某月某日 「内観研修所」で七日間の研修を終えた。八日目の早朝、所長に呼ばれ、所長室へ。


「お早うございます」


「お早う御座います」所長と、研修期間中、美味しい手料理でお世話になった奥さんが。



「ちょっと、お待ち下さい」と、所長が。少しばかり、退所手続きがあるらしい。ぼーっと、この研修期間を振り返った。


「何かお母様に、してあげたことは、ありませんか?」


「そのような、迷惑をかけたことで、どう、思いましたか?」研修中に、何十回も問われたことだが、私は、一つとして、答えることが出来なかった。


「世話をやかせたことや、母をおろおろさせた事ばかりが思いだされた」(う~ん、何やったんやろ、この研修は!?)。この一週間、答えられずに、返事に詰まり、ため息だけがでた。


「○○さん、お母様の内観だけで終わりましたね」所長が。


「はい、私が小学校へ上がるくらいから、40歳くらいまで、遡って内観は終わってしまいました」


「内観はご自宅でも、何処でも出来ますからね」


「えっ!そうなんですか、、、」


「はい、日常内観と言います。ここで研修されたことを、時や場所に関係なく、されたらよろしい」(成る程、自問自答か~)。


「是非、今度はお父様やご兄弟等に対して、内観されたらよろしいですよ」内観のカセットテープや簡単な説明書の小冊子を頂いた。研修所から毎日望んだ、立山連邦を後にして、帰路に着き、一路大阪へ。車中で「ただ座して、衝立に籠もった半畳の空間を狭いと、思ったことはなかったな~、不思議な一週間やった!」思った。(日常内観か~、できるかな~)。


 その後、両親のことで「日常内観」をした、記憶がある。阪神淡路大震災で被災して以降は「日常内観」をすっかり忘れていた。(お袋ちゃんの介護は、言い訳にならんわ~、修行が足りんちゅうことや!)。


このブログを書いてる最中に、電話が鳴った。


「そうか、早いな~、一周忌か」姉からの電話だ。姉の義母は、私の母が亡くなる4ヶ月ほど前に逝ったのだ。納骨と一周忌の法要の日時の知らせであった。


「分かった、手合わせに行くわ~」(弟の〇〇にも知らせてないねん、しんどかったら、こんでもえ~から、と何度も言う)姉に、そう答えた。(いかんわけには、いかんねん)。姉の嫁ぎ先のご両親には、妹のことで随分お世話になっている。これも大事なツケ払いなのだ。