〝美しきアンダルシア女″ 、〝世界で最もスキャンダラスな女″
とも呼ばれたベルエポックの危険な仇花、カロリーナ・オテロ。
この女を愛したら最後地獄行き確定です。
近くにいたら絶対に嫌な人間No. 1
オテロは1869年スペイン南部の小さな村に生まれました。本名はアイグスティナ・カロリナ・オテロ。
しかし両親の仲は悪く、極めて貧しい暮らしをしていました
オテロの母親はジプシーの踊り子、父親はギリシャのゆきずりの船乗りだったのではと言われています
とにかくオテロの母親は男出入りが激しく、父親は母親の浮気相手と決闘し、自分が死んでしまいます。
そしてなんと母親は浮気相手と結婚
オテロは使用人として働きに出ていましたが、わずか10歳で雇用主から性的暴行を受けるなどして子供の産めない身体になってしまいました。
つらい体験ばかりだったオテロの10代。。
そして自分の生活に嫌気のさしたオテロは、14歳で交際していた男と家出します。
しかししばらくすると交際していた男性とも別れてしまいました。
その頃バルセロナでダンサーになりました。
オテロはバルセロナ一の歓楽街パレ・ド・クリスタルで歌もうたうようになりました。
深紅のドレスに身を包んで官能的なダンスを踊るオテロにベルリンのオルシュトレーダー男爵が夢中になり、オテロのパトロンとなり何不自由ない生活をおくらせました。
オシュトレーダー男爵はオテロに大きな屋敷や馬車、召使い、コックを与えました
オテロは臆面もなく男性に貢がせて贅沢三昧の暮らしを送りました。
オテロは火のように激しい性格であり無類の宝石好き、しかし愛嬌があり明るく知的で自信に満ちた態度を決して崩しませんでした。
また彼女の胸の大きさは語り草になるほど絶賛の的でした。。
オテロは賢明にも、財力があり権力がある男性ばかりを注意深く選んで自分の恋人にしました。
彼女と関係を持ったのは、モナコ大公アルベール1世、イギリス王エドワード7世、セルビア王ミラン、スペイン王アルフォンソ13世、ロシア帝国の大公、などなど、ヨーロッパの王侯貴族の半分をひざまずかせました。
オテロにとって男たちから贈られた宝石は、自分がいかに魅力的でいかに第一級の男たちから愛されたのかを証明するものでもありました。
また〝世界で最も危険な女″ という名の通りオテロに振られた男性の中には自殺するものもたくさんおりました。
(自殺者は6人ほどといわれています)
ロシアのニコライ1世の息子ピョートル大公はオテロを〝ニノチカ〟と呼んで大量の宝石を贈りました。
さらに
『お前のために破滅してもかまわないからどうか絶対に捨てないでくれ。』
とロシアの王子様まで言わせました
自分をめぐり決闘沙汰も日常茶飯事でオテロはやはり母親のジプシーの激しい血を色濃く受け継いでいたのでしょうか
オテロの被害者は止まらず、アメリカの大富豪ヴァンダービルトがオテロにヨットを貸したとき、オテロはちょうどカジノで50万ポンドの大損
持ち金のなかったオテロは貸してもらったヨットを勝手に売っぱらってしまいました。
それでも「ヨットくらい大丈夫だ」とあっさりゆるされちゃいます。
実に恐ろしく危険な女です
ベル・エボック華やかなパリでオテロは男から贈られた豪華な館で20人近い召使いを雇って大貴族顔負けの暮らしをしました
第一次世界大戦後、オテロは41歳で引退し、米ドルで1500万ドルの資産価値があるという建物と資産を購入しました。
彼女は大変な強運の持ち主で、2500万ドルともいわれる資産をためこんでいました。
しかし彼女は豪奢な生活を楽しみ、しばしばモンテカルロのカジノを訪れるなどして残りの財産をたちまち賭け事で失っていった。
彼女は段々と貧困状態に陥り、1965年にニースでホテル住まいをしていましたが96歳で心臓発作で亡くなります。
オテロの死後、遺品オークションが行われ、人々はかつて王侯貴族たちがこぞってプレゼントした宝石を見られると期待していましたが、実はオテロの巨額の財産はカジノに消えてしまっていたのです。
オテロの宝石コレクションの中にはナポレオン3世の王妃ユージェニーの愛用した36粒もある大粒の真珠のネックレスもあったという伝説もあります。
ベル・エボックとは19世紀末から第一世界大戦が勃発するまでのパリが繁栄した華やかな時代・文学のことです。
モナコにニース、コートダジュールの地中海に面した場所にたつホテルはオテロの胸の形をかたどったものと言われており、いかに彼女が影響力のある人物だったか伺いしれます。