うそつき&大うそつき&大大大うそつき
たった一度もうそをついた人なんて、たぶんいない。
そして、うそにはきっと、いろんな種類がある。
でも、やっぱり、人を傷つけたり、だましたりするうそ
それは、とてもわるいこと。
本人はそういうつもりはない、のかもしれなくても、
人が不快に思うことってやっぱりNG。
私は、意見をコロコロと変えるのも、うその内のひとつだと
思います。
たとえば一度言ったことを解消したり、変更するのは、勇気の
いること。
だから、それが本当に「変えたい」という気持ちに基づいている
なら、「うそ」にはならないと思う。
でも、周りの目や周囲の状況で付和雷同で意見を変えるのって、
聞いてても「この人は信用できない」と思ってしまいます。。
とくに強い者や権力に媚びるような人、保身に走る人は、あるいみ
すごい。
状況によって意見どころか、それまでのスタンスまでも平気でころっと
変えて、けろっとしてる。
正直な人の方が心がキレイに決まってる。
だけど、ときどき、こうした「うそつき」の方が世の中を上手に渡っていく
ところをみると、なんとも言えない気持ちになる。
そうした人が、ころっと言う言葉、(きっと仕事のPRなどでもイメージが
必要なんだと思うが)
第一に他人の立場に立って。。
自分のために、そして社会のためになることを考えていくのがもっとも
よい人生。。
人が大事。。
・・・絶対信じらない。
(こういうことを平気で言えることすら、信じられない)
ブログの公開と、読む・読まれること
ここ数日で、いくつかのブログを拝見&愛読させて
いただいておりました。
人気のあるブログの秘訣、あるいは面白いブログの
共通点…。など、いろいろと発見がありましたが、
ブログにはブログのタブーも存在することも見せつけ
られました。
不特定多数の読者に公開できるブログ。
いろんな読者がいることと思いますが、昔よりネチケット
や、掲示板の「荒らし」への規制が厳しくなっているため、
例えば、まったく関係のないことをコメントに書かれたり、
またはコメントを書き込んだ人同士が、管理者そっちのけ
で言い合いするなどの行為はほとんど見られなくなりました。
でも、「正当なコメント」としての意見として、
結構テキビシイことを書かれてしまう事例もあるようでした。
いくつかのサイトがそんなことが原因で閉鎖にまで至っていて、
ブログで匿名と言えども、書く方も、「公」と「私」の境界
を自覚していないといけないと思いました。
もちろん、匿名だからこそ「私」をさらけだせる自由があります。
実際、私も過去の記事に自分の育ちのことを書いているし、
私が友人にも話せなかったことをブログに載せています。
けれど、有り難いことに温かいコメントを頂くことができ、
とても感謝するとともに、書いてよかったと思っています。
私が上記に書いた「公」というのは、表向きの顔、おおやけの
かお、と言う以上に、
・何を見てもらおう(表現しよう/伝えよう)と思っているのか
という「像」のようなものです。
そこにズレや、底意のような、「嘘」が混じると、読んでいて
非常に不愉快に感じます。
実際、批判的なコメントによって閉鎖されたサイトは、私も
その記事を読んだとき、実は私も「なにこれ?」と思う部分が
ありました。
たとえ、自分のしごくプライベートなことをさらしていようと、
独断的な文章の書き連ねだろうと、本人が「読者を意識するか
どうかも考えないほど、夢中に書き込んでいる!」という感じ
があれば、それはそれで人を惹き付けるのではないかと思います。
しかし、「見て欲しい」「読んで欲しい」という部分に、
「人を幸せにしたい」と言いながら自分の利益を求めていたり、
「みんなのために」と言いながら自分だけのためだったり、
別の「欲」が隠れていると、読者はほんとうに微妙な行間を
掴んで反応してしまいます。
むしろ、微妙な行間であろうと、人に伝わるものなのです。
なかなか人に上手に伝えられない。。どうしたら伝わるんだろう。。
と悩む時もあります。
でも、「伝えたい」ことはまだ伝え切れなくても、きっと
「悩んでる」ことは伝わりますよね。
「人を幸せにしたい」という文章が、たとえ下手であっても、
少しくらいつじつまが合わなくても、本当にそのことだけを
切に思って書いていれば、気持ちは分かりますよね。
字面ではなく、メッセージは顔の見えない人にも十分に
読め、伝わります。
私も思ったことを正直に、それがどんなことであれ、
書いていければいいと思うし、思うことを自由に書き込んである
ブログが、読んでいてとても気持ち良く感じます。
という
いただいておりました。
人気のあるブログの秘訣、あるいは面白いブログの
共通点…。など、いろいろと発見がありましたが、
ブログにはブログのタブーも存在することも見せつけ
られました。
不特定多数の読者に公開できるブログ。
いろんな読者がいることと思いますが、昔よりネチケット
や、掲示板の「荒らし」への規制が厳しくなっているため、
例えば、まったく関係のないことをコメントに書かれたり、
またはコメントを書き込んだ人同士が、管理者そっちのけ
で言い合いするなどの行為はほとんど見られなくなりました。
でも、「正当なコメント」としての意見として、
結構テキビシイことを書かれてしまう事例もあるようでした。
いくつかのサイトがそんなことが原因で閉鎖にまで至っていて、
ブログで匿名と言えども、書く方も、「公」と「私」の境界
を自覚していないといけないと思いました。
もちろん、匿名だからこそ「私」をさらけだせる自由があります。
実際、私も過去の記事に自分の育ちのことを書いているし、
私が友人にも話せなかったことをブログに載せています。
けれど、有り難いことに温かいコメントを頂くことができ、
とても感謝するとともに、書いてよかったと思っています。
私が上記に書いた「公」というのは、表向きの顔、おおやけの
かお、と言う以上に、
・何を見てもらおう(表現しよう/伝えよう)と思っているのか
という「像」のようなものです。
そこにズレや、底意のような、「嘘」が混じると、読んでいて
非常に不愉快に感じます。
実際、批判的なコメントによって閉鎖されたサイトは、私も
その記事を読んだとき、実は私も「なにこれ?」と思う部分が
ありました。
たとえ、自分のしごくプライベートなことをさらしていようと、
独断的な文章の書き連ねだろうと、本人が「読者を意識するか
どうかも考えないほど、夢中に書き込んでいる!」という感じ
があれば、それはそれで人を惹き付けるのではないかと思います。
しかし、「見て欲しい」「読んで欲しい」という部分に、
「人を幸せにしたい」と言いながら自分の利益を求めていたり、
「みんなのために」と言いながら自分だけのためだったり、
別の「欲」が隠れていると、読者はほんとうに微妙な行間を
掴んで反応してしまいます。
むしろ、微妙な行間であろうと、人に伝わるものなのです。
なかなか人に上手に伝えられない。。どうしたら伝わるんだろう。。
と悩む時もあります。
でも、「伝えたい」ことはまだ伝え切れなくても、きっと
「悩んでる」ことは伝わりますよね。
「人を幸せにしたい」という文章が、たとえ下手であっても、
少しくらいつじつまが合わなくても、本当にそのことだけを
切に思って書いていれば、気持ちは分かりますよね。
字面ではなく、メッセージは顔の見えない人にも十分に
読め、伝わります。
私も思ったことを正直に、それがどんなことであれ、
書いていければいいと思うし、思うことを自由に書き込んである
ブログが、読んでいてとても気持ち良く感じます。
という
チョウ久しぶりに更新しました。
いろいろと手が付かず、更新できませんでした。
にもかかわらず、先日webshopさんから、
「読者登録」のご依頼をいただき、
「お互いがんばって更新しましょう☆」
とのはげましのお言葉。。
嬉しいです☆(>_<)
温かい人のご縁に、
感謝、感謝。
にもかかわらず、先日webshopさんから、
「読者登録」のご依頼をいただき、
「お互いがんばって更新しましょう☆」
とのはげましのお言葉。。
嬉しいです☆(>_<)
温かい人のご縁に、
感謝、感謝。
シンプルイズベスト
みなさんは、占いを見ますか?
私はもっぱら、yahoo占い^-^;
得に私のオススメは、「0学占い」です☆
一番当たります!
年間のバイオリズム、週間、日ごと、と細かく
でる割に、それらがきちんと整合性があるから、
とりあえず読んでなっとく。
星占いって、ときどき年間の運勢と、その月、日の
運勢がすごい掛け離れてたりしませんか?
最近、ちょっと調子の整わない私。
こんなときには占いで気分転換がてら、
予測のつかない未来への予定にちょこっと
参考にしたりします。
ちなみに、本日のyahoo「0学占い」
物事を深く考え過ぎてしまうと、進行に余計な
障害を作ってしまうような日です。今日はとに
かく勢いが大切!
直感ともいえる経験の多くを学んできた人は、
細かなところに目を配らずに勘と実績を頼りに
しながら物事に取り組んでいくこと。シンプル
イズベストが合言葉です。
心配事や邪念が頭から離れないなら、とにかく
第一歩を踏んでしまうこと。先々の問題はその
ときに考えていけばいいのです。
私、細かく考えることが長所、と言われることが
あるけど、ときに「勢い」や「シンプルさ」には
欠ける、と指摘されること、あるな~^-^;
今年は「いつものセオリーが通らない1年」
と始めにあったくらいだし、この前の
「0学占い」では、「苦労するけど一皮向ける」
とあったし、今年はいろいろ成長するために
勉強する、ってことですね!
苦労は人を成長させる、というけど、
成長した自分はどんなだろう?と
思ってみると、このチャンスを逃しては
いけない、という気もします。
さあ、どんな未来がまっているのでしょうか…。
私はもっぱら、yahoo占い^-^;
得に私のオススメは、「0学占い」です☆
一番当たります!
年間のバイオリズム、週間、日ごと、と細かく
でる割に、それらがきちんと整合性があるから、
とりあえず読んでなっとく。
星占いって、ときどき年間の運勢と、その月、日の
運勢がすごい掛け離れてたりしませんか?
最近、ちょっと調子の整わない私。
こんなときには占いで気分転換がてら、
予測のつかない未来への予定にちょこっと
参考にしたりします。
ちなみに、本日のyahoo「0学占い」
物事を深く考え過ぎてしまうと、進行に余計な
障害を作ってしまうような日です。今日はとに
かく勢いが大切!
直感ともいえる経験の多くを学んできた人は、
細かなところに目を配らずに勘と実績を頼りに
しながら物事に取り組んでいくこと。シンプル
イズベストが合言葉です。
心配事や邪念が頭から離れないなら、とにかく
第一歩を踏んでしまうこと。先々の問題はその
ときに考えていけばいいのです。
私、細かく考えることが長所、と言われることが
あるけど、ときに「勢い」や「シンプルさ」には
欠ける、と指摘されること、あるな~^-^;
今年は「いつものセオリーが通らない1年」
と始めにあったくらいだし、この前の
「0学占い」では、「苦労するけど一皮向ける」
とあったし、今年はいろいろ成長するために
勉強する、ってことですね!
苦労は人を成長させる、というけど、
成長した自分はどんなだろう?と
思ってみると、このチャンスを逃しては
いけない、という気もします。
さあ、どんな未来がまっているのでしょうか…。
ホリエ社長に思うこと
ライブドア社長、“ホリエモン”こと堀江貴文社長
とフジテレビの抗争が注目を集めています。
先日、日テレの社員一同が声明文を発表しました。
そして、堀江社長は海外のプレスを前に、
「強引に合併を進めることの妥当性」を主張しました。
この抗争がぼっ発して以来、私が堀江社長に感じていた
ことは、長い歴史を背負うテレビ局、そして日枝社長
に対して「なんの礼儀もない」ということ、そして
コンテンツ事業をインターネット世代のものだけとしか
認識していないということでした。
私は放送や映像のことを大学で学び、その長い歴史と、
その歴史を拓いて来た人々の努力、そしてそれを
支えて来た無数の人々の努力を知り、心を打たれました。
現在ではほとんど情報の媒体となっている「放送」は、
現在が平和な時代になったという背景のたまもので
あることも知りました
そういう目には見えない歴史の重みや人々の心に対して、
堀江社長はなんの思いも、気持ちもないように
感じました。
日枝社長が反感を感じているのは、堀江社長の礼儀の
なさだと思います。
堀江社長は「自分も社長」「年齢はキャリアの年数ではなく
今の実績で日枝社長と自分は同列」と思っているように
見えます。
日枝社長は例えば「年長だから頭を下げろ」とか(若干は
思ってるかも知れませんが)そういう礼儀ではなく、日枝社長
が背負っている、放送の歴史の重みに対して堀江社長が礼儀を
払う気がない、というところで、決定的に話しをする気になれ
ないのではないでしょうか。
日テレビの社員の声明にはこうありました。
「リスナーへの心が感じられない」
堀江社長は、これまでになかったスピリットを持った
社長であるという評価もあります。
でも、持っていなくてはならないスピリットもあります。
堀江社長が本当に欲しいもの、でもそれを他の人が渡すこと
を拒み、悲しいと感じる部分があれば、それに対して
相手の立場に立った意見も述べるべきではないでしょうか。
今のところ、フジテレビ、日テレの姿勢に対し、
「あなた達は古い考えなだけだから、私の新しい考えに従えば
こちらがいかに正しいか分かって来るだろう」
という意見であるように聞こえます。
ならば、堀江社長もまず「古い考え」に否定から入るの
ではなく、まず理解を示してから新しい考えへの理解を
求めるべきではないでしょうか?
長い歴史を背負う放送への理解を述べないところをみると、
実はこの人は放送を通信化したいだけで、放送と通信の
違いを分かってないのではないか、と思ってしまいます。
相手に合わせた立場からでも、自分を主張できなくては、
人と違う格好をして人と違うことを言うだけでは
「新しい」ことを印象づけられても信頼は得られない
と思います。
堀江社長の本当に欲しいものはなんなのでしょう?
とフジテレビの抗争が注目を集めています。
先日、日テレの社員一同が声明文を発表しました。
そして、堀江社長は海外のプレスを前に、
「強引に合併を進めることの妥当性」を主張しました。
この抗争がぼっ発して以来、私が堀江社長に感じていた
ことは、長い歴史を背負うテレビ局、そして日枝社長
に対して「なんの礼儀もない」ということ、そして
コンテンツ事業をインターネット世代のものだけとしか
認識していないということでした。
私は放送や映像のことを大学で学び、その長い歴史と、
その歴史を拓いて来た人々の努力、そしてそれを
支えて来た無数の人々の努力を知り、心を打たれました。
現在ではほとんど情報の媒体となっている「放送」は、
現在が平和な時代になったという背景のたまもので
あることも知りました
そういう目には見えない歴史の重みや人々の心に対して、
堀江社長はなんの思いも、気持ちもないように
感じました。
日枝社長が反感を感じているのは、堀江社長の礼儀の
なさだと思います。
堀江社長は「自分も社長」「年齢はキャリアの年数ではなく
今の実績で日枝社長と自分は同列」と思っているように
見えます。
日枝社長は例えば「年長だから頭を下げろ」とか(若干は
思ってるかも知れませんが)そういう礼儀ではなく、日枝社長
が背負っている、放送の歴史の重みに対して堀江社長が礼儀を
払う気がない、というところで、決定的に話しをする気になれ
ないのではないでしょうか。
日テレビの社員の声明にはこうありました。
「リスナーへの心が感じられない」
堀江社長は、これまでになかったスピリットを持った
社長であるという評価もあります。
でも、持っていなくてはならないスピリットもあります。
堀江社長が本当に欲しいもの、でもそれを他の人が渡すこと
を拒み、悲しいと感じる部分があれば、それに対して
相手の立場に立った意見も述べるべきではないでしょうか。
今のところ、フジテレビ、日テレの姿勢に対し、
「あなた達は古い考えなだけだから、私の新しい考えに従えば
こちらがいかに正しいか分かって来るだろう」
という意見であるように聞こえます。
ならば、堀江社長もまず「古い考え」に否定から入るの
ではなく、まず理解を示してから新しい考えへの理解を
求めるべきではないでしょうか?
長い歴史を背負う放送への理解を述べないところをみると、
実はこの人は放送を通信化したいだけで、放送と通信の
違いを分かってないのではないか、と思ってしまいます。
相手に合わせた立場からでも、自分を主張できなくては、
人と違う格好をして人と違うことを言うだけでは
「新しい」ことを印象づけられても信頼は得られない
と思います。
堀江社長の本当に欲しいものはなんなのでしょう?
まだまだまだ(自分の未熟さ)
最近、自分の未熟さをちょっと痛感する
できごとがありました。
「ちょっと」のすれ違いが大きな亀裂を
産み、それはもう取りかえしの付かない
ものとなってしまいました。
始めは無責任な相手の部分をひどいな、と
思っていたのですが、確かに時分にも到ら
ない面があり、双方とも同じようにいけない
ところがあるとすれば、「すれ違い」を
そのまま放置していたことでした。
なぜ放置してしまったか、というと、
今考えれば、互いに要求や願望が異なって
いることを薄々気付きながら、それを
互いに話し合うということには気を向け
なかった。つまり、その要求も願望も
実は相手にハッキリと言えるほど明確
なものではなく、実際はお互いに、相手が
都合の良いように動いてくれないか、
と心の底では思っていたのだとおもいます。
結局、自分自身(自分の願望、自分の要求)
にきちんと向き合わないとことから、他者の
心を見逃し、そして亀裂が生じるまでに
到ってしまいました。
本当に残念なことです。
根底にあるのは自分の 未熟さです。
この経験を忘れないように、ひとつひとつの
貴重な出会いを自分で守っていけるように、
これからも自分自身と向き合っていきたいと
思います。
できごとがありました。
「ちょっと」のすれ違いが大きな亀裂を
産み、それはもう取りかえしの付かない
ものとなってしまいました。
始めは無責任な相手の部分をひどいな、と
思っていたのですが、確かに時分にも到ら
ない面があり、双方とも同じようにいけない
ところがあるとすれば、「すれ違い」を
そのまま放置していたことでした。
なぜ放置してしまったか、というと、
今考えれば、互いに要求や願望が異なって
いることを薄々気付きながら、それを
互いに話し合うということには気を向け
なかった。つまり、その要求も願望も
実は相手にハッキリと言えるほど明確
なものではなく、実際はお互いに、相手が
都合の良いように動いてくれないか、
と心の底では思っていたのだとおもいます。
結局、自分自身(自分の願望、自分の要求)
にきちんと向き合わないとことから、他者の
心を見逃し、そして亀裂が生じるまでに
到ってしまいました。
本当に残念なことです。
根底にあるのは自分の 未熟さです。
この経験を忘れないように、ひとつひとつの
貴重な出会いを自分で守っていけるように、
これからも自分自身と向き合っていきたいと
思います。
ちょこっと「あした」の自分を変える法
誰でも一度は「自分を変えたい」「変わりたい」
と思ったことがあると思います。
自分を「変えたい」からずっとがんばってる
人もいます。
でも「人は変わらない」という意見もあります。
私は、「変わる」という言葉にキーがあると
思ってます。
別のものにとって代わる、という意味ではなく、
例えば種が芽になり花になり、という意味で
あれば、誰だって「変われ」ます。
すみれが蓮になることはできないから、
別のいのちになってしまうのは無理だから、
そういう意味では別のものに憧れても
「変われ」ません。
きっと、こういう意味が混同されて、
「変われる」「変れない」という意見が
飛び交ってしまうのかなと思います。
自分の何かをもっと引き出したくて、がんばって
る人に「変れない」というのは可哀想だから、
「人は変れない」というより、「変われる」と
言う方が私は好きです。
でもどんなに環境が変わっても、社会的な立場
などが変わって、生活や行動が変わっても、
その人の心の芯は同じだと思うから、そういう
意味では「変わらない」と思う(思いたい)
です。
自分は「変わりたい」と思っていても、周りの
人からは「そのままでいいよ」と言ってもらえる
ときもあります。
そういう時は葛藤してしまいます。
「自分は変わりたいのに…」なんて。
自分が変わりたい、と思う時、たいてい二つの
選択肢があるのではないかと思います。
ひとつは自分の言動をがんばって変える。
ふたつめは自分の居場所を変える。
居場所が同じなのに、接する人も同じなのに、
「じゃあ今日から」といきなり行動を変えるには
勇気がいります。
とりあえず全てを新しく、と引っ越したり外国に
行ったとしても、帰って来た時に何も変わっていなけ
れば周りの環境に頼っていただけ、ということに
なります。
私もいろいろと葛藤したり、自分を変えようと
思ったり、外国に行きたい、と思ったことも
ありました。
でも、一番そうした悩みから自分を解放してくれたのは、
「今てもとにあるもの、今与えられているもの、
今いるこの場所をまず受け入れる」
ということでした。
てもとにあるものに感謝もせず、持っているものを
当たり前と思い、今いる場所の良さに目を向けていませ
んでした。
そうして受け入れはじめた途端、
どうして外国に行きたかったんだろう?
とそれが「出発」ではなく「逃避」であったことに
気がつきました。
自分はまだ小さいけど、でもてもとにあるものを
「与えられている」と感謝すること。
そう心を込めて思っていれば、なんてことない
行動やきっかけも「大きな出発」に変えられるんだな、
と思いました。
と思ったことがあると思います。
自分を「変えたい」からずっとがんばってる
人もいます。
でも「人は変わらない」という意見もあります。
私は、「変わる」という言葉にキーがあると
思ってます。
別のものにとって代わる、という意味ではなく、
例えば種が芽になり花になり、という意味で
あれば、誰だって「変われ」ます。
すみれが蓮になることはできないから、
別のいのちになってしまうのは無理だから、
そういう意味では別のものに憧れても
「変われ」ません。
きっと、こういう意味が混同されて、
「変われる」「変れない」という意見が
飛び交ってしまうのかなと思います。
自分の何かをもっと引き出したくて、がんばって
る人に「変れない」というのは可哀想だから、
「人は変れない」というより、「変われる」と
言う方が私は好きです。
でもどんなに環境が変わっても、社会的な立場
などが変わって、生活や行動が変わっても、
その人の心の芯は同じだと思うから、そういう
意味では「変わらない」と思う(思いたい)
です。
自分は「変わりたい」と思っていても、周りの
人からは「そのままでいいよ」と言ってもらえる
ときもあります。
そういう時は葛藤してしまいます。
「自分は変わりたいのに…」なんて。
自分が変わりたい、と思う時、たいてい二つの
選択肢があるのではないかと思います。
ひとつは自分の言動をがんばって変える。
ふたつめは自分の居場所を変える。
居場所が同じなのに、接する人も同じなのに、
「じゃあ今日から」といきなり行動を変えるには
勇気がいります。
とりあえず全てを新しく、と引っ越したり外国に
行ったとしても、帰って来た時に何も変わっていなけ
れば周りの環境に頼っていただけ、ということに
なります。
私もいろいろと葛藤したり、自分を変えようと
思ったり、外国に行きたい、と思ったことも
ありました。
でも、一番そうした悩みから自分を解放してくれたのは、
「今てもとにあるもの、今与えられているもの、
今いるこの場所をまず受け入れる」
ということでした。
てもとにあるものに感謝もせず、持っているものを
当たり前と思い、今いる場所の良さに目を向けていませ
んでした。
そうして受け入れはじめた途端、
どうして外国に行きたかったんだろう?
とそれが「出発」ではなく「逃避」であったことに
気がつきました。
自分はまだ小さいけど、でもてもとにあるものを
「与えられている」と感謝すること。
そう心を込めて思っていれば、なんてことない
行動やきっかけも「大きな出発」に変えられるんだな、
と思いました。
生まれて来た理由の秘密
「生きがいの創造」という本があります。
「生きがい」を、科学者の人がなんと
前世という切り口から語ってしまうもので、
前世という真偽の不確定なものを、
論理的に、でもかなり心を込めて書いて
います。
私は、このての本はちょっと苦手でした。
でも、たまたま知り合いからもらって、
(知り合いも友人に勧められたらしい)
捨てようと思ってたので、
どうせ捨てるなら読んでから捨てよう。
もったいないし、と思って、
だーっと読んでみました。
前世の真偽はさておき、面白いな、と
思ったのは、「魂には段階がある」という
記述。
人は生まれ変わりを通じて、魂はいくつもの
「生」を経て成長していくんですって。
だから、何をやってもうまくいって、
苦労知らず、という人生は、まだ
「赤ちゃんの魂」なんだそうです。
段階がステップアップして行くと、
どんどん苦労も増え、(乗り越えるに
値する力があるから)試練を与えられて
いく、研摩されていく、とのことです。
でも、こういう考えを持っていれば、
不公平と嘆くこともないし、前向きになれ
るかも。自分の人生は自分のもの、と
自信を持てるかも、と思いました。
ちょうど、あるテレビ番組を見ました。
バーを営むある男性は、子供のころ、
小児麻痺だったのだそうです。
ひどいいじめにあい、それでもリハビリ
に励み、今となっては努力の甲斐あって、
普通の人と代り映えのない生活を送っています。
けれど、心の傷は癒えませんでした。
せめて自分の子供には、いろんな人を理解する
大きな心を持って欲しい、と願っていました。
すると、彼の息子は小学校を卒業し、
卒業文集を持って来ました。
息子のクラスには障害をもった男の子がおりました。
そして、その障害を持った男の子は、彼の息子が
とても仲良くしてくれたことへの、感謝と喜びを
せつせつと書き綴っていました。
「これだけでも十分です、何もいうことはありません」
バーを営む男性の心の傷はようやく癒えたようでした。
彼の息子は、まだ幼いというのに、自分と境遇の違う
友人を大切にし、幸せを与え、父の過去の傷までも
癒したのです。
ふと、読んだ本を思い出してしまいました。
立派な息子さんだな、という思いと、素直な、綺麗な
心をもった男の子なんだな、ととても感動しました。
彼の「魂」は、もしかしたら、もう何度も度を続けて来た
魂なのかも、なんて思ってしまいました。
「生きがい」を、科学者の人がなんと
前世という切り口から語ってしまうもので、
前世という真偽の不確定なものを、
論理的に、でもかなり心を込めて書いて
います。
私は、このての本はちょっと苦手でした。
でも、たまたま知り合いからもらって、
(知り合いも友人に勧められたらしい)
捨てようと思ってたので、
どうせ捨てるなら読んでから捨てよう。
もったいないし、と思って、
だーっと読んでみました。
前世の真偽はさておき、面白いな、と
思ったのは、「魂には段階がある」という
記述。
人は生まれ変わりを通じて、魂はいくつもの
「生」を経て成長していくんですって。
だから、何をやってもうまくいって、
苦労知らず、という人生は、まだ
「赤ちゃんの魂」なんだそうです。
段階がステップアップして行くと、
どんどん苦労も増え、(乗り越えるに
値する力があるから)試練を与えられて
いく、研摩されていく、とのことです。
でも、こういう考えを持っていれば、
不公平と嘆くこともないし、前向きになれ
るかも。自分の人生は自分のもの、と
自信を持てるかも、と思いました。
ちょうど、あるテレビ番組を見ました。
バーを営むある男性は、子供のころ、
小児麻痺だったのだそうです。
ひどいいじめにあい、それでもリハビリ
に励み、今となっては努力の甲斐あって、
普通の人と代り映えのない生活を送っています。
けれど、心の傷は癒えませんでした。
せめて自分の子供には、いろんな人を理解する
大きな心を持って欲しい、と願っていました。
すると、彼の息子は小学校を卒業し、
卒業文集を持って来ました。
息子のクラスには障害をもった男の子がおりました。
そして、その障害を持った男の子は、彼の息子が
とても仲良くしてくれたことへの、感謝と喜びを
せつせつと書き綴っていました。
「これだけでも十分です、何もいうことはありません」
バーを営む男性の心の傷はようやく癒えたようでした。
彼の息子は、まだ幼いというのに、自分と境遇の違う
友人を大切にし、幸せを与え、父の過去の傷までも
癒したのです。
ふと、読んだ本を思い出してしまいました。
立派な息子さんだな、という思いと、素直な、綺麗な
心をもった男の子なんだな、ととても感動しました。
彼の「魂」は、もしかしたら、もう何度も度を続けて来た
魂なのかも、なんて思ってしまいました。
自分で何かを生み出すこと
仕事を1件終えて、考えたこと。
今回は著名人(芸能人)に関係するお仕事
でした。
本人にもお会いしたし、その周りにいる人
(付き人とか)も、初めて接触する機会があり、
いろいろな気付きや体験をしました。
私の今の仕事は「ライター」としていて、
私は「ライター」は2次的な仕事だと思って
います。
この場合、1次的な仕事とは「作家」。
実際に何かを生み出している人の周りには、
それを支える人たちが居ます。
そしてその外側には、その人達の活動を多くの
人に知らせていく、広めていく人(マスコミとか)
がいます。
ライターは生産側の人ではない、というのが
私の意見です。
素材がないと仕事が成り立たないからです。
ライターとして有名になるにも、何らかの
専門知識が必要で、逆にその知識が社会から
関心を得られなければ、仕事が成り立ちません。
作家は自分自身も、作った作品も「素材」に
なります。
ライターは自分が素材になることはありません。
よっぽど個性的でタレントにでもなれば、
別ですが、そうでもない限り、ずっと「素材」
ありき、の仕事なわけです。
私は、なんで今ライターになったんだっけ。
実は、ぶっちゃけ作家になれなかったからです。
あと、作家の生活が難しいと思いました。
がんばって文学賞に出して最終まで残ったけど、
その制作過程や、生活。
ほとんどをひとりで考え、ひとりで書く生活に
耐えられなくなったのです。
それで、ライターになったのです。
ライターになれば、取材や、編集者との打ち合わせで、
いろんな場面を体験できる、と思ったからです。
実際、そうでした。
今回の仕事も、ずっと請け負っている仕事も、
人に関わる機会、いろんな経験ができます。
でも、今回の仕事で、文化人や芸能人を見て、
「自分で何かを生み出す」っていいな
と改めて思いました。
私のライティングで何かを知ったり、楽しんでもら
えればそれも嬉しいけれど、私がシンプルに書いた
文章を、そのまま喜んで受け入れてくれる人がいたら
もっと嬉しいだろうな、と思いました。
著名人に関わるのはこれが初めてでしたが、ちょっと
仕事のやり方を変えよう、と思いました。
私も自分で何かを生み出したい。
もちろん、それは誰かを喜ばせるためだったり、
誰かの幸せのためになるものであるように。
今回は著名人(芸能人)に関係するお仕事
でした。
本人にもお会いしたし、その周りにいる人
(付き人とか)も、初めて接触する機会があり、
いろいろな気付きや体験をしました。
私の今の仕事は「ライター」としていて、
私は「ライター」は2次的な仕事だと思って
います。
この場合、1次的な仕事とは「作家」。
実際に何かを生み出している人の周りには、
それを支える人たちが居ます。
そしてその外側には、その人達の活動を多くの
人に知らせていく、広めていく人(マスコミとか)
がいます。
ライターは生産側の人ではない、というのが
私の意見です。
素材がないと仕事が成り立たないからです。
ライターとして有名になるにも、何らかの
専門知識が必要で、逆にその知識が社会から
関心を得られなければ、仕事が成り立ちません。
作家は自分自身も、作った作品も「素材」に
なります。
ライターは自分が素材になることはありません。
よっぽど個性的でタレントにでもなれば、
別ですが、そうでもない限り、ずっと「素材」
ありき、の仕事なわけです。
私は、なんで今ライターになったんだっけ。
実は、ぶっちゃけ作家になれなかったからです。
あと、作家の生活が難しいと思いました。
がんばって文学賞に出して最終まで残ったけど、
その制作過程や、生活。
ほとんどをひとりで考え、ひとりで書く生活に
耐えられなくなったのです。
それで、ライターになったのです。
ライターになれば、取材や、編集者との打ち合わせで、
いろんな場面を体験できる、と思ったからです。
実際、そうでした。
今回の仕事も、ずっと請け負っている仕事も、
人に関わる機会、いろんな経験ができます。
でも、今回の仕事で、文化人や芸能人を見て、
「自分で何かを生み出す」っていいな
と改めて思いました。
私のライティングで何かを知ったり、楽しんでもら
えればそれも嬉しいけれど、私がシンプルに書いた
文章を、そのまま喜んで受け入れてくれる人がいたら
もっと嬉しいだろうな、と思いました。
著名人に関わるのはこれが初めてでしたが、ちょっと
仕事のやり方を変えよう、と思いました。
私も自分で何かを生み出したい。
もちろん、それは誰かを喜ばせるためだったり、
誰かの幸せのためになるものであるように。
会社を作るということ
クライアント、というか仕事を受けている会社で
ごく小規模の会社があります。
クリエイティブな会社は、小規模な会社って
結構多いのです。
今回のお仕事は、みなさんも知っているような
大企業から、新生の小企業まで、数社が
コラボレートした事業でした。
小企業だと、自分の仕事が大きいところまで
手が届くのが良いところですが、
仕事のフローや業務の透明度には、問題がでます。
逆説的なことに、大人数より、少人数の方が
不透明になることがあるのです。
だからこそ、自分の仕事以外のことでも、
進行状況や課題を知っておくことは大事。
社長も小企業であれば社員と一緒に社員同様の
労働を強いられるのだから、
社長は社員兼任になるわけです。
今回、私も大変だったり、社長もメンバーも大変
だったと思いますが、改めて、社長、あるいは人を
まとめる人場合にはどういうことが必要か、
あるいは自分はどういうものを求めていたのかが
分かったような気がしました。
私もどういうカタチであれ、ひっつき型、ぶら下がり
で仕事をする のではなく、
自分が仕事を振る側に回って、
クライアントとは対等になれるように仕事をして
いきたいと思います。
ごく小規模の会社があります。
クリエイティブな会社は、小規模な会社って
結構多いのです。
今回のお仕事は、みなさんも知っているような
大企業から、新生の小企業まで、数社が
コラボレートした事業でした。
小企業だと、自分の仕事が大きいところまで
手が届くのが良いところですが、
仕事のフローや業務の透明度には、問題がでます。
逆説的なことに、大人数より、少人数の方が
不透明になることがあるのです。
だからこそ、自分の仕事以外のことでも、
進行状況や課題を知っておくことは大事。
社長も小企業であれば社員と一緒に社員同様の
労働を強いられるのだから、
社長は社員兼任になるわけです。
今回、私も大変だったり、社長もメンバーも大変
だったと思いますが、改めて、社長、あるいは人を
まとめる人場合にはどういうことが必要か、
あるいは自分はどういうものを求めていたのかが
分かったような気がしました。
私もどういうカタチであれ、ひっつき型、ぶら下がり
で仕事をする のではなく、
自分が仕事を振る側に回って、
クライアントとは対等になれるように仕事をして
いきたいと思います。
