平成ヒット曲集[中3選曲] 第九回 1992年① | とある中3の平成名曲ブログ〜だけど内容がかたよってる〜

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YAH YAH YAH CHAGE and ASKA

『YAH YAH YAH/夢の番人』(ヤー・ヤー・ヤー/ゆめのばんにん)は、CHAGE and ASKAの33枚目(オリジナルでは31枚目)のシングル。1993年3月3日発売。『SAY YES』で大ブレイクを果たして以降、セールス的に大ヒットを飛ばし続けていたCHAGE and ASKA。本作も同様にフジテレビ系列のテレビドラマ主題歌となり発売前から話題になっていた。発売日までに70万枚を出荷し、発売日のうちに30万枚の追加注文があった。また、テレビドラマ内での100枚のCDプレゼントに約17万人の応募が殺到した。オリコンチャート初登場1位を獲得、初動売上は当時『君がいるだけで/愛してる』(米米CLUB)に次いで歴代2位であった。当時全盛期であったビーイングブームの背景から通算で2週のみの1位獲得となっているものの、その中でも上位をキープし続けてグループ通算3作目のミリオンセラーを達成、更に『SAY YES』以来2作目のダブルミリオンの大ヒットとなった。同一アーティストによる2作以上のシングルのダブルミリオン達成はオリコン史上初の快挙であり、2011年現在でもこの記録を達成しているのはCHAGE and ASKAとMr.Childrenのみである。『YAH YAH YAH』は、2002年のセルフカヴァーアルバム『STAMP』にも収録されたが、こちらのバージョンでは若干ロック色が抑えられ、序盤のメロでキーが1オクターブ下げられるなどのアレンジがされている。2004年4月17日にリマスタリングが施され『SEAMLESS SINGLES』の4曲目に収録された。公式には『YAH YAH YAH』の単独A面として扱われることもあるが、オリコンチャートでは『夢の番人』とも両A面表記がされるなど両A面表記で通用されている。また、このシングルにはジャケットの違う限定盤が存在しており、そのCDジャケットは両A面を強調した表面が『YAH YAH YAH』・裏面が『夢の番人』とそれぞれ大きく書かれたものであった。また、c/wにはこの2曲と別に『君はなにも知らないまま』が収録されており、8cmシングルが流通していた当時の規格としては珍しくカラオケトラックは収録されず、更にタイトルのほかc/w曲が2曲以上収録されているシングルである。しかしカセットシングルにはカラオケトラックは収録されていた。また同曲の発売から20年近く経った現在も、日本の高校野球や全国高校サッカー選手権などでは、各校の吹奏楽部が応援歌としてしばしば使用されている。

フジテレビ系ドラマ『振り返れば奴がいる』主題歌。 2009年にはキリンビール『淡麗ダブル』のCMソングに起用された。 デモの時点での仮タイトルは「GUYS II」であった。
愛のままにわがままに 僕は君だけを傷つけない B'z

『愛のままにわがままに 僕は君だけを傷つけない』(あいのままにわがままに ぼくはきみだけをきずつけない)は、B'zの1993年3月17日発売の12作目のシングル。B'z最大のヒットシングルであり、シングルでは唯一オリコン週間シングルチャートで4週連続1位を獲得した。また、発売されてから10年後の2003年に再発盤との合算で累計売上202.1万枚となり、シングルでは唯一200万枚を突破した。年間チャートもシングルでは自身最高となる2位を記録。当時はビーイング系列の売上を伸ばしたビーイングブームだったこともあり、1993年度オリコン年間1位を獲得した「YAH YAH YAH/夢の番人」(CHAGE and ASKA)の勢いを2週間で止め、1993年3月29日付のオリコンチャートでは本作が1位となった。本作を皮切りにビーイング系列のシングルは同年7月26日付のオリコンチャートまで18週連続で1位を独占した。2003年3月26日に34thシングル「IT'S SHOWTIME!!」と他のB'zの過去のシングル10作(4thシングル「BE THERE」- 13thシングル「裸足の女神」)と共に再発売(リマスタリング、12cm化)され、2003年4月7日付けオリコン週間シングルチャートでは再発売シングル10作が上位を占め(本作は5位)、トップ10中9タイトルを独占した。オリコンシングルチャート1位獲得作品の中で最も曲名が長い作品である。稲葉によると当初の表記は『愛のままにわがままに』だけだったらしいが、周りの「もっとインパクトが欲しい」とのリクエストでこのようになった。稲葉は会報で「いつかこれくらい長い曲名の曲を作りたい」と語っているが、現在まで実現していない。


ロード THE 虎舞竜


「ロード」は、THE 虎舞竜の1993年1月21日のシングル。第1章はシングル発売後有線放送から話題となり、220万枚を売り上げた。全部で13章あり、第3章までの累計で335万枚を売り上げた。TBS系で放送されていた「テレビ近未来研究所」のエンディング曲でもあった。また、1996年には同曲をもとに映画も製作された。恋人を突然の交通事故で失った男性の哀しみを歌った、実話を元にした楽曲である。2006年にはギターの本間敏之の地元である静岡県の飲酒運転追放キャンペーンCMとしてこの曲が使われた。

1987年の冬、当時の「TROUBLE」のファンである一人の少女(当時19歳)から、ボーカルの高橋ジョージの元に届けられたファンレターが、楽曲「ロード」誕生のきっかけである。その手紙は、「現在子供を妊娠していて、相手の彼はバツ1で一児の父。しかし『もう子供はいらない』と言っている。彼にどう打ち明けたら良いのか」という相談の内容であった。その後、春に出産することになったが、その春を迎える前に彼女が交通事故で胎児と共に死亡してしまった。これを知らされた高橋は衝撃を受けて本作を作ったという。1992年、シングル「こっぱみじんのRock'n Roll」リリース。このときカップリング曲に「ロード」が収録され、世に出た最初の音源である(1993年リリース版とイントロの出だしの部分が異なっており、エンディングも若干長い)。その後、日本テレビの新人オーディションで「ロード」を歌ったところ、一人のディレクターの目に留まる。わずかな可能性を感じた高橋はセルフ・プロモーションを行っており、「ロード」が有線放送で火がつき上昇。また、このセルフ・プロモーションは『カウントダウン100』(『COUNT DOWN TV』の前身)にランクインした際に幾度となく放映され脚光を浴びることとなった。1993年、改めてレコーディング、バンド名も「THE 虎舞竜」として「ロード」をリリースする。 200万枚以上の大ヒットを記録し、『日本有線大賞・有線音楽優秀賞』『全日本有線大賞・特別賞/審査委員会最優秀賞』『日本レコード大賞・ヒットシングル賞』『日本ゴールドディスク大賞・ベスト5シングル賞』を受賞。ちなみに高橋はこの曲の大ヒットで実に約16億円もの印税を得ているというが、本人曰く「2年で使い切った」とのこと。元々同曲の完成時に、様々な事情から作詞・作曲者としての著作権以外に原盤権や音楽出版などの諸権利を全て自ら保有する形でCDリリースに至ったため、2010年現在も「別にテレビに出なくても年間1200万円入ってくる。皆さんがカラオケで1回歌えば、7円入る」状態であるという。「ロード」は、元々は1曲のみであったが、すぐ後に全13章で構成されることが高橋ジョージによって明かされた。ちなみに、第一章、第二章、第七章、第十三章は「サビ」の部分の歌詞が同一である。元々全13章は1曲であったが、全体が1時間を超えるため、当時J-POPのシングルで主流だった8cmCDの1枚に収録しきれないということで分割したという。 「ロード」シリーズは当初、年に一枚のペースで発表していたが、1997年に第四章と第五章を続けて発表。8cmシングルとしての発表はここまでで、残りの第六章から最終の第十三章まではマキシシングルとして立て続けに発表された。




時の扉 WANDS

時の扉(ときのとびら)はWANDSの1993年2月26日発売の4枚目のシングル。木村真也を加え、第2期WANDSとして発売された第1弾シングル。元メンバーとなった大島康祐だが、「時の扉」の作曲を手がけている。ミリオンヒットを記録し、WANDSの楽曲の中でも最も有名になった曲の一つである。ミュージックステーション最後の出演はこの曲であった。テレビ朝日「ネオ・ドラマ」主題歌。 この曲をシングルでやりたいと発言したのは上杉だった。元々は2ndシングル候補曲であり、発表にあたり手直しが行われている。 この曲の歌詞についてカウントダウンTVで質問された際、ボーカリストかつ作詞を担当した上杉は「自分が落ち込んだりした時に、自分自身を元気付けるような曲が欲しかった」ためこのような内容の歌詞を書いたとの旨を回答している。


もっと強く抱きしめたなら WANDS

もっと強く抱きしめたなら(もっとつよくだきしめたなら)はWANDSの1992年7月1日発売の3枚目のシングル。浅野温子出演の三井生命CMソング。こちらで流れているバージョンはシングルと違いコーラスがない。シングル発売後に大島康祐がWANDSを脱退し、いわゆる「第1期」は終わりを告げることとなった。WANDSの代表曲の1つであり最大のヒット曲である。初登場こそ47位であったが、後から発売された「世界中の誰よりきっと」のヒットなどから注目を集め、翌年のチャートで29週目にしてオリコン1位を獲得した。その後も順調に売上を伸ばし、自身初のミリオン・ヒットを記録。この曲で一躍人気を獲得、トップ・アーティストの仲間入りを果たすこととなった。発売後約2ヶ月後の9月18日にテレビ朝日系ミュージックステーションに初登場。さらに10月末、翌年1993年1月と度々ミュージックステーションでこの曲を披露している。 何れの出演時にも上下黒っぽい衣装を着ていたためこの頃に黒い衣装のイメージが定着したのか、1993年の「時の扉」で同番組に出演した際、視聴者から「いつも黒い服だが他の色は着ないの?」という質問の便りが寄せられた。シングルバージョンとアルバム『時の扉』収録バージョンとで、Aメロと間奏のギターソロが異なるほか、2つのミックス違いのバージョンが存在する。以前NHKで放送されていたフィラー番組『MUSIC BOX 1990年代編』では『時の扉』収録バージョンがBGMとして使用されていた。PVは第1期バージョンと第2期バージョンの2つがある。映像集の『BEST OF WANDS VIDEO HISTORY』には第1期のPVが収録されている。サビ冒頭の歌詞が「もっと強く君を抱きしめたなら」とタイトルと似ているがわずかに異なるためにタイトルを間違えられることがある。一期PVの撮影場所は関東圏内で、一瞬だがイントロ部分で当時の東京都庁や東京タワーも映っている。サビの部分でメンバーがいる場所は花時計がないため分かりにくいが、幕張海浜公園の大芝生広場である。 上杉と作詞を共同制作した魚住勉はタイアップのCMに出演した浅野温子の夫。


このまま君だけを奪い去りたい DEEN


「このまま君だけを奪い去りたい」(このままきみだけをうばいさりたい)は、DEENの1993年3月10日発売のデビューシングル。デビューシングルながら、最大のセールスを記録したシングルとなっている。作曲を手がけたのは織田哲郎。池森秀一が試しにこの曲を歌った結果がDEEN結成のきっかけであり、そのままDEENのデビューシングルになった。NTTドコモのCMソング。後に、作曲者の織田、作詞者の上杉がボーカルを務める(当時)WANDSがセルフカバー。WANDSの同曲は、DEENのものと歌詞やメロディラインが若干異なる。カップリングの「DREAMIN'」は池森秀一がソロで唄った関西テレビ系「ウーマンドリーム」の挿入歌をDEENとしてカバーした曲。



KISS ME 氷室京介

『KISS ME』(キス ミー)は、1992年12月7日に発売された氷室京介の9枚目のシングル。前作からわずか1ヵ月後と間髪を入れずリリースされたシングル。ブティックJOYのCMソング。氷室最大のヒット曲であり代表曲の1つとしても挙げられる。これまでに出た全てのベストアルバムに収録されている。 氷室はもともとアルバム用の曲として製作したが、あまりの出来のよさにシングル曲として録ることを決めたという。また、この曲のサビの部分は自身がかつて所属していたBOØWYの楽曲「MARIONETTE」とよく似たコード進行を使っている。4thアルバム『Memories Of Blue』の先行シングルであるが自身初、唯一のミリオンセラーを記録。2006年の『FNS歌謡祭』で14年の時を経てテレビ初披露となった。ちなみに、布袋寅泰の最大のヒット曲「POISON」もブティックJOYのCMソングでもある。