最近、精神的に窮地に置いやられています。
そんな時幼馴染に、出来る事なら力になってほしい。というお願いをした。
内容は、バセドウ病と歯科の因果関係に詳しい先生、もしコネクションあったらドクターを紹介してほしい。
という内容。
これは「すぐ探してくれ」とか丸投げしているんではなく、自分はだいぶ前から探しているが、国内は本当に見当たらない。将来的にもし居たら繋げてほしい。
つまり将来、絶対ではないしいたら繋げて?
って話だ。
ただ、もし私が頼まれた側だったなら、医者繋がりに話を聞いてみるし「こんな先生探してます」って友達伝に聞いてみる。何かしら役に立ってあげたいと強く思う。共感力が高いって意味かも。
ADHDは特に昔から酷い仕打ちにあったりいじめは当たり前に被害者だし。同じ思いはしてほしくない、と思うから突き動かされるが。
この感覚は普通ではないのかも、と思った。
育った環境が良くないのか、仲間が良くないのか、毎回期待を大幅に下回り、ガッカリする。
言葉をどれだけ真剣に受け取り、相手の心情、言葉の厚みや深さを感じとって慎重に回答するのが悩みを打ち明けられた方としては考える。私なら。
結構即答で、「力になってあげたいけど無理だなぁ。」
↑もう役にたつ気すらないやん。とか思う。せめて優しさ感じるくらい少しは溜めてくれ。
返答の早さは相手への思い入れの浅さや深さ、その程度って事だと悟った。
これはまだ良い方で、「〇〇だってもっと酷いから大丈夫」
↑42になってこんな小学生低学年級のど偉い返答が来るとかガチで引いてしまった。つか打ち明けて改めて激しく後悔した。
話にならん。もう致命的。付き合う相手を考えろって話だ。
二人とも実は幼馴染だが。
多分、「優しさの基準」や共感力が私は他人とだいぶ違うんだと思った。
現実、彼のために何かしてあげたい、力になりたい。って思う方がかなり稀なんだなと。
つまり自分は過剰に優しすぎるんだなと、痛感する。
現実問題、自分に降りかかって来ない限り真面目に考えなければ気にもしないのが今の世の中なのかも。これが当たり前なんだなと思った。
つまり「俺も割り切って付き合う」という事で、自分的には「当たり障りの無い程度」でテキトーに変な空気にはならないように相手をするべきで心のうちを明かすほどの相手ではないんだなと思った。
勇気を振り絞ってお願いしたら凄くガッカリしたって話だが、自分が付き合う相手は精神的な成熟度によってステージが変わると思う。
今仕事でも付き合ってる仲間は絶対一緒に考えてくれるし、こんな回答絶対来ないな。
それを思うと、「程々に付き合え」って話だ。
私は白黒極端だから、グレーの領域を勉強しないとなと思った。
次元的に付き合う相手を変えよう。ダメだこりゃ。
↑いかりや長介さん風