬を語るうえで外せないのは近年の経営問題だろう。経営悪化による賞金40%カットを発表すると、関係者によるストライキが発生、競馬開催が中止に。その後は賞金支払いが滞納され、レースに勝っても所得税だけ引かれ、肝心の賞金が支払われない異常事態に。これにより名騎手もほとんどが海外に流出。現在、世界最高の騎手とも評されるランフランコ・デットーリや日本でも活躍するミルコ、クリスチャンのデムーロ兄弟やウンベルト・リスポリ、ダリオ・バルジュー、ニコラ・ピンナなどはフランス、日本、香港…世界各国に散らばってしまった。
賞金が支払われないとなれば海外からの遠征馬も来ず、レースレベルは下がる一方。ついに今年、フェデリコ・テシオの妻の名を冠したリディア・テシオ賞がG2に降格し、イタリア競馬からG1は消滅した。斜陽のイタリア競馬、再び陽の目を見ることはあるのだろうか…注目したい。
3.2南北アメリカ
3.2.1アメリカ合衆国
イギリス植民地時代に持ち込まれた競馬は、馬という動物が西部開拓時代に人間のパートナーで身近な存在であったために各地で大流行し、禁止法が出されるほどの大変な盛り上がりを見せた。南北戦争を挟んでもこの発展は続き、ケンタッキー州は芝の名称になるほど良質な牧草の産地として知られ、ヨーロッパで出走する馬もアメリカから輸出されることも多かった。現在でも世界一のサラブレッド生産頭数を誇る。
競馬場はすべて人工で左回りのものであり、小回りコースがほとんどである。日本に比べるとビッグレースではダート競走が中心で、アメリカクラシック三冠「ケンタッキーダービー(優勝馬にはバラのレイがかけられるため、ラン・フォー・ザ・ローゼスとも、国民的イベントのため、スポーツの中で最も偉大な二分間とも呼ばれる)」、「プリークネスステークス」、「ベルモントステークス」もすべてダート競走。また、長距離レースが少なく、欧州と比べると短距離傾向化が顕著である。
各競馬場はそれぞれ独立した会社によって運営されており、馬券発売もそれぞれの会社による。経営も独立しているため、スポンサーのやりくりなどで高額賞金レースを運営し、「ペガサスワールドカップ」などは2018年、総賞金1200ドル(約13億円)を誇った。
3.2.2カナダ
この国もイギリス植民地時代にスタート。
第一次世界大戦後にブックメーカーは廃止され、現在は国が許可した機関のみが馬券発売を行っている。
最大のレース・クイーンズプレートは1860年創設で、現存のサラブレッド競走としては北米最古の歴史を持つとされる。
馬産頭数は少ないものの、「カナダ競馬の父」とも呼ばれる実業家のE.Pテイラーなどによってノーザンダンサー(カナダ産馬として初のケンタッキーダービー制覇、アメリカクラシック二冠を達成、種牡馬としては20世紀最大の成功を収め、カナダスポーツ殿堂に人間以外として唯一の選出)、ニジンスキー(現在までに最後のイギリスクラシック三冠馬、産駒に「神の馬」ラムタラなど、ノーザンダンサーの直仔として隆盛に貢献)など数々の名馬を輩出。地理的にアメリカに近いこともあり、多くの生産場がアメリカでレースキャリアを送る。
3.2.3南米もともと、南アメリカに馬はいなかった。コロンブスによってはじめて持ち込まれ、サラブレッドが持ち込まれたのはアメリカ大使によるものであった。アメリカから競馬制度が輸入され、現在ではアルゼンチン、ウルグアイ、チリ、ブラジル、ペルーなどで開催されている。
アルゼンチン、ウルグアイ、チリは19世紀から、ブラジル・ペルーは20世紀中盤からと歴史は浅い。ただ人馬のレベルは極めて高く、2005年に無敗のウルグアイ三冠馬になったインヴァソールはアメリカでブリーダーズカップ・クラシックを制し、日本で菊花賞・有馬記念を制したサトノダイヤモンドの母・マルペンサはアルゼンチンでG1を三勝。競馬場は人工のものがほとんどなので、芝も固く日本競馬の傾向に合うのではと、南米産馬は近年注目の血統。
日本でも活躍する「雷神」「マジックマン」ことジョアン・モレイラ騎手はブラジル出身で、母国のレベルの高さを物語っている。
3.3アジア
3.3.1香港
イギリス植民地時代にポニー競馬が行われていたが、サラブレッドが使用されるようになったのは第二次世界大戦以降。
中国では賭博行為自体が禁止されているが、香港は特別行政区のため、許可された団体のみが馬券発売を行っている。
生産馬のほとんどがオーストラリアなどオセアニア産馬で、100%輸入に頼っている。シャティン競馬場に付属する厩舎は近年リニューアルが行われ、レベルと賞金額の上昇に伴いヨーロッパやオセアニア、南アフリカから多数の優れた人馬が香港に集っている。
馬の使用頻度が極端に多いことが特徴で、厳しいローテーションに耐えられる牡馬・去勢された騙馬が大半を占める。潤沢な資金を元手に高額賞金レースが多数開催されていて、地理的に近いこともあり日本馬の遠征もたびたび行われる。
そして、香港で最近たびたび取沙汰されているのは逃亡犯条例をめぐるデモ活動だろう。もともと香港競馬は、高温になる7月後半から9月にかけては開催が行われず、政府が条例中止をアナウンスしたことでいったんは事態収束に向かうだろうが…香港で日本のビッグレースの馬券発売を行うなど日本競馬との関係も深いだけに、是非とも無事に競馬が開催されてほしい。
3.3.2中東
多くの国で馬券発売自体が行われていない。イスラム教国であるために賭け事は禁じられており、レースの賞金は馬主からの登録料やチケット代、スポンサー代で賄われている。
ドバイの首長であり、アラブ首長国連邦の副大統領・首相を務めるシェイク・モハメド殿下は世界最大の競走馬生産団体・ダーレー(ゴドルフィン)のトップ。その兄のハムダン殿下はドバイの副首長であり、シャドウェルファームなどで数々の名馬を生産。サウジアラビア初代国王の甥にあたるアブドゥラ殿下はジュドモントファームで数々の名馬を生産。カタール首長の弟・ジョアン殿下はアルシャカブレーシングとして数々の名馬を所有。そのいとこのファハド殿下はカタールレーシングとして数々の名馬を所有。イスラム教シーア派の一派におけるトップであるアガ・カーン4世はアガ・カーンスタッドとしてこれまた数々の名馬を生産…今や世界中の競馬会は中東の王族たちに席巻されている。
なぜ、彼らがオイルマネーをこれほどまでに競馬産業に費やすのだろうか。それは、サラブレッドの元となったアラブ種、ターク、バルブ種が中東原産の品種だからである。アラブ種は中東で厳格な品種改良の元、速く、美しく作り上げてきた馬であり、このビジネスにおいて西洋の貴族に負けていられないのである。
毎年3月末に賞金約10億円と世界最高額を誇るドバイワールドカップとその他高額賞金競走を合わせたドバイワールドカップカーニバルが行われ、欧州に比べると近い地理的要因からも、日本調教馬が多く参戦している(本校OB矢作芳人調教師は2016年リアルスティールでこの中のドバイターフを制しています!)。
3.4オセアニア
3.4.1オーストラリア
イギリス植民地時代に始まった競馬。
開拓時代も相まって、馬は人々にとって非常に身近な家畜になった。
広大な国土には、ビッグレースを行う所だけではなく、小規模なレースを行う所まで数多くの競馬場が存在。そのため、サラブレッドの生産頭数はアメリカに次いで世界二位、馬券発売額も、近年イギリスを抜いて日本に次ぐ世界第二位(そもそもギャンブル好きな国民性で、「世界一の賭博好き」とも評される)。れっきとした競馬大国なのである。
とくに毎年11月に行われる「メルボルンカップ(都市圏は祝日となり、国の動きを止めるレースとも呼ばれる)」は有名。他にも「コックスプレート」や「コーフィールドカップ」、「ジ・エベレスト(賞金総額約9億円、芝の世界最高賞金額レース)」、「ジ・オールスターマイル」など高額賞金レースが目白押し。シドニー、メルボルン、クイーンズランドなど各地域が競争することでより競馬が面白くなる良い循環が生まれている。
ヨーロッパからの遠征馬も多く、日本も参考にすべき。また、これはニュージーランドにも言えることだが、北半球の春に北半球で、北半球の秋(南半球の春)に南半球で種付けを行う種牡馬スタイルを「シャトル種牡馬」といい、日本繁用馬もこれに使用されている。
香港に馬を輸出している第一国で、この国も去勢大国。間隔を詰めた過酷なローテーションが特徴。
人工の競馬場で芝中心なので日本からの遠征馬で活躍したケース、日本から移籍してオーストラリアでセカンドブレイクを果たしたケースも多い。
3.4.2ニュージーランド
キリスト教伝来とともに馬が持ち込まれ、ここもイギリス植民地時代に競馬が広まった。
現在、北島では通常の襲歩による競走が、南島では繋駕速歩競走が人気。北島のワイカトは「ニュージーランドのケンタッキー」と称されるほど馬産が盛んで、隣国のオーストラリアへの輸出がなされるケースも多い。
また、1989年のジャパンカップでオグリキャップと壮絶な叩き合いを演じ、芝2400Mの2分22秒2という当時世界レコードを保持していたホーリックスなど、海外遠征で活躍するニュージーランド産馬も多い。
2018-2019シーズンはママさん騎手のリサ・オールプレスがリーディングジョッキーになるなど、女性騎手の活躍も多い。
3.5南アフリカ
こちらもイギリス植民地時代に競馬がスタート。現在では隣接するジンバブエの競馬も管理しており、競馬のレベル自体はなかなか高い(日本産馬で2014年にGⅠ・朝日杯フューチュリティステークスを制したダノンプラチナも現在南アフリカで種牡馬生活を送っています)。
三冠路線も整備されているのだが…いかんせん治安が安定せず、近年は有力な人馬の流出が激しい。今年は、実績・手腕ともに南アフリカ最高の調教師といっていいマイク・デコック師がオーストラリアへの本拠地移転を発表。
決して八百長などが起こってはいけない高いレベルの治安とモラルを必要とするスポーツなだけに、この国ではまだまだ課題が多そうだ。