2019年エストニア旅行記パート8、土砂降りの二日目朝 編
エストニア二日目、2019年9月15日の旅行記スタートです。前日最後の旅行記はこちら『2019年エストニア旅行記パート7、タリンの夜 編』エストニア旅行記のパート7、前パートでタリンのランドマークの一つヴィル門を見学してからの旅行記です。万博ブログを書いているうちにまたまただいぶ日が空いてしま…ameblo.jp前日は移動と時差の関係で非常に長い一日になりました。夜も現地時間に適応する形で寝られて、この日の朝も現地時間6:30頃に目覚めるという時差への適応にはとても良い目覚めでした。ヨーロッパ東部時間のサマータイムは日本との時差が6時間で気合を入れて長めに起きていれば比較的適応しやすい時差な気もします。ついた後に昼寝とかしちゃうとぐちゃぐちゃになっちゃいますけどね。さて、この日は朝から雨。天気予報で前日の時点で天気があまり良くないのは把握していました。エストニアは割と天気が安定しない上にこのような暗い日も多い気候です。今回8日間滞在しているのですが、雨がまったく降らなかったという日は1日だけ、その日も曇天でした。エストニアは街並みも自然もとても美しい国ですが、天気がイマイチなのはちょっと残念になってしまいます。そして気温もかなり低め。この日の最高気温は14℃、最低気温は7℃でした。そして風も強く体感ではもっと寒く薄手のパーカーは持ってきていたもののそれではかなり寒くて凍えそうな感じになりました。参考ですがこの日の名古屋市の気温は最高33.7℃、最低22.9℃だそうなので気温差はかなりありますね(当時は甲府在住ですが甲府のデータがすぐに見つからなかった。。。)私の宿泊している棟は別棟でホテル本館へは渡り廊下で渡ります。渡り廊下から撮影した外の様子ですが結構本降りですね(´・ω・`)。朝食はホテル本館1階にあるPerrooni Kohvikでバイキング形式雰囲気としてはドイツに似ていると思います。パンは黒パンと食パン?にバター・ジャムがありました。ドリンクは水(still)、牛乳、ブルーベリーヨーグルトなどがありました。サラダ、シリアスなどもありそこそこメニューが豊富ですが、問題は連日メニューがまったく変わらない事。7泊しましたがずっと同じなのはちょっときつかった。タリンの観光はバルト三国周遊に組まれる事が多く、タリンに長期滞在する人は珍しいからというのはありそうです。ちなみに食事をとりに行くときの席取りですが特に用意されておらず、近くにいた中国人や北欧系の人は普通にスマホなどを置いていましたが用心のために日本語の本を置いていました。朝食を終えて出発しますが、雨がますます強くなってきてしまいました。ぶっちゃけめちゃくちゃ寒いです。バスが多く並んでいますが、バルト駅からのバスはどちらかと言うと郊外の住宅地が多く観光で使用する路線は少ないです。後日地方都市への旅もしますが、エストニア国内の長距離移動は鉄道よりもバスがメインな事もあり、バスターミナルへ移動するのにもトラムでの移動が必要になる立地です。バルト駅停留所からViruホテルやvirukeskusなどショッピングの中心地に一番近いところにあるHobujaama停留所で一旦下車しました。Kadriorg行きの1系統に乗っていたのでそのまま行っても目的地に着くんですが、ちょっと買い物したかったので・・・。ちなみにタリンのトラムは簡単に言うと「X」字の路線なのですが、Hobujaama停留所はその真ん中にあり、唯一トラムの全系統が停車する停留所になります。バスなど同様トラムも右側通行なのでいま写っている方は後方になります。運転台がないので展望席というか、最後部まで客のスペースになっています。前日のブログでも少し書きましたが、チェコスロバキアのタトラ社で制作されたKT4という形式のこの車両、2000年代に中間に低床車を挿入し3両編成化されたKT6Tもありますが、これは原型に近いKT4になります。このKTシリーズ、元々タリンに導入されたKT4SUの他に東ヨーロッパ諸国から中古導入されたものもあり形式が非常に複雑になっています。まずは買い物、そしてバスに乗り換えるため昨日のブログでも載せたvirukeskusにやってきました。virukeskus入口から見た新市街です。昨日はほとんどを旧市街で過ごしたので、新市街の中心部は少し新鮮です。右側にちょっと見える茶色のビルはソビエト時代の建築、奥のビルは2000年代の建築です。中世から近代までの旧市街に対してその外は新市街と一言でまとめられますが、年代もロシア帝国末期~2010年代まで様々な建物もあり建築年代だけ見ていても楽しむことが出来ます。ヴィルケスクスで持ってくるのを忘れたハンドクリームを購入しました。ハンドクリームも日本同様種類が多く悩みましたが逆に面白かったです。1階には日産リーフが展示されていました。エストニアでは日本車、韓国車は高級車でベンツやワーゲンなんかはよく見ました。会社で一番多く見たのはHONDAかKIAですかねぇ。ここから目的地まではトラムでもバスでも行けるのですが、エストニアにきて初めてバスに乗ることにします。エストニアはトラム、バスは信用乗車制度をとっていて運転手は検札をしません。変わりに不定期で職員が乗ってきて検札を行い乗車券未所持だと高い罰金が科せられます。ちなみに滞在中バスは一度も検札は来ず、トラムは1回だけありました。この時点での話ですが、私はタリンカードというタリン市のバス、トラムに乗り放題+有名どころの博物館・美術館などに入れるカードの72時間券を購入しておりそれを利用していました。使い方は簡単で乗車時に端末にかざすだけ、日本のmanacaやtoicaと同じような使い方ができます。本日の最初の目的地は郊外にあるカドリオルグ公園なので最寄りのJ. Poska停留所でバスを降りました。バス停の名称ですが、ロシア帝国時代のレファル(現タリン)市長を務め、独立初期に外務大臣としてエストニアの独立を承認されたタルトゥ条約を締結したJaan Poskaを記念してJ. Poska通りと名付けられた通りがこの付近にあるからになります。ちなみにこのバス停はナルヴァ通りにあります。タリン市バスは車内でエストニア語のみの放送があります。グーグルマップ見ながら移動していれば間違えないですが、アナウンスの仕方として次は○○、その次は□□ですという内容になりますので、しっかり聞いていないと一つ手前で降りかねないです。バスの中で外を見ているとどんどん雨が強くなってきていました。その為バス停を降りたところにあったコンビニに入り傘を買いたいと思います。てかなんでヴィルケスクスで買ってこなかったんだろう。ただレジの店員さんに傘を売っているか尋ねても「・・・」と困った顔。今までエストニアに来てから英語が通じなかった事はなく普通に通じる認識だったのですが、あっ、英語通じないのかと思ってロシア語で、Скажите, пожалуйста.Вы продаете зонтик?と伝えても???という顔をされ片言のロシア語でエストニア語しかわからないと言われてしまいました・・・。どうしようかと思ったんですが、片言で「Kas on keegi, kes oskaks venemaa keelt või inglise keelt? ※訳:ロシア語か英語を話せる方はだれかいませんか?」と言ったら通じてOK、と言われロシア語を話せる店員さんを呼んでくれました。地方に行ったときにエストニア語しか話せない人いるかもしれないということで覚えていたんですが、とりあえず片言でもなんとか通じたので今後の事を考えたらずいぶんと肩の荷が下りました。ちなみに英語もロシア語も通じなかったのはここだけで、その後は少なくともロシア語は通じたのでエストニア語を話したのはこれが最初で最後でした。カドリオルグ公園はロシア系住民の多いラスナマエに近いのでロシア語しか通じない事はあるかと思っていましたが、エストニア語しか通じない事はタリンではないかなと思っていたので少々驚きました。ちなみにロシア語ペラペラな店員さんから「傘はおいていない、この風じゃ傘を買ってもすぐに壊れる、だからこれを買え」みたいな感じでものすごくまくし立てられ(正直聞き取れないこともかなりあった)、1.2ユーロの簡易レインコートを買いました。最初の店員さんも最後まで様子を見てくれてた(東洋人珍しい?)のでエストニア語で「Aitah Head aega.」(ありがとう、さようなら)と挨拶してお店を出ました。エストニア語片言でももう少しわかればなあ・・・。エストニア語は非常に難しい言語なのですが、単語だけでももう少し覚えておけばよかったです(実際の所、格変化がとても多い言語なので単語のみ覚えていてもスムーズな会話は難しいです。英語やロシア語の方がはるかに簡単。)簡易レインコート?ビニール袋にボタンがついている様なものを着て散策開始です。まあ1.2ユーロじゃこんなもんか。タリントラムはカドリオルグ公園が終点です。タリンのトラム(というかヨーロッパのトラム全般)は片運転台の為ループ線で折り返していきますが、カドリオルグ公園のループはかなり円が大きくループ中にも停留所がある関係でそのまま乗車できるようです。この車両もタトラ社のもので、最近内装を改装したレトロ調の車両です。見るからにロシア帝国時代建築と思われる木造住宅がありました。1800年代になるとタリン旧市街から城壁の外側へと街並みが広がり、ロシア帝国末期にはこの近辺まで住宅地が広がっていました。第一次世界大戦、独立戦争、第二次世界大戦ともこの付近は戦場にならずそのまま住宅が残っている様です。ロシアではこの時期に住宅化されたところは近代化で高層住宅化などしている事も多いですが、エストニアでは人口密度も低くこの様な住宅がそのまま残った様です。ロシアは人口密度は相当低い国ですが、都市部の人口密度は高いんですよね。世界最大の植民地と言われるシベリアのおかげで人口密度はかなり低くなっていますが・・・。先ほどの場所から少し歩くとカドリオルグ公園に入りました。このカドリオルグ公園は1718年にロシア帝国のピョートル大帝が皇后(後の女帝)エカテリーナ1世の為に建てた離宮のカドリオルク宮殿を中心に整備されたものです。エカテリーナ一世はリヴォニア(現在のエストニア南部、ラトビア)の農家出身で、バルトドイツ人の牧師に育てられた後大北方戦争の際にロシア軍の捕虜になり、最終的にピョートル大帝の妾から正妻になり、ピョートル大帝の没後は権力争いを勝ち抜きロシア帝国最初の女帝になったという人物です。在位は2年程でどちらかというと女帝としての実績より出世がクローズアップされることが多い皇帝になります。こちらがカドリオルグ宮殿です。ロシア帝国皇后の為の離宮としては少しコンパクトかなただものすごく可愛い宮殿です。そしてタリン旧市街にある建物とはまた趣が違い、これがいろんな国の影響下にあったエストニアの歴史というものを感じる事が出来ます。雨が酷くて写真が上手く撮れずなんとか撮れたのがこれ。色合いが本当に可愛い。晴れた日に見たかった・・・。まあ実は後日来ますけどねwカドリオルグはエストニア語で「エカテリーナの谷」を意味するそうです。たぶんエストニア語でエカテリーナに意味する人名がカドリなんだと思います・・・。入口は上の写真の中央のドアなのですが10時オープンの為時間があり反対側にやってきました。建物の高さの違いでわかりますが、こちら側の地面は少し高くなっており庭園になっています。これは離宮から庭園を眺められるように造られているそうです。なかなか全景を伝えるのが難しい広い庭園ですが花壇がとても美しいです。庭園はフランス風のバロック庭園だそうで、シンメトリー(左右対称)の庭園になっています。花壇も季節に合わせたものを植えているそうです。エストニアの夏は短く冬がとても長い国です。9月半ばのこの時期も15度程度の気温でこれからぐんぐん気温が下がっていきます。チャットGPTによれば本日12月11日の気温で6℃という事で(たぶん比較的暖かい)、季節に合わせた冬の花はどんななのかきになります。雨風の中撮ったカドリオルク宮殿。こちらは宮殿裏側で、宮殿からこの庭を観賞できるように造られています。なので本来はこちらから建物をみる前提ではなく、あくまでこちらを建物から見るという形なんだと思います。このカドリオルク宮殿、時代とともに様々な管理者が入った関係もありいろんな国の特徴を持った庭園になっているそうです。またエカテリーナ1世は元々リヴォニア出身で大北方戦争で奴隷として連れてこられた経緯があり、建物自体もロシア色だけでなくスウェーデンやバルトの特徴も持っているほか、設計がイタリア人だったりと本当に複雑なものになっています。10時になりましたので再び入り口側に戻り入場しました。室内でも撮影はフラッシュ炊かなければOKで、大きな荷物はロッカーに入れるように指示されました。大きな荷物をロッカーに入れる様に指示があるのはヨーロッパの美術館などではよくありますね。室内は近年に大規模な改装を行ったので割と綺麗ですし、そこら中に電源が供給されています。建物自体を見学させる美術館でもありますが、美術品が多く展示されています。美術品は10000点にも及ぶそうです(Geminiより)絵画に挟まれて陶器の食器類が展示されています。陶器の食器類も下に写真を載せていますが見事なものでした。ロシア帝室で使われたポットですかねぇ解説のない展示も多かったのでよくわからないものもありました。ただ雰囲気はとても感じますね。美術館の展示品なのかどうなのかわかりませんが階段にあった人形。LINEで友人に送ったら「この人形怖い」と返事がきましたw。見る限り中世からあるとかではなく最近造られた人形だと思いますが・・・。なんかバランスが妙なのと表情が怖いですね。見学を終えて一階まで降りてくると先ほど入れなかった大広間がのぞけるようになっていました。大広間はカドリオルグ宮殿の見どころの一つで、漆喰の彫刻や天井のフレスコ画が有名です。今回はこの日の午後にコンサートが開かれるのでその準備が行われていました。ロシア帝国の離宮で開かれるコンサート・・・。なんだかそれだけで楽しみです。ちなみに数分大広間を見学しながら準備の様子を見ていましたが、椅子の位置を何回も調整したりドタバタしていました。こちらが天井のフレスコ画漆喰の彫刻も含めてとても雰囲気があって良いです。カドリオルグ宮殿は何回も所有者が変わりその都度内装の変更などもあったそうですが、こちらは建築当時の姿のままになっているそうです。数分間上を眺めていました。