父親。

何度も、こいつは頭狂ってると思った。

くどい、しつこい、こわい。K.S.K。

ヤクザみたいなのが毎日、毎晩、クレームをしてくる。
誰でも逃げ出したくなるだろう。


父親は因縁つけが大好きだ。道徳やことわざ、世間体を丸暗記して押し付けるのも大好きだ。
いつも論点をどんどんずらしていくので、指摘すると、本人も、もう最初に何を怒っていたのか理解できなくなっていたりもする。


一度、あまりにくどく、話も変わるしどんどん大きくなるしで、「論点をずらすな」と、反抗したことがあるのだが
なんと
「論点ってなんだ?難しい言葉でごまかすのは、いいけど(イヤミ?当て付け?のような口調)、おれが言いたいのは違うんだ!!だから…(また延々と続く)」
と、余計怒りだしたことがある。
反抗したはずのわたしも、ポカーンだった。
開いた口がふさがらないとはまさにこのこと。

論点って言葉の意味を説明するか、もっと易しい言葉で説明しないと、通じない。

めんどくせー。

そう、父親をまともに相手してると疲れるだけだ。
だから、もう折れて、自分の部屋に早く帰りたくなる。
だから、とりあえず謝っておく。ムカついても、納得いかなくても、どんなに理不尽でも、謝って終わりにするしかなかった。


その上に、クレームを論破されると、地団駄を踏む。いい大人が、じだんだ。
両手、両足、体中を使って、最大限の怒りを表現する。そう、じだんだ。じだんだです。

地団駄した挙げ句、家に火つけるぞ、と脅し、それでも簡単に論破されてしまい、それでも自分の馬鹿さを認められず、カーテンに火をつけたこともある。


まるで、韓国人。

自分の問題を日本のせいにするために、暴れたり、火をつけたり、指を落としたり、歴史を捏造して、話を逸らしていく。
それでもダメなら、テポドンを日本海へ落とす。(北朝鮮だけど)


似ている。


しかし、父親は日本人だ。在日朝鮮人でもない。代々日本人。


ふと、ウツのとき知った人格障害を思い出す。
クレーマー、人格障害…
検索した

そしたら、出るわ出るわ、人格障害とクレーマーの関係。

なるほど納得。
毅然とした態度で関わらないのがベストだそう。

親子じゃなければ、とっくにそうしたよ(涙)。
ここまで、負のパワー大全開で書いた。

過去を客観的に見れたら、また回復につながるのだろうか。


うーん、親を許すのは無理。無理で、いい。
道徳とか世間体で無理に許したら、また同じこと繰り返して、ブログに大連投して、それしか考えられなくなって、睡眠不足になったりするんだ。きっと死ぬまで、繰り返す。
だったら、許せなくていい。


客観的に?見ると、変人の父親と悪魔のような母親のもとに産まれた。それだけ。

優しいところもあったはずだけど、あまり思い出がない、記憶がない。


なんくせ、因縁つけの、しつこいクレーマーのような父親
批判、妬み、卑しさにまみれた母親
2人から、支配されて、感情も出せず育った。

それだけ。


ただ、本当に自分でビックリしたのは、母親の異常さに、全く気づいてなかったことだ。
そこらの推理小説なんかより、ビックリした。


夫婦喧嘩では、一生懸命母親の味方をした。母親の代わりに、父親に反論した。
わたしは、なんて優しいのだろう。とほほ。


反論しているうちに、親子喧嘩になる。
母親は捨て台詞を残し、寝室へ行く。
残ったわたしが父親のストレスの捌け口。何時間も脅され続ける。母親は助けない。せいぜい、「あーうるさい」。

お前のせいで喧嘩してたのに。とほほ。


母親は父親にたいしても、わたしとほぼ同じことをしていたに違いない。
どんなに、どんなに仕事を頑張っても、労いの言葉もなかっただろう。
逆に、給料が少ないとか、労働時間が長いとか、休みなら、なんで家にいるんだ?とか、いつもいやそうに、迷惑そうに言われていた。
せっかく家族を養うために、必死で見つけた仕事までアラ探しされていたに違いない。
いい仕事に就けば就くほど、母親の妬みの対象になってた、やっかまれ、ダメ出しされてたに違いない。


元々、変人クレーマーの父親がストレスで、余計変人クレーマー、もう、クレーマーの最上級になっていたんだろう。


本当に、母親は、負の塊のような人間だった。
それにやっと気がついた。負の原因は、母親の負のパワーだった。
そんな母親は体も負のパワー、ガンに侵され、ガンまみれで苦しんで死んだ。
なんちゅーオチなんだろう。

こんな、母親のような人間が存在するんだ。こわい。鳥肌が立ちます。


事実は小説よりも奇なり。
ペンから火が出るほど書いて
左手が腱鞘炎になるほどブログに書いた

スッキリした。
イライラしなくなった。


異常な親の行動は、いつも友達に愚痴っていた。
あの頃の友達がいなかったら自殺でもしていたかもしれない。

でも、幼少の頃の感情は誰にも言わず、蓋をしてきた。
そんな子供の頃のことを話してもなにも生まないと思っていた。

吐き出したら、楽になった。
離人症が消えて、未来が楽しみになった、生きてて幸せだと思った。


「なんでも親のせい、人のせいにしてはいけない」
「だって親じゃないか」
「子供を思って仕方なくそうした」
「子供が憎い親がいるわけない」
「あのときはお前が〇〇したからだ」
「親をバカにするとバチが当たる、因果応報だ」


父の得意な道徳の押し付けが聞こえてきそうなもんだが
ACの人に限って、耳を貸してはいけない。絶対にいけない。
道徳は正しいが、こういう親が使う道徳は間違いだ。
必ず、間違っている。
自分の言動の正当化にしか使わないから
子供を支配することにしか使わないから


しかもこんな道徳が、幼児に通じると思っているんだ。
二歳、三歳の子供に、こういった道徳を押し付け、自分の都合のいいようにしてきたんだ。
乳幼児にも、こういう道徳やことわざが通じると思っている。

子供らしく、はしゃいだり、笑ったり、泣いたり、甘えたりすることを禁じ
自分の都合に合わせて振る舞うようにしたんだ。


母がなにかに怒っていれば、わたしも怒った。
気に入られるため、捨てられないため、合わせた。

父が笑っていれば、無理矢理笑った。
気に入られるため、捨てられないため、合わせた。

産まれてわずか数年で、そうなった。
せっかく産まれてきたのに、大きな声で自由にはしゃぐこともできず、親の顔色を伺って、親が必要とする感情を演技した。

なぜ、そこまで親に気を使わなければならなかったのか、家でも緊張してなければならなかったのか
悔しい。正直、とても悔しい。
幸せになる可能性や希望は、まだ人格もできあがっていないうちに、全て親に打ち消された。


お腹が空いたら、ご飯を食べたい、ご飯は親がいないと食べれない。
仕方がなかった。


しかし、わたしは親を選んで産まれていないし
親の精子と卵子から始まった細胞の塊に過ぎない。


もし親を選べるならば、こんな親のもとに産まれるわけがない。
因果応報や、輪廻転生なんて言葉は、不安な人が安心するための、幸せな人が調子に乗り過ぎて、人を傷つけたりしないための考え方。
自戒のための考え方。

それはそれで、人生には必要な考え方だ。


でも、全てに当てはめたらいけない。


親を選ぶという発想は、愛のある、親子間で育む幸せな感情。
もっともっと、幸せになるために、自分のために相手のために、使う言葉。

AC家庭では、愛のない親子間で育む不幸な感情。もうわたしたちから逃げられない、逃がさない、というただの呪いだ。
自分も相手も不幸にしてゆく。


過去に縛られる時間が少しずつ減って
冷静に、親の特徴とか、今のわたしの問題とかが見えてきた。

未来に希望が見えた。
子育てできる気がしてきた。

わたしのような人間は、しつけをしない、くらいがちょうどいいらしい。
教えるだけで、しつけになるのかな。
ずいぶん楽じゃないか。びっくりだ。