5-5 折衷説/複合説 | 中国について調べたことを書いています

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1.中国広東省の深セン経済特区の成立過程
2.香港・六七暴動
3.農業生産責任制と一人っ子政策
4.浦東新区から雄安新区へ
5.尖閣問題の解決策を探る
6,台湾は国家か

 

⑤折衷説/複合説

とはいえ、いまだに創設的効果説をとる考え方もなくなったわけではない。

宣言的効果説を基本的に受け入れつつも創設的効果説も捨てきれない、いう指摘もある。折衷説というか、複合説というか、その可能性を考えてみたい。以下、3つの主張を見てみよう。

 

1つめは田畑の意見である。

 

「国家が平穏裡に成立する場合には、創設的効果説では的確な説明をすることはできない。しかし、本国との闘争を経て分離する場合には、本国が分離した部分の国家的性格そのものを否定し争うのが普通である。そうした場合には、承認が行われない限り、一般に分離した部分はなお形式的には本国の一部とみなされる可能性があるわけであって、承認によってはじめて、新国家は、たとえ本国がそれに反対していても、正式に、承認した国家との関係において、国家としての国際法主体性を認められることが必要になる。この場合には、創設的効果説によって説明することがむしろ正しいといえるであろう」(田畑茂二郎『国際法Ⅰ』211-212ページ(有斐閣、新版、1972)(一部略))

 

台湾が本国(中国)との闘争を経て分離すると考えるならば、現在のように本国(中国)が分離した部分(台湾)の国家的性格そのものを否定しているのは「普通」のことであるということになる。このような争いがある場合、中国が台湾を承認することによって初めて台湾は国家としての主体性を認められるということになるわけだから、これは創設的効果説で説明した方がわかりやすいということもできるだろう。

 

2つめは香西などの意見である。

上記とほぼ同内容なのだが、少し表現が違っている。こちらのほうがわかりやすいかもしれない。

 

「一口に国家承認といっても、それが行われる状況によってそのもつ意味は異なっている。たとえば、既存の複数の国家が合意によって新国家を作る場合のように(1871年のドイツ帝国連邦の形成など)、新国家の成立について争いのない場合には、第三国による承認は宣言的効果しかないが、新国家が内乱を経て分離・独立する場合などには、本国は新国家の独立をなかなか承認しないのが普通であって、この場合には新国家と外交関係を樹立しようとする第三国は、この新国家を承認してその「国際的人格」を確立しなければならず、承認には創設的効果をともなうことになる」

香西茂、太寿堂鼎、高林秀雄、山手治之「国際法概説 第4版」有斐閣双書、2001年、82ページ

 

3つめは山本の意見である。これは上記とは少し別の立場から説明しているものである。

 

 「宣言的効果説は、新しい国家について、実効的支配の確立の有無・程度を基準にして、承認問題をとらえようとする事実主義に立つものであり、・・・妥当である。ただし、国家成立の事実がそのまま単純に法的な確認を伴うのではなく、そこには支配の実効性の有無という基準による法的な評価・認定が入らざるを得ない。とくに各国の国内裁判所では、具体的な争訟にさいして、新国家成立の時点の確定がしばしば争点となるのであり、その認定は主観的・個別的なものとなる。また、たとえ実力による支配の事実があっても、そのために用いられた手段が国際法に違反する限りは、その地域に対する有効な領域権原の取得とはみとめられない。したがって宣言的効果説の一般的な妥当性がみとめられながら、その枠組みのなかでなお部分的に、創設的効果説に基づく法的な評価・認定のはたらく場合があることも否定できないのである」(山本草二『国際法』175-176 ページ(有斐閣、新版、1994)(一部略)

 

いつ新国家が成立するか、つまり台湾という国家が成立するかが争点となるとき、しばしばその認定は主観的・個別的になるというのである。これは中国の主観であり、中国と台湾という二つの主体の場合に個別的に判断することになる。ここで中国の承認が必要になる場合は、それを創設的効果説が有効になる場合も考えられるわけである。

要するに、一般に宣言的効果説が主流であったとしても、創設的効果説を全面的に否定してしまうことは問題がありそうである。少なくとも、ある事例について宣言的効果説ではなく創設的効果説を採用する国家があったとしても、それを非難することはできないし、否定することもできないということである。