『フランケンシュタイン対地底怪獣』(フランケンシュタインたいバラゴン)監督の本多猪四郎は、本作品の撮入前に原典の1931年版『フランケンシュタイン』を再見して 先の作品に対して失礼なことが無いように臨んだそうです

フランケンシュタインは怪奇映画的題材だが、「人間ではない」フランケンシュタインの悲劇性や哀感が強調されていた

アパートの季子に別れを告げに来る一連のシーンなどにそれがよく表れている

 

馬淵薫の脚本を基に

「彼も人間だ」と主張する彼を保護したボーエン(その割には 扱いに困り鉄格子付きの特別室で彼の手首を鎖でつなぎ、「飼育」するという暴挙を行い エセっぷりを発揮)

「だとしてもまともな人間ではない」とする川地(暴れたら作った爆弾で目をつぶして 盲にしてやるといってたが 手首を切り落としフランケンシュタインか確認すると決まったら冷徹な立場の川地だが 事前にウイスキーをあおるという弱い所を露呈する)

最初は フランケンシュタインを当時の背景もあり戦争孤児としてボーエンの助手である季子は当初 見下す様な態度を取ったりしていたが、

知能は低く行動を予測できない季子は彼を「坊や」と呼んで愛情を寄せる(恋愛対象ではなく あくまで母性的愛情を寄せる)

「怪物」に対する三者三様の姿勢を浮き彫りにし(といっても三者はあくまで冷静で、激しく対立することはない)、

 

一方、フランケンシュタインは季子と出会う前後の少年期に「車に深夜撥ね飛ばされた」という恐怖体験を持っており、それがトラウマとなってテレビ番組のスタッフが左右から浴びせた照明を車のヘッドライトのように感じて異常に興奮し、鉄格子を破って脱走するとか。

醜い巨人として季子のアパートの前に現れた時にも足元を走り回る警察のパトカー(つまり恐怖の元凶である「車」)を怖がって逃げるという、フランケンシュタインの「人間としての心の傷」まで表現した