神さんも、いろいろあって、それぞれ役割がある。「福の神や幸運の神、開運の神、長寿の神」は、きて頂ければ、有難い。すれ違っても、良いから、一目お遭いしたい。役割通り、お仕事はなされるはず。

 祈願して、来てもらえるものなら、毎日、朝夕といわず、祈願する。それで、居心地がよければ、棲みついてくれるかも知れない。間違っても、粗略に扱うことなど、ない。

 歓迎される、神々は、多忙である。だから、来宅されても「福を運び、幸運、開運、長寿をもたらす」の「確約」は、必ずしも、なさるれるとは、限らない。

 貴方の心がけ次第、と言うわけだ。神さんは、忙しいし、飽きっぽい。好奇心が旺盛で、何処か、面白そうな所はないものか、と、しょっちゅう、出入りなされる。あちらこちらから、お呼びが、かかるからだ。折角、来て頂いたのに、隙をついて、いつの間にか、他所へ出て行かれることなど、珍しくないのである。

  何処でも、歓迎される訳だから、居続けて頂くためには、相当な歓待を、毎日、続けなければならない。心血を注いで続けられれば、しばらくは、ご逗留、頂けるかも知れない。

 願い事は、多種多様だから、神さんも分業制だ。お一人、一役と、いったところか。ひょっとして、神さんにも、ノルマがあるのかも知れない。

 多忙なのは、そのせいか。であれば、ノルマが効率良く、果たせるところを、選ばれるだろう。神さんも、効率を優先させるかも。一人一人、それぞれの、願い事を叶えてやるのが筋だろうが、それは、こちら側の願望であって、神さんの仕事ではない。

 あくまで、神さんは、何の制約も受けず、ひたすら、神としての役割を果たすべく、淡々と、お仕事をされる。お一人で行動されるとは、かぎらない。ツルんで、行動することも。

 一人に絞って、一丸となって、その家に入り込み、一切合財の「福」を与えることもある。「福が一変に来た」ことになるのだ。

 不公平とする、問題ではない。神の世界に「不公平」などは、一切ない、いや、あってはならない。そう見えるのは、こちら側の都合や願いである。本音は「妬み」か。

 疫病神、貧乏神、死神さんも、こちら側がそう呼んでいるだけだ。神々の世界では、別の名前なのかも知れない。役割があり、ノルマもあるだろう。

 有難くないし、すれ違いたくもない、出来れば、永久にお遭いしたくない。が、確実に、何処でも出没し、お見えになる、神さんがいるのだ。やはり、効率良く、お仕事を果たしたいらしく、ツルんで、団体でやって来ることが多い気がする。

 一歩たりとも、家に入れまいと、命がけで抗う。上手く行けば「この忙しいのに、面倒臭いとこや、ここは後回しにして、他へ、、、」と、いうこともなくはない。

 稀な例だろう。背水の陣で、抗ったところで、相手は、神さんだ、勝敗は見えている。が、燃え尽き、灰になるまで、抗い続ける。生きてる、限りは。