木を褒めること | 光の記憶 魂の記憶 まさよのブログ

光の記憶 魂の記憶 まさよのブログ

不思議なこと、光のこと、愛のこと 神さま綴り 

「神社の木に触れたらいけないのですか」とご質問がありました。

神社の御神木には、何百年とか 時に何千年という樹齢の古い木が

多くありますね。 御神木は神のよりしろだと思われているので

殆どの場合 柵を作って人が近づけないようにしている場合が多い

かと思いますので、柵を乗り越えて触る人はまずいないとは思います。

神社の木でなくても大きな古木は、凛としていて神々しさを感じますね。

木も生きておりますので、大きくはみ出した状態で生命があります。

それをオーラという人もいるかも知れませんが、人や 動物にも感情が

あるように 動き回らない生命にも感情はあります。


皆さん大きな木をみて何を思われますか?

木に触れる方は何を思われて触れますか?


木は人が多く集まるところに生えている木と 人が近づかない山の

奥に生えている木では その意識は全く違います。

動物も飼われているものと 野生のものでは違うように木々も

それぞれに違うのです。

人慣れと表現をしてよいかわかりませんが、人慣れしていない木は

人を拒む場合が多く、そういう木はとても冷たく感じるので、木を怖い

と思う時があります。

そういう場合、わたしはそこの木には近づかないように致します。


わたしが大好きな「せせらぎ公園」は、とても小さな公園ですが

夏には小さい子どもが水浴びしてはしゃぐ声が響いています。

そこに生えている木はとても穏やかで夏は木陰を作り 冬は

木漏れ日を注いでいる事を どこか誇らしげに感じるので

わたしはその木々たちの側に寄る事が大好きです。

けれど公園の一本道を挟んだ 小高い山の斜面に生えている木は

あまり人が近づかない事もあり、穏やかとは言いがたいのです。


神社や 公園の木 街路樹は人慣れしておりますので、人が

好きだったり、人に愛でられる事に喜びを感じている場合が多く

犬の散歩をしていたりすると、木と意識が合う場合がよくあります。

そういう時 木は気付いてくれた事にうれしそうにしますので、わたしは

声に出せない時でも心の中で褒めます。

「きれいですね」とか「ありがとう」と声を掛けると木は更に嬉しそうに

喜びのエネルギーへと変わります。

むやみやたらに木をみて声を掛ける必要はありませんが、ふと見上げ

たとき 目に付いた葉っぱや花 木がきれいだなぁとか、夏は木陰で

ありがたいなぁ、冬は木漏れ日が温かいなぁと思う時は、その木と

意識が合っている場合が殆どですので、そういう時は心の中で思う

事も良いですが、木に話しかけて頂けたら 木は自ら幸せの

エネルギーに包まれていきます。

それは触れていても 触れていなくても同じで、その近くにいる人を

優しいエネルギーで包み込むので、人も心静かに穏やかになります。



先日 犬の散歩をしていて、近所の街路樹の一本の木と意識が合って

見上げると 赤と 黄色 緑の三色の葉っぱが付いている事に気付き

「三色できれいですね。みせてくれて有難う」と話しかけました。

公園のさざんかが きれいなお花を咲かせていたので「ピンクのお花

きれいだなぁ」と声を掛けました。

古木で大きな木と意識が合った場合 木は人よりも遥かに長い命を

生きて来たのですから、敬意を持って「すごいですね、立派ですね、

どうぞいつまでも健やかにおられて下さいませ」とお伝え致します。 

人がいて恥ずかしい場合は 心で会話を致します。 

木も人に褒められる事が大好きなのです。


木に触れる方は 何を思われて触れますか

パワーとか何かを頂くつもりで触れるよりも その木を労わる気持ちで 

どうぞ心で触れてあげてくださいね。


わたしは動物でも 植物でも褒めるようにしております。

我が家にいらっしゃる方が口を揃えて言われる事に「植物が

生き生きしていますね」と言われます。

でもわたしはお水しかあげていないのですが10年以上も 

頑張っている植物が沢山あります。 

お水しかあげない家主ですが 「エライねすごいね頑張っているね」

そう言いながらお水をあげております。


我が家の犬や猫も 大して賢い訳ではないのですが、ご飯を食べて

エライね。 おしっこしてエライねと日に何度も褒められます。

外で他所のワンちゃんと出会う時も「エライね お利口さんだね」と

声を掛けます。

そうすると犬も幸せオーラ 愛のオーラに満たされるのです。



わたし達は、この身体に神さまをお預かりしておりますので

木も 動物も 植物も あなたという神さまに褒められる事が、

何より嬉しいのです。

あなたも誰かに褒められる事は、あなたの神さまが喜びで震える

のです。

でも人は 動物や木々と違うところは、自分で自分の神さまを

満たせす事が出来るのです。

他の誰かに褒められるよりも あなたがご自分を褒めてくれた方が

あなたの神さまが数倍も百倍も喜ぶのです。

「エライね、頑張っているね。知っているよあなたの事を 誰よりも

知っているよ。誰よりも愛しているよ」 そう言葉にして ご自分を

神さまを喜ばせてあげて下さいね。

141110_0811~01.jpg
町内の緑地帯の木々です。 人がランニングしていたり 犬の散歩を

している人が木々の下を行き来しています。

141105_0742~03.jpg
犬のゲージでおしっこする困ったみかんですが、それでもエライねって

褒めてもらえるみかんです。









遠くからSさんがいらして下さいました。

ご両親も Sさん家族も宗教に入られていて、止めようかどうしようかと

悩まれておりました。

きっと止めたらご両親は心配されるでしょうし、止めた事で何か

悪い事が起こるかも知れないと気を揉むのならば、それは

とても切ないことでしょう。

信じているとか もう信じていないは関係なく そのままでいる事が

一番だとわたしは思います。

宗教に入る事で心の拠り所になるのならば、それはとても良い事だと

思いますが、やっかいなのは止めたらこうなるよとかご先祖が成仏

出来ないよと脅す事は、どうにかならないかなぁといつも思います。 


宗教に入っているから 毎月拝んでいるからご先祖さんが喜んでいる

と思われている方が多いのかも知れませんね。
 
又は永代供養をお願いしているから 先祖供養は大丈夫だと安心

されている方もいらっしゃるかも知れません。

でも本当にそれでご先祖さんが満足しているのならば、見ず知らずの

わたしのところにいらして 嘆く事などしないでしょう。

形式的な事で 事務的な事で拝まれても ご先祖さんはうれしくは

ないのかも知れません。

今の時代 遠くてお墓参りに行けないから 誰かに任せていたり

する事も多いでしょう。 

それは決していけないことではありません。

でもね宗教先にお願いしているから、永代供養をしているからと供養を

人任せにしたとしても、どうぞ心の部分まで人任せにしないで

下さいね。

ご先祖さまは形式的な事よりも 生きている人の思いに子孫の思いに

触れて安らかなのです。

「お墓参りに行けなくてすみません」 そう思いだして下さる事が、

想いを馳せて下さることが何よりうれしいのです。

ほんの些細なことですけれどね、そんな些細な事がご先祖さんは

うれしいのです。


家族の事を見ましたが、最後に飼っているワンちゃんを見た時

息子さんと嬉しそうにお散歩をしている姿が視えてきました。

息子さんとの散歩はうれしいみたいですが、娘さんがお散歩すると

グィッって何度も引っ張る姿が見えてきて「厳しい」と伝えて来ました。

息子さんは わんちゃんの意に添うようにお散歩してくれるの

でしょうね、だからやっぱり息子さんに一番懐いていて 娘さんと

散歩から帰ると、もう不満が溢れていて、気持ちがわかっていないと 

ワンちゃんはイライラするのかも知れません。

飼っているペットを視させて頂くと 可笑しかったり時に涙したりで

人の言葉を話さないだけで、何もかもお見通しなのだと思います。




どうして犬の足の裏は香ばしい 美味しそうな匂いがするのしょう。

141107_1002~02.jpg
いちごと うりの匂いは微妙に違っていて、いちごは枝豆で

うりはとうもろこしのような匂いがします。
141107_1003~01.jpg




今日の夕方 北海道に着きました。

仙台を出発する時 太陽がいつもよりも温かく眩しく感じて

何故だか初めて光を視た時を 光の声を聞いた時を思い出して

しまい、思わず涙が溢れてきました。

「神さま わたしはあの頃と同じですか?」

「あなたに恥じないわたしでおりますか?」

そう問うてみたら またぽろぽろと涙がこぼれてきました。

雲の上から彩雲が見れました。

いつも空を見上げてみる彩雲ですが、飛行機の中から

雲の上に彩雲を見れることを初めて知りました。



141121_1606~01.jpg
北海道に着いたらもうすぐ日が暮れそうでした。

どこかに行きたいとか 美味しいものを食べたいとか思わなくて

住み慣れた仙台が落ち着くので 明日講座が終わったら夕方の便で

仙台に帰ります。


長くなりました。 夜遅くに更新してごめんなさい。

眠くて文章が支離滅裂かも知れません

秋田のTさん ご質問のお返事少しだけお待ちくださいね。