激しい胃痛がよくなってきたので
ちょっとお散歩に



前から行ってみたかった
高輪ゲートウェイ駅に行ってきました


 


新しいモン好きでもないし
鉄ちゃんでもない
普段なら
新しい駅出来たんだって、へー
で終わりなんですが


 


まあ近場で行動範囲だったのと
ふいに興味が湧いたのです


 



無人のコンビニで
買い物したかった!
ちょうど営業時間外で残念でしたが
 
 


これも普段なら飛びつかない
べつだん興味もない 笑

でも
ふと心に沁みた

こうやってどんどんA.I化が進んでいく
近所のスーパーでレジでもやって働こうかしら?なんて言えなくなるんだな…

マジでスーパーで働こうか、と考えていた私は色々と気づくわけです

そういえば
スーパーのレジってオバちゃんの仕事の代名詞だったけど、今ってレジに居るの若い人ばかりだな、若くて可愛い子が多い

そーかぁー

オバちゃん→若い子→A.I
うーん、オバちゃんは何処に行こう?笑


 
長いです‼️

そういえば
私が子供の頃は黒電話だったんだよなー
(突然そこに飛ぶ笑)
黒電話からプッシュホン☎️になった時
カッコいいー!って思ったんだよな
何度も電話したがった

当時は電電公社で
まず電話番号の権利を買取るのに10万近くしたし
プッシュ回線かアナログ回線かで回線使用料も違った
電話器もレンタルだった
だからデザインも選べなかったし
ちょっとマシなデザイン(といってもかろうじて色味がある、というくらい)はレンタル代が割増だった

電話権利代
回線使用料
電話器レンタル代
そして通話料金
ずいぶんお金がかかってたんだなぁ(^◇^;)

それから民営化になり
電話器が自由に選べるようになった!
ヨーロッパから輸入されたお洒落なデザインの電話器にワクワクした

1人暮らしを始めて
電話番号の権利を8万くらいで買って!
憧れの電話器を買う、となった頃は
輸入物のお洒落な電話器はアナログ回線だったか何かで?購入を諦めた

大学を卒業して蜷川カンパニーに入った頃は
電話がない人や、あるけど料金が支払えず止まってる人も多くて
オーディションなど急な大切な用事は電報を打つ!なんてシーンも時々あったと思う。

留守番電話が世に出る前は
駅前の掲示板はいつもビッシリで
待ち合わせの人がいっぱいいた

ビデオはベータで始まったのに
VHSが主流になってしまい
結局両方のデッキがあった

大学時代の卒業制作の舞台も
蜷川カンパニーに入ってすぐの舞台の記録も
私が持っているのはベータテープだ。
もう観られないかな(^◇^;)


大学を卒業した頃だったか

これからは
電話は一家に一台ではなく
一人一台の時代になる

と先輩に言われ
は?意味が?それってまだまだ先の未来の話じゃん?
と思った記憶がある


それから
留守番電話が出始めた
私は当時流行ってた中森明菜のプライベートっていうコンポを買って貰ったのだが、画期的だったのはそのコンポに留守番電話機能がついていたのだ。要は電話器とコンポを繋いでカセットテープに録音するのだ!というか出始めの留守番電話は皆カセットテープ対応だったと思う。テープの片面だいたい30分で録音いっぱいだからオートリバースは必須だった!

それから電話器自体に小さなカセットテープが内蔵されたタイプになった
まだまだレコードをカセットテープに録音していたし、街にレコード屋さんが沢山あった


通っていた蜷川カンパニーにはピンク色の公衆電話のような電話器があって
公演時は毎日、順番に電話番に通っていた

当時付き合っていた彼の家では
自動車電話が登場し
彼はポケットベルを持ち歩いていて
私はよく公衆電話からポケットベルに打ち込まされていた

CDが全盛となり
CDラジカセが必需品だった
でもCDはすぐ壊れるので買い替えが面倒くさかったな

初めてPHSを持ったのは友人の勧めだった
白のリモコンみたいなPHSでお洒落で嬉しかったが意外と重いし、とにかく電波が悪くて使いにくかった

自分達で企画するような小さなイベントには
MDが重宝で、ないと稽古について行けずMDプレーヤーを買うが残念ながらあっという間にMD文化は廃れてしまった

私はもともと
あまりテレビを見る習慣がなかったので
ブラウン管テレビが使えなくなってからは
テレビのない生活となる
この頃にはパソコンが必需品になっていたので
テレビはなくとも特に困らなかった

舞台の記録ビデオは全てVHSだった
これらも現在は見る術がない

父の介護で実家と病院に泊まり込んでた頃は携帯もショートメールが精一杯で、それすら送れる人と送れない人がいた
東京の未来の旦那や友人と電話で繋がれる時間は短くてとても寂しかったのを覚えている

遠隔で操作する留守番電話が
まだまだ主流だった
この頃はファックス兼用で録音時間も気にしなくていいICレコーダータイプで寝る時には消音にも出来るなど便利になっていた

私がSNSというものを知るのは
3.11の後だ
震災時、電話回線はパンクしたがTwitterなら連絡が取れる!と一躍広がっていったと思う。

私より若い世代のヘルプのもと
FBやブログを手探りで始めた
当時はまだガラケーだったのでパソコン開いた時だけ見ていたと思う


って思いつくままに書き連ねたので微妙な記憶違いはご容赦を
 
 


気づけばDVDはブルーレイに?
いや私はまだブルーレイ使えていないので良くわからない笑
CDはネットからダウンロードに
 

携帯さえあれば
何でも出来るようになった

そして現在
リアルだけではなく
バーチャルな世界が始まった
つい何年か前まではそんなの映画の中だけだったのに
現在その世界の中を私達は生きている


そしてコンビニも清掃も無人へ

新しいモノへの変化は
子供の頃はワクワクして楽しいだけだったが

やっと覚えた頃、便利に使えるようになった頃には新しいモノに移り変わってしまい
今まで便利だったお気に入りも
廃棄せざるを得なくなる
 
私は新しいモノに飛びつきもしないけど
古いモノに執着する方でもない
過ぎた事はけっこう忘れてしまう
(もちろん未消化のまま引き摺ってる事だってないわけないけど)
 
それでも
そんな私でも
その繰り返しに
少しくたびれてしまう

やっと理解したのに…
いやホントはまだ良くわかってさえいないのに
もう次⁉️
その繰り返し笑
私よくやってるな!
でも
ああ、これが一生まだまだ続くんだな
 
 
だとしたら
私に出来る事って何なんだろう?
 
 
 
高輪ゲートウェイ駅をネットで見ていたら
走馬燈のように私の家電の歴史が駆け抜けて
 
ほんの少しおセンチ(死語 笑)になった
 
だから
ふと行ってみたくなった
行って使ってワクワクしてみたくなった
変化を楽しむ気持ちを思い出したかった
 
残念ながら
無人コンビニは時間外だったけど
足を運んでよかった
次は買い物するぞ
 
 
 
 
 

 
 
 
この後
ちょっとお散歩のつもりが…
 
 
続く🤣
 
 
 
 
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