(2-4)協同発展の考え方枠組み | 中国について調べたことを書いています

中国について調べたことを書いています

1.中国広東省の深セン経済特区の成立過程
2.香港・六七暴動
3.農業生産責任制と一人っ子政策
4.浦東新区から雄安新区へ
5.尖閣問題の解決策を探る
6,台湾は国家か



 2014年8月12日に張高麗が京津冀リーダー小組の組長に就任したことが報道された。

张高丽任京津冀领导小组长 将啃硬骨头动利益 2014年08月12日


 この小組がいつ、どのような経緯で成立したのかは不明だが、おそらく習近平の指示で、この頃に成立したのであろう。そして、習近平が張高麗を組長に任命したのであろう。この小組が京津冀協同発展計画の実質的な推進役となり、張高麗がこの計画推進の中心になってゆく。

 張高麗は当時、党の政治局常務委員であり、国務院副総理を務めていた。広東省での経済方面の経験が長く、1997年から2001年まで深圳市の党委員書記も経験した。このころ、習近平とその父親である習仲勲との関係を築いた。その後、山東省と天津市のトップとして実績を積み、2007年に中央に引き上げられた。2012年に党総書記に就任した習近平によって党政治局常務委員(序列7位)に抜擢された。
 張高麗がこの計画のリーダーになったのは、習近平との関係の近さだけでなく、主に経済特区のある深圳市と、濱海新区のある天津市での経験が大きかったと思われる。

 この小組の最初の役割は、この計画の全体的な考え方の枠組みを検討することであった。おそらくは8月中に第1次、第2次会議が行われ、そこで考え方の枠組みが検討されたのだろう。そして、それが概ねまとまってきたのが、2014年9月4日、京津冀協同発展リーダー小組第3次会議であったのだと思われる。この日、北京で開かれた会議についての張高麗の講話が新聞で報道された。

张高丽:尽快完善京津冀协同发展规划总体思路框架 2014年09月04日 证券时报网

 おそらく、これが張高麗が初めて公に京津冀協同発展のリーダーとして公の場に現れたものである。
http://money.163.com/14/0905/09/A5CAMEQK00253B0H.html#from=relevant#xwwzy_35_bottomnewskwd

 この会議では、「京津冀協同発展規画の総体的な考え方の枠組み」(京津冀协同发展规划总体思路框架)」について話し合われた。国家発展改革委員会の報告を聞き、主に北京、天津、河北の位置づけについて話し合われ、「交通の一体化」「生態環境の保護」「産業協同発展」の3つが重点領域であるとされている。
 この年の2月26日(北京の座談会)の段階で、北京の位置づけは述べられているので、ここでは主に天津市と河北省の位置づけについて話し合われたのではないだろうか。
 また、この段階で新聞発表されたということは、大筋ではこの第3次会議で考え方がまとまったと考えてもいいように思える。

 2014年10月17日に 「京津冀協同発展規画の総体的な考え方の枠組み」が承認された。(おそらく党中央によって)
 張高麗の「枠組み」についての発表から1か月と少し後のことである。この承認にあたって習近平は、「現在、京津冀三地の発展の格差は大きく、一斉に歩んでゆくことはできない。平面的に推進しても、格差を拡大してはならない。実際から出発し、条件のある区域を選んで、まず推進し、試行地の示した範を通して、他の地域の発展をもたらす」と述べたという。
 もちろん「条件のある区域」がどこであるかは、この時点では決まっていない。この「考え方の枠組み」はあくまでも考え方を示すものであり、具体的な計画内容や場所の検討は行われていないのであろう。

 「考え方枠組み」が承認されたことで、このあと「協同発展綱要」の作成作業が始まったと思われる。時期区分で第1期から第2期へと移る。

 この時期の「協同発展」関連の出来事を3つ記しておく。

 ひとつめは、2014年12月9日~11日に、中央経済工作会議でこの「協同発展」について触れられたことである。この会議は当時のトップの7名(習近平、李克強、張徳江、兪正声、劉雲山、王岐山、張高麗)による会議である。
この会議で習近平は、「一帯一路」「京津冀協同発展」「長江経済ベルト」の3大戦略を重点的に実施して、良好なスタートを切ることを目指すと述べた。

 

中央经济工作会议在京举行

 「一帯一路」は、中国西部、中央アジアを経由してヨーロッパへ至る陸の「シルクロード経済ベルト」=「一帯」と、中国沿岸部から東南アジア、スリランカ、アラビア半島の沿岸地域を経てアフリカ東岸へ至る海の「21世紀海上シルクロード」=「一路」を指す。この壮大なプロジェクトは、これらの地域に中国の投資で道路や港湾などのインフラを整備し中国主導の経済ベルト地帯を築こうというものである。

 また、「長江経済ベルト」は、上海から長江をさかのぼり、江蘇、浙江、安徽、江西、湖北、湖南、重慶、四川、雲南、貴州に至る長江沿岸地域の一体化した経済発展を目指すものである。

 この3大戦略はいずれも十年、二十年、あるいはそれ以上の年月をかけなければならない大プロジェクトであるが、2015年をその始まりの年にしようとしたのである。国際的には「一帯一路」が大きな話題となったが、習近平としては「京津冀協同発展」も、同じくらい重要な位置づけにあると考えていたのであろう。

 ちなみに、「読本」(p.229)によれば、この会議で、「京津冀協同発展」の核心は非首都機能の疏解であり、北京の人口密度を下げ、経済社会の発展と人口・資源・環境とのお互いに適応されてゆくことであるとも述べたという。

 2つめは、2014年12月26日に張高麗が主催で「京津冀協同発展工作推進会議」が開かれたことである。(戦略p.63)
 この会議がどんな会議で、小組とどんな関係があるかは不明だが、「京津冀協同発展のトップレベルのデザイン(頂層設計)はすでに段階性の成果を上げた。次の一歩は工作の重点を総体計画の策定から、実施の推進へ転向させる」と張高麗は述べている。
この「トップレベルのデザイン」「総体計画」は、おそらく「京津冀協同発展規画綱要」(京津冀协同发展规划纲要)のことを指す。これが、この時点で草案のようなものができたということであろう。

 3つめは、年が明けて2015年2月10日に中央財経リーダー小組第9次会議が行われ、「京津冀協同発展規画綱要」について審議されたことである。
 これまで、この「要綱」については、報道されておらず、ここで初めて登場する。しかし、前段で記したように、2014年12月の段階ですでに草案のようなものはできていたはずである。そして、おそらくはこの時点でほぼ内容は固まっていたのであろう。
ここで習近平は「多点一城、老城重組」(都市を一つ増やし、古い都市をもう一度組織する)という考え方を出した。つまり、新しい都市を一つ作り、古い都市(北京)を改造するというのである。新しい都市を作ることや、そこに北京の非省都機能を移すこと、大都市病の解決を図ることとといったこれまでの考え方と変わってはいないが、習近平自身の口から、新都市建設という言葉が出されたことは、大きな意味がある。これまで様々な形で新しい都市を作ることは示唆されてきたが、明言はしてこなかった。しかし、ここではっきりと「多一点城」と明言したわけである。つまり、これは「綱要」がほぼ固まって、次の段階に進めることを習近平自ら言ったということになるからである。