こんにちは
UMIで心の勉強修行中の、かほ です。
連日の雨、心までどよ~んとしますね
太陽が恋しいな~と感じる時は、たくさん太陽を浴びて育ったくだものを食べると元気が出るらしいですヨ
さて、昨日はアドラー心理学のレッスン日だったので、
子どもたち(小6娘・小2息子。二人とも不登校)を、市内に住む私の両親にお願いしていました。
移動も含めて4時間ほどのお留守番中に、
なんと両親と子どもたち4人で、ミニオンズの映画を見に行ってきたそうです。
ミニオンって可愛いけど、ワーワーしてやかましい映画で。70代の両親は大丈夫だったのか・・
でも、子どもたちも満足そうで、本当にありがたいです。
ちゃっかり、晩ご飯まで頂きながら、久しぶりに母とゆっくり話しをしました。
2年半前に、娘が不登校になってから、
母は、心配のあまり体調を崩したりもしていましたが、
最近はわりと元気になってきています。
それでもまだ、学校に行っていない孫たちのこと、そんな子どもを抱えた私のことを
とても心配しているようでした。
だいぶ母との境界線を引けるようになった今は、何も感じないんだけど、
以前は、この「母が私たちを心配して苦しそう」な状態が、すごくイヤでした。
その時は、「なんで分かってくれないの!?」って、母に怒りを向けていたんだけど、
今なら分かる気がします。
私は、”母が不安そうな様子”がとにかくイヤだったのだと思う。
それは、私が幼かった頃、母が不安そうにしていたり、うろたえているのを見た時の感覚を呼び起こすから。
例えば、旅行先で道に迷ったり、騙されそうになったりしたとき。
母が不安そうにしているのを見ると、めちゃくちゃ怖かったです。
幼い私にとって、母はたった一つの命綱なので、
そこが不安定になると、私の命も危うい!って、直感的に感じていたんですね。
大人になって、冷静に考えると、
道に迷ったって死なないし、母は不安になってうろたえたっていい。
母だって、人間で、スーパーマンじゃないんだし。
そうなんだけど、私の中には、まだ子どもの自分がいて、
「不安そうにしないで。怖いよ~。安心したいよ~~」
って、求めていたんだと思います。
でも、そんな気持ちも、素直に出せないから、母に対する怒りとして表現していた、という。
あぁ、なんて子どもっぽい!
穴があったら入りたい!!
って、思うけれど、もー仕方ないです。
大人になり切れず、いまだに安心を母からもらおうとしていた、
それが今の自分だな、って降参したことで、フッと軽くなる感覚がありました。
私が、40歳を超えても、母から安心をもらおうとしていたくらいだから、
現在進行形の子どもたちが、お母さんに安心を求めることは、当たり前ですよね。
まして、学校に行けなくなったことで、たくさんの不安を抱えた不登校の子どもたち。
全集中で、安心をもらいたいはずです。
そして、一番安心をくれるのは、やっぱり、お母さんです。
お母さんが居ない場合は、一番近くにいる養育者です
だから、お母さんが安心して、笑っている
そのことが、なによりの充電になるんですね。
焦る必要は、全くないけれど、
お母さんが安心して、幸せそうでいること、
それが、家族の幸せの、一番の近道だと思います。
小さなことでもいいので、ご自分を幸せにすることをやってみてくださいね
今日も最後までお読みいただき、ありがとうございました