「うちひしがれた国」の復活宣言と なでしこ優勝に英語メディア
英語メディアが伝える「JAPAN」なニュースをご紹介するこのコラム、今週はサッカー女子日本代表のワールドカップ優勝についてです。単なる勝ち負けではないもっと大きなものを背負い、ひたすら走ってひたすら粘った「なでしこ」たちの勇姿に、多くの英語メディアは「うちひしがれていた国」日本の復活宣言を見て取ったようです。(gooニュース 加藤祐子)
○その者、青き衣をまとい…
先週の時点では今週も、原発の話を書くつもりでした。数十年かけて段階的な脱原発を目指すという方向性を示したはずの首相発言が、(原発推進派の猛反発にあったからなのか)あれよあれよと「個人の考え」に過ぎないことに後退させられてしまった事態に、私はかなり苛立っているので。けれども、なでしこジャパンの見事なワールドカップ優勝のニュースが英語メディアに溢れているため、ここは予定変更です。実に震災以来初めて、震災や原発とは直接関係ないことを書きます。……といっても結局は否応なしに、震災のことにつながっていくのですが。
点を取られたら取り返す。そしてどこまでも走り続ける。粘る。あきらめない。想いをこめて決める。そんな感動的な試合を見せてもらって、ただでさえこちらは感極まっているところに、あの表彰式です。金色の紙吹雪やテープが降りしきる 中、青き衣のなでしこたちが優勝杯を高らかに掲げたあの姿。
観ていた多くの日本人が一斉に同じことを考えたようです。「まるでナウシカの大ババ様の予言だ」と。映画『風の谷のナウシカ』のクライマックスに出てくる「その者、青き衣をまといて金色の野に降り立つべし 」の予言のようだと。ツイッター上でそういうツイートがあちこちから飛んでくるのを見ながら、ナウシカはもはや日本の国民的神話になりつつあるなあとしみじみ思い。まるでナウシカのように金色のピッチを進む澤穂希選手の見事な後ろ姿 がツイートで回ってくるや、さらに感極まり。『ナウシカ』の世界が震災後の日本とどう重なるかを思えば、なおのこと。
私は敬愛する役者さんが人間国宝に認定されたおかげで、このところ舞い上がっている状態なのですが、この青き衣のなでしこたちも正に国の宝だなあと。感極まりすぎてキーボードが濡れては困るので、ずっと握っていたタオルで顔を拭いたところで、オバマ米大統領のツイート に気づきました(家族で観戦していた大統領 は、試合中もアメリカ・チームに応援ツイートを連投)。「激しく戦った試合を終えて、米女子代表チームのみんなをこれ以上ないというほど誇りに思う。女子ワールドカップのチャンピオンになった日本、おめでとう」と大統領は書いています。
そして時を置かずに、アメリカの映画監督スパイク・リー(@SpikeLee )の連続ツイートも回ってきました。「同じような光景を前にも見た。日本がアメリカに勝った。前に見たのはスーパーボウルでセインツがコルツに勝った時。ただ勝つために試合をしていたのではなく、セインツは信念のために戦ってた。ハリケーン・カトリーナで亡くなった人たち、生き延びた人たちのために戦ってた。今日の日本の女子チームも同じことだ。そういうチーム、ただ試合に勝つためだけじゃなく、ひとつの信念を抱えて戦っているチームを相手にする時、勝つのはほとんど無理だ。スピリットと意志と気持ちと決意が強すぎる。日本の女子チーム、おめでとう」と。
「信念」と訳した単語は「cause 」です(リー監督は「CAUSE」と大文字で強調)。「理由、原因」という意味でよく使う言葉ですが、そのほかに「理念、信念、大義、主義、目標」という意味もあるのです。「ああ、スパイク・リーは分かってくれてる!」と彼の映画が好きなだけに、またウルッと。
『ハフィントン・ポスト』 は「日本の逆転勝利にツイッターで反応」というまとめで、アメリカ人たちの反応をいくつか紹介。「どうせ負けるなら、日本相手で良かった」とか、「アメリカ女子にとっては最悪な結果だけど、日本のことを思うとどうしたって嬉しくなる」などのツイートが並んでいて、さらにウルウルっと。
続いて米スポーツ専門局「ESPN」のサイトを開くと、「日本は世界に衝撃を与え、ワールドカップで勝利」という決勝戦選評ビデオ がありました。澤選手の同点ゴールの場面でコメンテーターが「大会でいちばん小さいチームの日本が、こんな巨人のように戦うなんて誰が予想したでしょう」と興奮した調子で語るのを聞き、さらにさらにウル(以下同文)。顔が乾く暇もありません。
同じESPNではラヴィ・ウバ記者が「サッカーの神々、日本に報いる」という見出しの記事 で、「前半が終わった時点で、どちらが『運命のチーム』なのかは明らかだった。それはアメリカではなかった」と。またアメリカの名GKホープ・ソロ選手が試合後に「今大会は本当に私たちが勝つものと確信していました。ずっとそう思っていました。けれども同時に、何かもっと大きいものが日本を応援していたと思います。この大会を代表するチームは日本でした。どうせ負けるなら、日本相手に負けを認める方がいい。実に優れた、風格のあるチームで、ものすごい情熱でプレーするので。みんなどこまでも戦って戦い続けていました」とコメントしていたことも紹介。それを受けて記者は、「確かに、たとえどんなに熱狂的なアメリカ・ファンだったとしても、3月の悲惨な地震と津波を経験した日本が勝ったことに、少しでも満足感を覚えない人がいるだろうか?」とまで書いています。
確かに外国の多くの人たちは、被災した日本をそもそも応援してくれていたのだと思います。けれども日本女子代表チームがその応援に見合うだけのプレーをしたからこそ、同情以上の敬意を獲得したわけです。それこそが、偉業です。
米紙『ニューヨーク・タイムズ』の記事 では、チームを引っ張った澤選手について、アメリカでかつてチームメートだったジュリー・フーディー元米代表主将が、「自分がどこにいるべきか、何をすべきか彼女は分かっていて、そうやって動く。見ていると最高です。あんなにいい人はいないっていうくらい、いい人なので、みんなが彼女のために喜んでいます。本当に長いことプレーしてきたので、みんな彼女を知っているし、彼女が大好きなんです」と。読んでいるだけで、澤選手の長いキャリアや人柄が想像できて、そして嬉しくなります。
○被害者ではなくチャンピオン
米紙『シカゴ・トリビューン』は「日本は被害者ではなくチャンピオンに」という記事 で、「決勝戦を決めたPK戦で、日本の熊谷紗希が最後のペナルティーキックに備える間、傷ついた国は息を止めていた。日本にとって、これはサッカーの試合にとどまらない。多くの犠牲をもたらした地震と津波と原発の大災害で4カ月前に大打撃を受けた国が、激しい競争者としての心と魂を今でも持ち続けているのだと、世界に示すチャンスだった」と書いています。「自分たちはもう被害者のままではいないと、うちひしがれていた国が世界にそう宣言できた」とも。
上記した『ニューヨーク・タイムズ』記事 でもヘレ・ロングマン記者が、日本の勝利は「希望と復興の上に築かれたものだ。打ちひしがれた国を元気づけた」と評価。「アメリカは長いこと試合を支配していたが、コントロールしきれなかった」とも。アメリカのディフェンスは日本の洗練された攻撃を決然と食い止め続けたが、それでも日本はしぶとく粘り、諦めなかったと。
米紙『ワシントン・ポスト』は18日の一面がこちら です。2点目の同点ゴールを決めた後の澤選手の大きな写真がトップ。チコ・ハーラン東京特派員の「日本にとって、誇りの杯が溢れる」という記事 がトップ記事。『シカゴ・トリビューン』と同様に、「日本にとって、この勝利は被害者としての日々に、小休止を与えた」という論調です。日本人の誇りは「悲しみの中でも決して色褪せることがなかった。なので、アメリカに対するPK戦での勝利は、日本人の誇りを再燃させたというより、そもそもなぜ自分たちは国を誇りに思うのかを、復興しつつある国に思い出させたと言える」と。
震災の前まで日本は「なにより、その尊厳と優れた業績で名を馳せた国だった。日本の電車はよそよりも速く、食事はおいしく、アスリートたちはどこよりも懸命にトレーニングしていた。それに加えて日本は、女子の競技人口が少ないのに、優れたサッカーチームを作り上げていたのだ」とも。
記事はさらに、女子サッカーと震災がなにかと絡み合っていることを説明。佐々木則夫監督が試合の前に被災地のことを選手たちに語って奮い立たせたこと。今では福島第一原発の作業者たちが活動拠点としているナショナルトレーニングセンター「Jヴィレッジ」で、なでしこたちがかつてキャンプしたこと。代表チームには、東京電力女子サッカー部マリーゼ(TEPCOマリーゼ)の出身者もいること。福島第一が「世界中の心配を集めるはるか前」に、MF鮫島彩選手がそこで働いていたこと。
同じ『ワシントン・ポスト』ではサリー・ジェンキンスというスポーツ担当のコラムニストが「大興奮の試合をした両チームとも尊敬に値する」というコラム を掲載。「はっきりさせておこう。ワールドカップには、津波や原発メルトダウンをなかったことにできる魔法の力はない。しかし慰め、励ますことはできるし、果敢な抵抗というものについて本国へメッセージを伝えることもできる。日本のこの勝利にケチをつけるようなら、それこそあなたは醜いアメリカ人だ」と書いています。
日本サッカーのW杯優勝について書くつもりが、結局は地震や津波や原発事故について書いている。日本に関する世界の報道は、まだしばらくはこの状態が続くのでしょう。
○心をむきだしに
ちなみに上記したハーラン特派員は、「多くの日本人は数日前まで女子サッカーW杯のことをよく知らず、自分たちの女子サッカーチームがいかに優れているか、よく知らなかったのだが」とチクリと指摘。まったくごもっともです。「宝の持ち腐れ」とか「猫に小判」とかの言葉が浮かびました。日本でも直前までなでしこジャパンへの関心は薄かったわけですが(私も偉そうなことは言えません)、コラムニストのジェンキンスさんによるとアメリカでも同様。アメリカで女子サッカーはまだしも人気があると思っていたのですが、「男子サッカーに比べてどれほど薄給で、無視されてきたか」と。日本と一緒です。それでも彼女たちは「ふてくされず」「報道が薄いと文句を言うのではなく、自分たちのハートとプレーでそれまで無関心だった国民の注意をひき、つなぎとめた」とジェンキンスさんは書きます。それで取材記者の数は急増したし、芸能人やスポーツ選手やオバマ氏やクリントン氏たちからツイッターで応援してもらえるようになったと。
コラムによるとFWアビー・ワンバック選手は以前、「私たちはプロ選手です。女性アスリートの中では恵まれた」と発言していたと。言われてみれば確かに、テニスやゴルフといった個人の賞金競技は別として、女子のチームスポーツでプロというのは、競技生活だけで選手が生活できるレベルで成立しているのは、男子に比べればさほど多くない。自分が好きで好きでたまらないことを生業として十分な収入を得られるのは、少数の幸運な人々なのだということを改めて思いました。
コラムはこうも書きます。「戦い終わって泥にまみれ、足を引きずり、疲れ切って息を切らせていた日本もアメリカも、汚れまみれのその下で、両チームの選手たちはもっと違うも のに覆われていた。たとえばそれは、栄誉(honor)と呼ぶもの」と。「honor」は「名誉、栄誉」という意味が一般的ですが、周りから称えられて得る名誉という意味のほかに、その当人がそもそも備えている崇高さ・高潔さという意味もあります。戦い終わった選手たちを覆っていたのは、世間からの賞賛より 先に何よりも、本人たちの志の高さだったと私は思います。
選手の報酬については、英紙『インディペンデント』 が決勝戦前に「なでしこは知っている 巨人を倒して時計をもらおう」という記事で、アメリカが勝てば「総額300万ドル相当のスポンサー契約を手にするだろうが、日本が勝てば選手たちは新しい時計をもらうだけだ」と痛烈に書いていました。「女子サッカーの歴史で最高峰の決勝戦で対決する両チームの金銭的なギャップは、実に驚くべきだ」とも。
なでしこ優勝の後、ツイッター上では選手たちへの報酬がいかに残念なものかを憂える書き込みが相次ぎました。そして記事は、ドイツ戦後の現地記者会見で佐々木監督が「なでしこはお金より、こういう大会でピッチに立てる名誉を大事にします。ただ、決勝へ進出したので、たぶん腕時計とかはいただけるのではないか」と答えたことを紹介。これは「ドイツは優勝した場合、ひとり6万ユーロ(約690万円)をもらえることになっていたが、日本は?」という質問に答えたもので、ドイツ代表がもらうことになっていたほどの額は「もらえないだろう」と答えたことも。
典型的なにわかファンとして偉そうに言えた義理ではないですが、サッカーへの愛情と誇りがなければやっていけないという厳しい状況を私も憂えていたところ、オフィシャルスポンサーを務めるキリンビール がなでしこジャパンのメンバー21人に、1人当たり100万円の臨時ボーナスを支給するというニュースが。企業はどんどん彼女たちのスポンサーになって、オリンピックに向けて盛り上げていってほしいとつくづく思います。
「なでしこ」というチームのニックネームについても、英語メディアは色々と言及していました。たとえば上述した『ニューヨーク・タイムズ』記事 は、過去5回もW杯に出場しながら欧州チームにもアメリカにも勝ったことのない日本チームは、今大会で一試合勝つごとに「チームのあだ名でもある、理想の日本美を象徴するピンク色の花のように、自信を花開かせていった」と。
『シカゴ・トリビューン』 は「なでしこ」について、「女性の精神的なたくましさを象徴する」ピンクのカーネーションのことだと。「なでしこと呼ばれるチームは、世界に応援を感謝する横断幕を取り出した。そして」……。
ああ、この先の表現が訳しにくい。「And then they played their hearts out」と記事は結びます。単純に訳せば、「必死になってプレーした」という意味ですが、「played their hearts out」というこの表現はもっと生々しい。心臓をむき出しにしてとか、心をむき出しにしてとか、心臓が、心が燃え尽きるまでとことんとか。そういうギリギリで必死で、でも悲壮というよりは喜びに溢れた、心がはちきれんばかりの歓喜に満ちた、そういうニュアンスの表現です。まさに、ナウシカのような「なでしこ」たちに、ぴったりな表現です。見事でした。本当に見事でした。
追記。米Yahoo!のこちらの記事 もツイッターで教わったのですが、澤選手はYahoo! Sportsに「サッカーの大会というより、もう少し大きなことができるかもしれないと思っていた」と語ったそうです。以下、英語を日本語に抄訳しています。ぎこちないですが、ご参考までに。
「私たちが勝つことで(大震災で)何かを失った人や傷ついた人、被害に遭った人が、たった一人でも、ほんの一瞬でも気持ちが楽になるなら、私たちは特別なことを達成したといえます」
「大変な目に遭った皆さんが喜んでくれて、明るい気持ちになるなら、私たちにとって成功です」
「日本は傷つき、あまりにたくさんの人が影響を受けました。私たちはそれを変えられないけれども、日本は復活しつつあります。今回は、日本は決してがんばるのを止めないと、国の代表として示すチャンスでした。まるで夢のようで、この経験を日本が一緒に分かち合ってくれればといいと思います」
http://news.goo.ne.jp/article/newsengw/sports/newsengw-20110719-01.html?pageIndex=1
http://news.goo.ne.jp/article/newsengw/sports/newsengw-20110719-01.html?pageIndex=2
http://news.goo.ne.jp/article/newsengw/sports/newsengw-20110719-01.html?pageIndex=3