今回は、リテラシー能力をもっと高くしないと、「ウィズコロナを人類が選択したので、永遠に続く事になったコロナ禍時代」や、「2030年クライシス(2030問題)(原油が完全にゼロに枯渇しても国家や社会を運営していける状態を2030年を目処に終えていなかった国家が滅ぶ問題など、けっこうたくさんある"次が存在しない"、"先送りが不可能なので、先送りすると死"のタイムリミットの事)」以降に生き残れる人は、もうだいぶ少ないだろうという事で、リテラシーについて最低限知っておかなければいけない事を書いておきます。
昭和の世代ならば知っているような内容ですが、すでに、昭和の世代の知識を知っている人が減っているからです。

(学会・学閥フィルターバブル、エコーチェンバー)
現在の「情報社会」のやり方の手法は、すでに古くさい手法であって、かえって、「学会フィルターバブル、エコーチェンバー」によって、リテラシーが低くなる傾向がある。
現在の「情報社会」のやり方の手法の根幹は、
(1)「ソース(引用元)を提示する」
(2)「ソース(引用元)の箇所について、
・ソース(引用元)への批判とその根拠の提示
・ソース(引用元)が正しいと思われる情報の追加
・それに関連する情報の追加・補填
なんかの手法のやり方を標準としているが、この手法が、そもそもリテラシーとして正しい手法なのか?というとそうでもなくて、むしろ、「学会フィルターバブル、エコーチェンバー」によって、リテラシーが低くなる傾向がある。
平たく言えば、例えば、大学に入ったら、現在は、「学問の追究の為に大学に入る生徒はいない」のであって、「単位を取得したいから大学に入るだけ」であるので、「どうでもいい、ある大学の先生の間違っているかもしれない学説を信じ込まされないとテストで評価が与えられずに落第する」という愚かな脳を自分に作る為に大学にわざわざ行くという馬鹿な選択肢を選ぶ学生や大学教授が多い。
要するに、テストでは、「通説を暗記させられた項目の羅列だけ書けば、いい点が取れ評価される」ように、「学会フィルターバブル、エコーチェンバー」形成の為に洗脳されているのと全く同じ状態です。
本来ならば、きちんとした「学問を追究する大学」であれば、「どうでもいい、ある大学の先生の間違っているかもしれない学説に対して、真っ直ぐに、間違っていると言える生徒や、大学の先生の作った通説暗記問題に対して、そのテスト問題自体に異論を唱えるだけの気概を持った生徒」位、賢い生徒で無いと、リテラシーも、ノーベル賞学者も育たない。
「ソース(引用元)を提示する」ようなタイプの古くさい手法では、もう、「ただ学会フィルターバブル、エコーチェンバーを形成するだけ」でリテラシーとして役に立たない。
「フィルターバブル」というのは、「自分の見たい情報のみを選択的に選び、見たくない情報を完全にシャットアウトする状態の脳を形成する」事です。
学会や大学の先生のテスト問題などは、「どうでもいい、ある大学の先生の間違っているかもしれない学説を信じ込まされないとテストで評価が与えられずに落第する」わけですから、生徒の脳に対して「フィルターバブル」を形成させられるわけです。
「エコーチェンバー」というのは、「やまびこ現象」の事で、こうやって「フィルターバブルを形成した学会、学閥などの中で発言しても、同じ認められた発言以外は返事が返ってこなくなり、やまびこのように、同じ意見のみを全員が言うようになる現象」の事です。
こんな状態では、「大学に行った方が馬鹿になりますね(というか、そういう状態は、洗脳と言います。「自分の頭で考える事をさせてもらえない」、「自分の頭で考える脳の衰えを作る」為に大学に生徒は行っているわけです)」

(カウンターデモと資本主義の組み合わせ)
デモで行われる「カウンターデモ」というのは、当然、学会や学閥同士で、リテラシーとは無関係な不毛な争いが繰り広げられる。
さらに、ここに資本主義が組み合わさって、「学会や学閥に対しての資金提供」などが組み合わさっているので、さらに、「リテラシーとは無関係な不毛な争い」が過激化して、「ただの、意味の無い、資金提供獲得の為の相手のつぶし合い」に変わる愚かな学問外の争いの方が、「世の中の主流情報を占める」ようになり、かえって、学会や学閥が出している「正しいとされる情報」の方が間違っている事が多くなった。
さらに、ここに、「ファクトチェック」と称して、学閥や学会にとって不都合なネット情報の削除し合いが行われていて、「ファクトチェック業者にお金を払えば、ファクトチェック結果は、お金で買える時代になっている」
ここまで、学会や学閥が腐ってしまっていては、もう「ファクトチェックされた情報」=「都合の悪い情報が削除された検閲後の情報」の意味にしかならないので、学会、学閥、国家が示してくる「正しいとされる情報」の信憑度が一気に下がる時代になった。

(プロパガンダ教育、インドクトリネーション(indoctrination))
もともと、学校教育と言われるものは、日本でも世界でも、大体どの国でも、「プロパガンダ教育」目的の為に行っていた戦中の歴史背景があります。
昭和の人間ならば誰でも知っている通り、日本の戦中には、「教育勅語」思想の植え付けを子供に終える事を目的としていたのが学校と呼ばれるものだったので、学校を出る頃になった子供のほとんど全ては、「お国の為に死にましょう」、「天皇の為に死にましょう」と口々に言う狂った子供達を大量に作って悲惨な事になった。
現在、日本では、戦中の反省から、学校教育内での、「プロパガンダ教育」は禁止されたが、やはり、元が悪いまま引き継いでいる箇所も残ったままなので、現在では、「資本主義社会や会社で取り扱いやすい人間に調教する過剰な協調性教育が正しいと信じ込まされる」のが日本の教育の異常な所です。
だから、日本の「過剰な協調性教育」の結果、「他人と違う意見を言った人は、ボコボコにリンチされる、いじめ社会を日本では形成した」
こういう、「全員、同じ決められた事だけを言う人間牧場を育てる」事をする国家運営の仕方を「ディストピア(管理社会)」といって、ヒトラーのナチズムを引き継ぐ中国共産党やロシアなどの社会主義に多いやり方だが、日本も、実は知らない間にその傾向が学校教育の中でも出ているという事です。
「プロパガンダ教育」より、もっと怖いのが、「インドクトリネーション(indoctrination)(洗脳)」で、辞典の書き方だと、「宗教教義や政治思想の脳への刷り込み教育をする事」です。
「プロパガンダ教育」を受けた生徒は、全体の3割位は、「何か変だな。教えられた内容は間違っているのではないか?」と気が付いていますが、「インドクトリネーション(indoctrination)(洗脳)」を受けた子供は、「盲信」の方に入ってしまっているので、かたくなに、「インドクトリネーション(indoctrination)(洗脳)で擦り込まれた情報以外を拒絶するようになっていく」
結果起きたのが、「イスラム過激派」、「ヘイトクライム」なんかです。
基本的には、「全員、同じ決められた事だけを言う人間」になった社会では、全員、同じ意見しか言えなくなるので、未知の社会問題が発生した時に、その問題解決方法を誰も見つけられずに絶滅する。
「問題解決方法を見つけた、他人と違う意見を言う人」が現れた瞬間に、全員で、ボコボコにリンチして排除してしまう社会を形成するからです。
この「全員、同じ決められた事だけを言う人間だけを作る社会」に似た社会を形成しているのが、実は、「昆虫」などの「ハイブマインド」と呼ばれる行動パターンで、「全員誰1人として、すでに考える脳を持っていない」状態です。

・ペーパーテスト重視(暗記させられたものが全部正しいと信じ込まされる教育の仕方)の結果、そうやって育てられた子供が大人になると、リテラシー能力がまったく育たずに、「書いてある情報は全て正しい」と間違って勘違いするような大人に育つ。
結果、「ネットに書かれている情報」をそのまま伝播させるだけの存在の大人になるので、フェイクニュースが蔓延しやすい状態を形成する。
「ペーパーテスト重視」で、「暗記させられたものが全部正しいと信じ込まされる教育の仕方」を受けた子供や大人達は、とにかく困ったら自分の頭で考えたり判断したりしようと努力せずに、「書いてある情報を探しにいく」という行動に先に出る。

(本当の学問のあり方)
・<「同意(イイネ)」しかできない思考回路パターンの場合>先に結論から入らない
現在、ネット社会になってから多いのが、「フィルターバブル(自分の見たい情報のみを選択的に選び、見たくない情報を完全にシャットアウトする状態の脳を形成する)」の結果、「先に、自分の心の中で、結論の回答を持っていて、その回答に合致する意見のみをネットや本などから探し出して、それのみを信じるという順番で思考回路を形成している」人が、どんどん増えている。
ネットやSNSの「フィルターバブル」の中で長く暮らしている人達は、「自分の持っている意見に批判的な内容を読むのに耐えられる精神力を持っていないので、批判的な意見を目にした瞬間に心を閉ざしてしまう」
今、フェイスブックがやっている「メタバース民」が、そのような、状態に陥っていく事が目に見えているので、「メタバース」から、新しいイスラム過激派や、白人至上主義者や、いろいろなマイノリティーの過激派が誕生する場所に、将来的になっていく事があらかじめわかっている社会学現象が、「フィルターバブル」や「エコーチェンバー」現象と呼ばれるものです。


・通説を疑え
すでに、現在の段階で、古くさい手法により「学会・学閥フィルターバブル、エコーチェンバー」によって、リテラシーが低くなる傾向があるので、むしろ、資本主義と結びついてしまったので、学会や学閥への資金獲得の為に、「正しい情報を曲げている」事も多くなったし、お金が絡むので、「ファクトチェックと称して、ファクトチェック業者にお金を支払えば、ファクトチェック結果は金で買える」ので、どんどん信憑性が低くなっている傾向が見られる。

 

・「A説」、「B説」のように脳内管理する
この世にある全ての情報は、あらかじめ正しい事がわかっている情報など存在していません。(「~月~日に誰が~と発言した」という報道時事情報だけ固定で1つの正しい真実情報は存在しているが、そういった性質以外の未知の情報は、「先に結論が存在している情報など存在しない」)
どのような小さな発言であっても、未知の問題を解決できる糸口になる事が多いので、まずは、「ディベート(討論)」脳に慣れていない人は、「A説」、「B説」のように脳内管理するクセを付けると、いろいろな複雑な事象に対して、臨機応変にすぐに対処できる脳に育ちます。
役に立たないと思っていた側の説や発想が、新しく発生した問題の時に解決の糸口になる事が多々ある。
この原因は、「自分自身にある固定観念が問題解決を妨げている事が多い」から、むしろ、「自分とは逆の立場の人や、まったく独創的な発想からの切り口が問題打破の解決の糸口になりやすいです」


・わからなくても未知の現象でも、思いつきでも、どんどん発言しよう
ほとんどのノーベル賞学者などの発想の根幹となっているのは、「セレンディピティ(serendipity)」と呼ばれる、「全員が同じ事しか発想できない社会の中で、新しい独創的な着想に出会う事から開始する」
現在、「ディストピア(管理社会)」になりかかっている段階なので、もう少しすると、「全員、同じ決められた事だけを言う人間だけを作る社会を形成する」段階に入ると、どんなに突飛でも、わからなくても未知の現象でも、思いつきでも、そういった発想の方が大事になってきます。
「デマ規制社会」というのは裏返せば、「ディストピア(管理社会)の内側で生きる人達が、常識と違う事を言っている人がいる事に対する恐怖心を持っている段階に入っている」とも言えるので、社会学では、むしろ危険な兆候とも言える。
だから、本来の学問のあり方というのは、「ディベート(討論)」が基本であって、「あらかじめ、フィルターバブル、エコーチェンバー現象によって、自分の見たい情報のみを選択的に選び、見たくない情報を完全にシャットアウトする状態の脳を形成する自閉症や心を閉ざした人達を多く作る事を目的としていない」し、「発言する機会を全て奪う事を目的としていない」
「自由発言」は、どんなにくだらない内容であっても、「人間的」であって、「全員、同じ決められた事だけを言う人間だけを作る社会を形成する」のは、「ハイブマインドを形成する昆虫と同じで、そんなものは人間では決して無い」
「2030年クライシス(2030問題)」の1つに、社会の「ディストピア(管理社会)」化というのがあるので、今回書いたような事に警戒するように。