(4-2)雄安新区は計画通りの都市になるか | 中国について調べたことを書いています

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1.中国広東省の深セン経済特区の成立過程
2.香港・六七暴動
3.農業生産責任制と一人っ子政策
4.浦東新区から雄安新区へ
5.尖閣問題の解決策を探る
6,台湾は国家か

 

計画では、2030年に環境に配慮した住みやすいスマートシティー、ハイテク都市ができるという。そして新区の面積は、まずは100平方キロ、中期的には200平方キロ、長期的には2000平方キロにするという。(読本p.12)2000平方キロというのは、ほぼ東京都と同じ広さである。人口密度は1平方キロ当たり1万人にするという。(読本p.18)「戦略」p.93では200万から250万人の人が住むことになるというが、これは200平方キロの場合のことを言っているのであろう。人口密度は決して低くない。長期的には人口2000万人の大都市になることになる。

 

 その雄安新区は具体的にはどのような都市になるのだろうか。

 

2018年4月14日に発表された「河北雄安新区規画綱要」最後の附表には2035年までに実現すべき指標が38個示されている。これらの指標は大きく「知能創造」「緑の生態」「幸福さと住みやすさ」の3つに分かれている。(読本p.49-50)研究開発費の地区GDPに占める割合、高速ブロードバンドの普及率、森林の占める割合、エネルギーなどの供給の保障率、PM2.5濃度、15分以内の生活圏の達成率、一人当たりの公共サービス施設や体育施設の面積などといった指標である。

 

これらの指標は多くが目標を達成するであろう。これは国家の威信をかけてでも達成させるであろう。そして、ハイテクで、環境もよく、住みやすい都市として大いに宣伝されるであろう。

 

深圳をはじめとする経済特区が、広東省や福建省に作られた理由として、首都から遠く、もし失敗しても首都への影響が少ないからという考え方もあったとされる。しかし、雄安新区は、首都そのものの改革を目指すもので、いわば党中央のお膝元である。深圳は、失敗覚悟でやってみた、でもよかった。結果として失敗したとしても、地方の幹部あたりに責任を取らせ、中央のトップが責任を逃れることも可能であっただろう。しかし、雄安は決して失敗できない。

 

しかし、実際に本当に住みやすい、すばらしい都市ができるかどうかは疑問である。

深圳と浦東の試みは、国としては画期的で大きな挑戦であった。しかし、これらの仕組みは資本主義の世界では、当たり前のように機能し、経験を積み重ねてきているものであった。中国ではこれらの仕組みを社会主義市場経済という名前を付けて呼んでいるが、その本質は資本主義の世界で行われている市場経済そのものである。その違いを上げるとしてら、それは社会主義市場経済は共産党のコントロールのもとにあるということだけである。(渡辺利夫「社会主義市場経済の中国」講談社現代新書、1994年)

 つまり、深圳で浦東で行われたことは、資本主義社会で行われ、成功している仕組みをそのまま使用することであった。当然、同じようにやれば同じような結果がでることは予想できた。深圳で安価な労働力を最大限に生かした加工貿易をやったが、それは新興国であった日本や韓国が行ってきたことであった。浦東に国際的な金融センターを作り、証券や株を扱う証券取引所を作り、そこに証券会社や銀行を集中させようという試みも、ニューヨークやロンドン、東京といった金融都市が行ってきたことであった。

しかし、雄安はそうした資本主義の成功例をモデルとして行うものではない。あるいは、ブラジル、オーストラリアといった首都を移転した経験を持つ国をモデルにすることは可能ではあろう。また、首都機能を一部移転しようという例も、例がないでもないだろう。しかし、それと同じような結果を雄安が求めているかというと、必ずしもそうではないようである。

そうなると、深圳と浦東は先例に倣うことができたが、雄安はできない。成功か失敗かという見通しも立ちにくい。

 

人口の問題ひとつをとってみても、計画通りに250万人の人口にできるのだろうか。

いくら都市としてのインフラや環境が素晴らしくても、いい仕事がなければ人は集まらない。いい企業が集まってこなければ、人は来ない。

反対に深圳や上海のような成功を収めれば、仕事を求めて人は集まってくる。そうすると、人口を250万人に抑えることができるだろうか。人口の流入を抑えれば、北京のように非正規の人口が増えることにもなる。そして、人口2000万人の大都市になったとき、それが北京と同様、都市の中心部に集まってしまえば、雄安が大都市病になってしまうことになりかねない。

市場の原理と、戸籍での制限をうまく組み合わせて、人口をコントロールしようというのがトップの目論見であろう。雄安が大都市病にならないように、という方策も考えられている。(読本p.83-84)しかし、それはむろん簡単なことではない。

 

雄安の将来は前途多難であることを指摘する人は多い。というよりは、ネットの記事などを見る限り、雄安が深圳や浦東のような成功を収めるという楽観的な予測を立てている人は皆無だといってもよい。「鬼城」(ゴーストタウン)になるだろうと予想する人も多い。

あるいは、中国各地にあるいくつもの新区のような、ほどほどの都市にはなるのかもしれない。長期政権を築いた習近平の強い政治的権力によって、それが強引に「大成功」であるということにされるのかもしれない。さらには「千年の計画」であるということで、永遠に「建設中」ということにされ、成功かどうかの判断はなされないまま終わるということになるのかもしれない。

いずれにせよ、その成功は経済的なものというよりは、政治的なものになりそうである。