テレビを坊主と観ていて

 

ふっと、疑問に・・・・

 

都市伝説みててさ

 

天才を見つける問題って言っているけど

 

なんか違和感

 

なんだろう・・・って

考えてみた

 

3つからひとつのアタリを選ぶ

それの確率がうんぬんだけど

 

数学的確率問題とすぐに分析する事と

 

3つの中からアタリを引き当てたいってのは

次元が同じようで違う気がする

 

だって確率が高いから当たる訳でもないし

確率が低くても当たるんだし

 

問題をみて

数学的思考で分析しただけの事で

 

それって天才なのかな・・・・・・

 

IQが高いから天才なのかなってのも

ずっと疑問だったんだよねぇ

 

だって、

すごいパワーで速い車を持っていても

それを扱える技術とあつえるスキルがなきゃ

普通車に負けちゃうって思う

 

数字ってスペックや肩書で天才って分類されている世

 

スペック低くても

それをけれだけフル活用して有効に生かせているかってのが

大事なんちゃうかなぁって

 

呟きながら

 

坊主と二人でテレビをみていた

今って時間・・・

 

明日って時間・・・

 

そこに自分を繋ぎ止めるモノ・・・

 

欲しいモノ・・

 

知りたいモノ・・・

 

信じたいモノ・・・

 

色んな些細なモノ・・・

 

そんな自分を現世にしがみ付かせるモノがあった事が良かったのだろう・・・

 

もし、そんなモノがひとつひとつ、消えてしまったような

過去が自分に起きていたら

 

人には理解されない自分勝手な方程式を組み立て

行動してしまうような考えが浮かんでいただろう

 

法廷で「万歳」

そんな彼の行動に異常とつぶやく言葉

 

でも、彼の過去の歩み

過ごした毎日で現世に居場所が無い事に苦しみ

足掻き、探した日々

 

多くの些細な身勝手に苦しみ傷つきながらも

足掻いた日々

 

そんな社会に繋ぎ止める未練が消え去ってしまったが

まだ、未来にもしかって望みがあったから

 

こんな狂った逃避が浮かんでしまったのだろう

 

なぜか、そんな破滅な方程式が

自分の中に簡単に浮かんできた

 

自分には繋ぎ止めるモノに出会えていたから・・・・

 

自分を繋ぎ止めていてくれる子が

全てを失ったと闇に落ちた俺の心を繋ぎ止めていたから

 

世の中

 

決まった定規で計ってしまっていても

正しい数字が計れるとは限らない

複雑な世

 

子として育った記憶・・・

 

親として生きた記憶・・・

 

子として願った思い・・・

 

親として自分と同じ心にさせないと誓った思い・・・

 

一人っ子・共働き・イジメ・・・・・

 

詰め込み教育の学歴社会

落ちこぼれ・・・・・

 

エリート親の裁判の報道・・・・

 

俺の心が共鳴している

亡くなった子の心と共鳴する

 

狂った心

怯える心

壊れた心

 

生きた記憶が心に刻まれる

 

だけど、誰も気づかない

 

相談できる場があると言葉がなられる

 

でも、そん場はマニュアル化された言葉で処理されて

ホンマに必要にしているモノへは

自分でなんとかしなければと強く覚悟させるだけの

開いた扉を硬く閉ざすだけの結果しかない

 

マニュアルではなにも気付けない

 

色んな場が増えた今

 

マニュアル化された色んな場

 

どこにも行き場がなくなった

分らない者が分かったように振る舞う言葉がだけが

世の飛び交う

 

乱れた俺の心・・・・・

 

ふと、目に入った

一台しなかい自転車

 

坊主は学校だから当然な風景・・・

 

一台しかない事に淋しさが心にしみた

 

坊主に依存してる俺だな・・・・💦

 

でも・・・・

 

それが坊主には必要にされていると感じていてほしい

居場所がここにあるとかんじてほしい

 

俺が感じた闇の記憶

 

大人になるまでに刻んでしまった記憶が

 

成人となってから歩む自分自身の道に大きな影響を及ぼす

 

俺のように壊れた弱い心じゃなく

 

強い心・・・

 

厳罰化になった事は良い事

 

それにともない、取り締まる為に道に立って取り締まりするのも必要

 

だけどな

 

ちょいと、柔軟性ない対応はイラつく

 

昼前

 

交差点通行後

おまわりさんも停止しなさんと手で合図された

 

交通違反をした感覚もないので

なぜ、止められたのか分からなかった

 

おまわりさんは

 

交差点通行の時

自転車がいるんやで停止しなきゃあかんよ

 

それ言われて

反論してしまった俺

 

だって

俺が交差点に近づく前から角に自転車停止してるの分かっていたし

渡るつもりなら

俺が交差点に近づく前までに

十分に渡れる距離から停止していた

自転車やでぇ

 

その交差点曲がる前でも

自転車の人の顔確認して

渡る気配ないのわかったから

徐行はしても停止線で停止せずに曲がった

 

 

自転車でもルールでは軽車両

車と同じルールなんやで

優先だろうが

停止してるんやでこっちが急いで通行しただけ

 

まぁ、注意だけで一時停止違反で切符きられなかったのはよかった事だとは思うけど

 

相手が譲っているって思いこんで事故したら

君が全部悪くなるんだよって

おまわりさんの言葉には

カチッときてしまった

 

一旦停止無視で事故・・・・・・・

 

去年俺がイラついた事故やん

こっちが優先で危険察知で止まっても

交差点通行の際は両方に安全義務あるって

弁護士に正論ぶつけられて

こっちの主張踏み倒された事を思い出してしまった

 

この件以来

俺は優先だろうが一旦停止だろうが

車も自転車も人も

相手が動く意思があるかないかを用心して判断してから

ルール守っても誰もまもってくれない

 

ルール守っていても

破る奴がいたら、守っても同罪のように罪を負わされる

今の交通ルールじゃ、なんもならん

 

たらればの事で注意するおまわりさんの言葉も無意味

 

後で注意するぐらいなら

未然防ぐために隠れてないで

自転車と車の通行の誘導でもするべきなんちゃう

そこで自転車が停止してなきゃ

普段は停止しているじゃ

 

ながらの厳罰なんてあまり効果なんでないと思う

 

事故が起きないように止めさせる為の厳しいルールは

脅しでしかない

 

去年、事故で思った事だが

事故の原因が交通ルール違反の場合

100%罪があるってぐらい

裁判など逃れられないにしなきゃ

まずいって思わない

 

たらればの警戒の言葉より

その時、どう判断して

対処するのかが大事やと思うなぁ

 

文句言って職業柄、それが良い悪いとは言えないって言葉でにげて

四角四面の言葉なんて一方通行通行の権力の脅し

 

あの場面ならその判断は仕方なかったぐらい

こっちの主張を受け取ってくれたら

権力の押し売りとも感じやんのに

 

色んな事が四角四面で

 

嫌になることだらけの世の中

なんか、学校ICT化とか1人1台のPCにするんだって

予算使うらしい報道を耳にした

 

なんでお国のする事ってのは、何十年も遅れてしまう事ばかりなんだろう

 

ホンマ、銭の勘定ばかりして

世の中の流れは感じる事できてへんって思う

 

遅くても

平成って年号の間にこれを実施って動いていたら

まだましだったとは思う

 

平成ってやっぱり

PCが一家に一台って増えていった年号でもあるから

 

平成が終わる頃には

PCなど、専門な分野か

ゲームの為にある

特殊な機械に戻ってしまっているから

 

平成の終わりと共に消える家電品やと思うえるから

 

今更そんなもんの使い方なんで

小中で教えても専門的な事なんで出来やんのやで

無駄でしかない

 

無駄な事ばかりに金つかって

 

足らない足らないって

 

税は上がる

 

祭り事に使う必要経費じゃないぜ

 

国は借金だらけ

 

祭り事に使う出費なんでなんであるんかねぇ

 

こんな事を思う時

 

脳内jに浮かぶ映像

 

昔観た映画「ゼイリブ」を思い出す・・・・