こうした中央の動きに、各地方でも自主的に声を上げる動きが1978年の末ごろから現れてくる。
もっとも有名なのは1978年12月に天津医学院(現在の天津医科大学)の44名の女性教師が「一人っ子提議書」を出したことである。
主な内容は、以下のとおりである。
「我々44名の同志は全て天津医学院の教職員であり、大部分が30歳前後の既婚者であり、子供は一人しか産んでおらず、しかも少なからぬ同志は女の子を一人産んだだけである。ここ数年、我々は党の話を聞き、真剣に計画生育を実行し、革命のために子供を一人しか産まず、多くの精力と時間を教育に使い、医療と科学研究において、三大革命の第一線で精力的に戦ってきたのであり、多くの同志は政治的にも業務的にも急速にレベルアップしてきた。・・・(中略:両親と子供の健康、家庭生活、教育、徳智体の健やかな成長などのために)・・・我々44名の同志は、ここに意見を表明し、全市のまだ子供を産んでいない同志と、子供を一人しか産んでいない出産適齢期の夫婦の同志に対して提議を出す。党と国家の呼びかけに応じて、革命のために子供は一人しか産まないことを」
“为革命只生一个孩子” 2008年11月20日
津报网-天津日报 津报集团《城市快报》记者 郭玲
http://news.sohu.com/20081120/n260743132.shtml
また、この同じ時期に、同様に「革命のために一人しか子供を産まない」(为革命只生一个孩子)と宣言した山東省煙台地区栄成市の100組以上の農民の夫婦がいたというエピソードも見られる。四川省什邡県委員会が一組の夫婦は一人しか産まない旨の措置を取り、国務院に報告され全国にも紹介されたという。また、似たような話が北京でもあったという。
この時期に複数の場所でこのようなことがあったと考えたほうがよいだろう。
ただ、そのなかでもっとも宣伝に使われたのが天津医学院のエピソードだったということなのではないか。
天津医学院が一人っ子政策の始まりだという記述は多く見られる。
確かにこのように下からの自主的な動きがあれば、それがきっかけとなり、自ら「子供は一人しか産まない」と宣言する人が次々と出てきてもおかしくはない。
しかし、こうしたエピソードが何らかの宣伝に利用されているような感じがしないでもない。もちろんこういう事実はあったのだろう。具体的な名前まで記されているものもあり、そうなるとおそらくは事実である。しかし、この天津医学院の女性たちが、完全に自主的に自分たちの意思のみで、こうした宣言をするとは少し考えにくいようにも思える。また「革命のために」という言葉にも、強い政治性が感じられる。この背景には、何らかの形での政治的な教育があったと思われる。それは、大躍進運動や反右派闘争、社会主義教育運動や文化大革命など、全国的に広まった運動にも似通った部分がある。そうした教育や思想工作によって、下から自主的に宣言をする、という形に持って行かれたという部分があるのではないか。
また、この女性たちの行動が、後にこれに続く人が現れるようにという宣伝のために大いに利用されたということも考えられる。
このような事例が宣伝に利用された理由は定かではないが、「子供が多いことはいいことだ」という伝統的な考え方から一人っ子政策に反対する意見を抑え込むためだったとも考えられよう。上から一方的に二人目は産むなと抑え込むよりも、下から自発的に二人目は産まないと宣言することを促したかったのではないか。
"为革命只生一个孩子":独生子女政策出台始末
http://history.eastday.com/h/20131117/u1a7779540.html
一封倡议书催生独生子女政策
http://epaper.qingdaonews.com/html/lnshb/20110114/lnshb199873.html