ガボラのヴァナディール漫遊記 

ガボラのヴァナディール漫遊記 

日々の日記や好きなもののことを書いています。
最近『ヴァナ・ディール空想科学小説「がんばれ!がぼらん!」』という
ファンタジー世界の御伽話を執筆中。

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「小説家になろう」と言うサイトで小説を書き始めました。

 「頑張れ!ガボラン!」が書きたかったのですが、二次小説になる為に断念しました。

 見てみたいと思われる方は
 「創世のファンタジア」で検索してみてください。
 
 ガボランは出ませんが、ガボラが出てきます(笑)

 それにしても最近は転生ものと主人公が最強ものが多いですね。

 考えてみましたが、どちらもアイデアがちーとも浮かばん(笑)


 気が滅入っている時に、年若い二人の同志から日本橋見学に誘われた。

 久しぶりに歩き回り、額に汗かくことになったが、実に良い気分転換になり気持ちも晴れてきた。

 しかも昼メシと晩メシまでご馳走になり驚いた。

 なんと嬉しい事であろう。

 なんとありがたい事であろう。

 まさに感謝である。

 今度は倍返ししてやる(笑)


 日本vsポーランド戦について。

 パス回しで賛否両論出ていますが、私が思ったのは

 「西野監督すげぇな。」です。

 あの時間のないタイミングで選択肢は二つ。

 攻めて点を取りにいくか、1点差のままセネガルが負けるのを待つか。

 はっきり言うと、どちらをえらんでも博打です。

 しかし、この博打は大会ルールの生み出した選択肢であり、その結果に生まれた博打なのです。

 そして勝負に博打は付き物です。
 
 その博打で監督は1点差を守り切ることを選びました。

 あのまま攻めて、カウンターをくらって点差が開いたとしても、どのみち賛否両論あったでしょう。

 ですが、パス回しで凌いだとしてもセネガルが引き分けに持っていけば日本は、というより監督は笑いものになっていただろうと思います。

 サッカーファンからすれば、納得のいかない試合だったと思いますが、サッカー熱の低い私からいえば、ルールに当てはまった決勝進出のための正当な手段だと思います。
 
 あの状況で一番、リスクがあったのは監督です。

 どちらを選んでも監督は非難を浴びるでしょう。

 特に1点差を守っても、セネガルが引き分けになっていれば、監督は笑いものになっていたはずです。

 ヘタをすれば監督を解任され、二度と監督になれないかも知れません。

 それが監督という立場です。

 にもかかわらず、監督は自身にとってリスクの高い方を選びました。

 サッカーファンからすれば、点を取りにいって負けたとしても、

 「諦めずに頑張った!」

 「正々堂々とよくやった!」

 と賞賛の声が出たでしょう。

 しかし、その結果として決勝進出は出来ません。

 監督は自分への非難を承知のうえで、1点差を守り切ることを選んだのではないでしょうか?

 日本代表に決勝進出して欲しかったのではないでしょうか?

 私にはそう思えてなりません。



 
 



 

 
 年を経る毎に、昔の事を忘れていく。

 当然と言えば当然なのだが、そんな中でも強烈な出来事は忘れない。

 自分の生き方を左右したほどの出来事のように、今も心の中で太陽のように燦然と輝き続けるものもあれば、それと真逆に心の奥底にぽつんと置き去りにされたりする感情もある。

 今でも時折、昔の感情を思い出す事があるが、昔ほど感情に飲み込まれる事はない。

 では許せるのか?

 現時点では全く許していないし、許せるとも思わない。

 ただ、冷静に冷めた目で昔を思い出すだけである。

 火は高温になればなるほど、赤から白に近づいていく。

 変化という意味では、昔は真っ赤に燃えさかり、辺りに撒き散らしていた感情が、今はただ、灯のように小さく真っ白になっているだけである、

 怒りと言う感情は他のどの感情よりも解放しやすく、相手に伝わり易いと思う。
 
 それをコントロールするのは精神力であり、若いほど未熟である。

 年を経てかなりコントロールが出来るようになったと思うが、まだまだな気がする。

 ちゃんとコントロール出来るなら、そんな事は全く気にならないのだろう。

 人は悩みを解けば神に近づけられる。

 とすれば、悟りなど私にはまだまだ遠い所にある。

 人生は死ぬまで勉強ですね。
 

 



 

 
 なにやら土俵に女性が上がって問題になっているが、人道的だなんだとの批判に対して私が驚いたのは。

 土俵に女性が上がってはいけないという仕来りを知らずに相撲見に行ったのか?

 ということ。

 例えば自分の嫁が看護師やってて同じ状況になったとしたら、私は彼女に土俵に上がるなと言うだろう。

 理由は簡単。

 揉めるのがわかっているのに、そんな渦中に自分の嫁さんを放り込む旦那がどこにいますか?

 大半の日本人が忘れてしまっていると思うのだが、相撲はスポーツではないのです。
 
 五穀豊穣を願い、屈強な男達が神様に相撲を奉納するという、間違いない神事なのです。

 昔は相撲奉行という要職があ
ったのですから、柔道や剣道と発祥が全く違うのです。

 時代が変わればそれに合わせて変わるべきだと言う考え方を否定する気はないが、なんでもかんでもと言う訳にはいかないでしょう。

 時代が変われば、世の中の価値観が変わる訳ではないのですから。