某月某日 先日、放っておいた検診に行った。昨年秋の定期検診で何時ものように、引っかかった(私は痩躯で、毎年栄養失調と貧血を疑われているのだ)。だいたい「食事指導」で終わるのだが。


「○○さん、その後どうですか?」ドクターが。この先生は、母の先生でもあった。お付き合いも随分長い。母を介護中、私は過労で、二度ほどひっくり返り、この先生に助けていただいた。


「はい、寂しなりました、体調の方は変わりませんけど~」先生も毎年のことなので、検査結果のカルテ(今はパソコンの画面)と血液検査表と両方を見乍。


「ちょっと鉄剤飲まな、また倒れますよ」


「そうですか?、ほな、お願いしますわ」診察は数分で、終わり。これからが、先生と私の話題へ。私の様子を尋ねられる。先生がご自身のことを話される。(先生は、昨年のお盆に癌で実父を亡くされ、実母が認知症で、介護中、大変なのだ)。数年前から、認知症になったお母様のことで、先生からあれこれ、聞かれることが増えたのだ。特養、老健施設、後見人制度、入所費用や手続き等々、私がその道の先輩なので。


「最近はどう?、内観やってる?」と、突然話題が変わった。


「えっ!、、、忘れてましたわ~、やってませんねん」


「やった方がえ~よ」内観の話になった。


「内観」は簡単に言うと「精神修養」である。


精神的に疾患(うつ病、神経症、心身症、引きこもり等々)を抱えた方々や精神を鍛え直す方々にも有効だ。

「内観」文字通り、自身の「内」を「観る」ことである。座禅とは、全く異なる。


北陸に「内観研修所」がある。此処に入所し、丸一週間ほど、俗世との関係を断ち切り、精神修養するのだ。新聞、テレビ、ラジオ、手紙、電話などは全て禁止。


寝るとき以外は座して、両親や世話になった方々の事を幼少期から遡り。


「世話になったこと、自分がして返したこと、迷惑をかけたこと」を思い出す。


思い出したことについて、自信は今、そのことについてどう思ったかを、正直に研修所の所長にだけ話すのである。


この先生、ご自身も、何度か「内観研修所」に入所され「内観」を体験されている。先生の薦めもあり、私自身も「思う」ところがあって、この「内観研修所」に入所して、体験させて頂いたのだ。


一度研修所で研修を体験すると、自宅でも、何処でも「日常内観」が出来るようになるのだ。先生は、その事を、私に尋ねられたのである。


診察を終え、帰り道「うん、先生の言う通りや!、忘れてた、やっとこ、先生、おー気に」。