はじめまして。このブログは、簡単・そしてわかりやすい歴史を社会科講師として中学・高校受験で指導した経験をもとに、書き記そうというものです。(まぁそれだけではネタ切れしそうなので趣味の話もしつつ・・・)
まず注意書きをば、
このブログ(歴史関係の記事)は、歴史マニア・史学専攻の方、もっと言えば高校で日本史Bを履修したばかりの方向けではございません!!お帰り下さい!!!!!!!
あくまで歴史の概要を知りたい方向けですのでご承知下さい。
では本題に入る前に歴史基礎知識をば・・・
~歴史基礎知識~
①よく使う略称(C、BC、AD)
簡潔に
C→世紀(Century)
BC→紀元前(Before Christ = イエス・キリスト(が産まれる)よりも前 )
AD→紀元後(anno Domini = 主(=イエス・キリスト)の年(以後))
世紀とは、西暦の下2桁が01~00までの100年間を一括りにしたもの。
イエス・キリストの生誕の翌年を紀元として(つまり西暦1年)それより前は紀元前、西暦1年以降を紀元後という。
ーー以下余談ーー
詳しい略称の話をする前に、皆さんは「世界の中心はどこ?」と問われたらどう答えますか?
アメリカ?中国?ロシア?それともイギリス?
どの分野の話をするかによってその答えは変わってくると思います。
たとえば経済の話をするなら中国あたりがでてくるでしょうが、やはり総合的にみればアメリカが妥当でしょう。
そんなアメリカですが、できたのは比較的最近です。コロンブスがアメリカ大陸に上陸したのは1492年
それまでアメリカ大陸にはいわゆる文明人は存在しませんでした。
コロンブスがアメリカを発見した経緯や、なぜインドを探していたのか
(実際コロンブスはアメリカ大陸を発見した際インドと勘違いしている→だからアメリカの先住民はインディアンとも言う)
などは大航海時代についての回でお話いたします。
話が飛びました。アメリカの国家としての成立は1776年。今からたったの250年ほど前なんです。日本でいうと江戸時代
じゃあ歴史的に見て世界の中心はどこかといえば、それはヨーロッパです。
それはいつからかと言えば、むかしむか~し、そのまた昔、ギリシャ神話の話です。
(考古学的調査によると今から3200年以上前)
現在のトルコのあたりにあった、トロイアという国とギリシャの古代都市、ミケーネの戦いであるトロイア戦争
そこで使われた戦略であるトロイの木馬などは、みなさんも聞き覚えがあるのではないでしょうか。
トロイの木馬(トロイアの木馬)
トロイア戦争は、トロイアの優勢で進んでいました。
ミケーネは遠征でトロイアまで来ており、厳しい戦いを強いられていました。
そこでミケーネは、巨大な木馬をつくって人を忍ばせ、自分たちの陣営を焼き払いました。
トロイアはミケーネの陣営に人がいない事に気づいて駆けつけます。
そこに唯一人残っていたミケーネ人を拷問すると、
「ミケーネはギリシャへ帰った。この木馬は神の怒りを鎮めるためのものだ。この木馬が(トロイアの)城内に入るとミケーネは負けると予言されている」
などと言うので、トロイア人は(トロイアの)城内に木馬を引き入れ、宴会をして戦勝を祝います。
ですがそれは罠で、皆が寝静まったころに木馬からミケーネ人が出てきて暴れ、トロイアは反撃もろくにできず滅亡しました。
→wiki参照( https://ja.wikipedia.org/wiki/トロイアの木馬 )
ここで負けたトロイア人の生き残りであるアイネイアースがイタリア半島にやってきて作った国家が王政ローマです。
その後ローマは大きくなり、共和制ローマ、帝政ローマとその領地を増やしていきます。
ローマではユダヤ教が浸透します。そもそもまだキリスト教やイスラム教などは存在しません。
そんなユダヤ教に違和感を覚えたのがイエス・キリストです。
イエスは独自の布教を行います。ただそれはあくまでユダヤ教がもとです。
だからユダヤ教の聖典は旧約聖書でキリスト教の聖典は新約聖書なのです。
はじめこそ迫害されますが、その後キリスト教は宗派を分かちつつ世界規模に拡大していきます。
キリスト教がその勢力を大きく拡げたのが、大航海時代と宗教改革です。
通商によって世界各国とのキョリが縮まったこと。そして宗教改革で、キリスト教の一大一派であるカトリック(ローマ教皇などもここの宗派)
が新興のプロテスタントと対立し、焦ったカトリックが各国(特にアジア圏)に布教をはじめたこと。
みんな大好きフランシスコ=ザビエルが日本に来たのもこのような理由です。
世界宗教と民族宗教という言葉があります。世界宗教は民族に固執せず各地で信仰されているもの。
(キリスト教やイスラム教、仏教や高校倫理で習うゾロアスター教もこれに当てはまります)
民族宗教は神道やユダヤ教といった民族と密接につながっているもの。
話はここで戻ります。
紀元前後の考えは西暦が前提です。
その西暦はキリスト教圏の考え方です。だって西暦って西洋暦の略ですし・・・
イスラム教などでは勿論考え方が違います。
ここでつっこみが入ると思います。
「日本はキリスト教じゃねーーーーよ!!!!」
日本はキリスト教国家ではないですが、キリスト教国家である西洋の色濃い影響を2度も受けています。
1つは文明開化、明治時代の急速な西洋化です。ここで西暦が日本にも導入されます。
西暦と和暦ってありますよね。
西暦は2020年のようなもの、和暦は令和2年のようなもの。
西暦は太陽暦というもので、太陽の動きをもとにしてつくられた暦。
地球が太陽のまわりを一周するのって約1年ですよね。
和暦は、西暦が導入されるまで日本で使用されていたもので、これは古代に中国から輸入したものになります。
和暦は太陰太陽暦がもとで(現在使われているものは西暦にあわせたものです)
太陽の動きに加え、月の満ち欠けも考慮した暦です。特徴としては閏月があります。現在日本にあるのは閏年ですよね。
閏月、歴史上にもでてくるので、それはその回で・・・
もう1つは戦後改革。第二次世界大戦で敗戦を喫した日本は、戦勝国である欧米によって占領され、そこで教育なども一層西洋化が図られ、西暦などが定着します。
日本の歴史で紀元前後など西暦の考えが使われるのはこうした理由です。
以上長くなりましたが歴史基礎知識①でした。思いつく限りやります。。。
ついでに見ておわかりのように解説(の量)が偏る場合がありますのでご承知ください。
参考文献は小難しい話とか解釈が大きく分かれることを書いた時は載せようと思います。
長くなりました、ここまで読んでいただきありがとうございました。