1953年3月のこと。
夜十二時過ぎ。
澎湖に住む50歳の産婆の家の扉が、
激しくノックされました。
産婆は既に眠りに就いていたものの。
その大音に、目を覚まし、
扉を開けます。
するとそこには、
一人の軍服を着た男性が立っていました。
軍人です。
軍人は言いました、
妻が産気づいたので、
急いで来てほしい、と。
どこに住んでいるのかと尋ねると、
湖西村南方だと答える。
それは非常に遠い場所で。
夜中に行くのは大変そうでしたが。
当時の台湾において、
軍人の立場は非常に高いものでした。
産婆は断ることが出来ず。
軍人の運転するバイクの後ろにまたがり、
その家へと向かいます。
バイクは田野を突っ走り。
一時間ほどして、
一軒の、
小ぎれいな家に到着します。
産婆が低い門を潜り抜けて中に入ると、
そこには一人の女性がお産間際であり。
産婆はいそいそと仕事に取り掛かります。
やがて、問題なく、
一人の元気な男の子が生まれてきました。
産婆はひどく疲れましたが、
満足感と共に、
その家を後にしようとしますが。
手がひどく汚れていることに気付き。
洗うための水を所望します。
すると、その軍人は、
自分達は田野に住んでいるので、
水などない、と言い。
代わりに、一枚の紙を渡しました。
産婆はその紙で手を拭きます。
続けて軍人は、
産婆にお礼のお金の入った、
紅い封筒を渡します。
やがて帰り支度が済み、
産婆は軍人と共に家を出ますが。
ふと、まだ手が汚れていることに気付いた産婆は、
その手を門にこすりつけて汚れを落とし。
軍人と共にバイクに跨り、
無事に帰宅したのでした。
大変な夜でしたが、
全てが順調に終わり。
ぐっすり眠った産婆は、
翌朝早く、
孫の声で目を覚まします。
お菓子を買ってほしい、とせがむ孫に。
産婆は、昨夜貰った紅い封筒を思い出し、
「これで買ってきなさい」
と、封筒を渡しますが。
孫が中から取り出したのは。
5枚の冥銭(死者に備える紙のお金)だったのです。
産婆はひどく驚きます。
昨夜受け取ったときは、
確かにお金だったはず。
騙されたのだ、
そう気付いた彼女は。
急いで、
記憶をたどって、
昨夜訪ねた家を目指しますが。
どれだけ進んでも、
それらしい家が見つからないのです。
代わりに、見つけたのは。
一つの古いお墓。
左右には草がぼうぼうと生えており、
誰も参ることのないことが明らかな、
わびしい墓でしたが。
その墓石の上には、
産婆の手の形をした血痕が、
べったりとついていたのでした。