余命宣告から3週間。



最愛の祖母は、きっちり3週間目に永眠した。





呼ばれたのは
12月10日 土曜日 午前1時頃。


息子の夜泣きと共に
ドアが激しくノックされ
「病院から電話だ!行くよ!」
と起こされた。

“うそ!そんな!待っておばあちゃん!”

わたしは、旦那に息子を頼み
パジャマのまま急いでコートを羽織り
車を出した。

道中、必死で祈った。

“逝かないで!おばあちゃん!まだ逝かないで!!お願い!”


病院に着き、救急のドアを急いで開け
走って病室へ行き、状況を聞く。

「呼吸はもう自力ではしていません。
心臓もお昼までは毎60あったのが、30まで下がりました。」

(…え?呼吸…して…ない?
心臓だけが動いてるってこと?)

「…今日1日もつんでしょうか?」

「いえ…もたないと思います。」


それは、
個室に移って3日目だった。


個室に移ったと聞いた日、
わたしは風邪をこじらせてしまい
祖母に会いには行けなかった。

毎日教えていた日付を伝えられず、
モヤモヤしたまま1日を終えた。

翌日は、たまらず自分の病院に行き
薬を飲んで咳を落ち着かせてから
夕方会いに行った。

祖母は、今までとは打って変わり急変していた。

わたしに気付き、目をこちらへ向けたけど
「あぁ…あぁ…」と苦しそうに唸って
すぐ焦点が合わなくなった。

酸素マスクを付け、血痰を吸い取られ
モニターが貼られ
仰々しい雰囲気の個室で唸り声だけが響いていた。

目はギョロっと一点を見つめ、
白目が血走り、少し恐怖感さえ憶えた。

わたしは、いつも通り
日付と天気を伝え
「おばあちゃん、だいすきだよ。ありがとう。また明日ね!」と言って手を握った。

あまりの急変に気持ちが追いつかず、
動揺しながら帰宅した。

帰宅してから両親と
「今日明日かな?」
「いや、来週の中旬くらいまではもつよ」
「おばあちゃん心臓強いしね」
と話し、その後は各々気持ちの整理をつけようとしていたのか無言だった。

全員、電話の音にビクッとしては
耳を立て、安堵し、床についた。



夜中に鳴った電話に、
父は手が震えたそうだ。



わたしが一番に病室に到着し、
手を握りながら日付を伝えた。

「また明日ね!」

約束した通り、
日付は変わっていた。

あんなに苦しそうに唸っていたおばあちゃんは、
もう静かに、薄目を開いたまま
天井を向いて安らかな顔をしていた。


両親が到着し、
呼吸していないことを知ると
「どうしてもっと早く呼んでくれなかったんだ!」
と少し怒った。

母が、
「亡くなる前に口を閉じてあげないと、固まってしまうから」
と言い、顎を閉じようとしたが
父が、
「やめろ!」
と怒鳴った。

わたしは黙ったまま、手を握っていた。

おじいちゃんが亡くなった時と
まるで同じ光景だった。

おじいちゃんの時も、
手を握っていたわたし。

その手と手の間に、おじいちゃんの好きだった将棋の駒を挟んでいて
それを取ろうとした母に、
父が「やめろ!」と怒鳴った。



午前2:07



静かな病棟に
ピーッという音がけたたましく響き渡った。

その音で、わたしは察した。

看護師が病室をノックし、
「今、モニターを見ていたのですが
心臓の方も、止まりました。
ご家族は全員揃いましたか?」
と聞いた。

父が、
「いえ、まだ…」
と答える。

「では、ご家族が揃ってから先生をお呼びしますので、そこで時刻とさせて頂きます。」

看護師が出ていくのと同時くらいに、
姉家族が到着した。

姉に「たった今…」と伝えると、
泣き叫び、おばあちゃんに抱きつき
「うそでしょ!?おばあちゃん!!
ごめんな。また明日って言ったのに、昨日来なかったもんな。ごめん、ごめんね」
と繰り返し泣いていた。


それから10分くらい、姉と泣きながら
「おばあちゃん、おつかれさま。
苦しかったね。頑張ったね。
やっと帰れるよ。ありがとう、ありがとうね」
と伝えていた。



そこに、金浦の実家に暮らす
父の弟と、埼玉から駆けつけていた父の妹が走って入ってきた。

おばあちゃんに話しかける。

「もう、止まっているよ」
と伝えると
「止まってるの!?」

「ああ、今しがた…」
と父が言いにくそうに言う。

二人兄弟は、真っ赤になり
泣きながらおばあちゃんを抱きしめた。




午前2:35

先生が入ってきて、目にライトを当て
時計を確認し

「午前2:35 ご臨終です。」

一礼をした。

「ありがとうございました」

手を尽くしてくださった病院の方々に、
深々と家族で礼をした。



おばあちゃんは、
あっという間に綺麗に整えられ
霊安室でみんなに拝まれ、
金浦へと帰宅した。





少し寝て、おばあちゃんの所へ行くと
すでに冷たく、真っ白だった。

“息子の薄目開けて寝るのは、おばあちゃん譲りだったんだ…”
そこで初めて知って、笑ってみたり。

おでこに顔を近づけると、
まだかすかにおばあちゃんの匂いがしたり。

口は、葬儀屋さんによって綺麗に閉じられていた。





それからは、
お通夜、火葬、葬儀と
ただただバタバタとした。





お清め、納棺、出棺…
毎に涙は溢れ
火葬の際には、嗚咽するほど泣いた。

“焼かないで!逝かないで!いやだよおばあちゃん!!”

叫び出したかった。




お葬式も無事に終わり、
形見分けをして
わたしは
おばあちゃんの使っていたメガネ
よく巻いていた手ぬぐい
気に入っていたブローチ
前髪を上げていたカチューシャ
上手に見せてくれ教えてくれたお手玉を包んで持ち帰ってきた。

そして、仏壇のおじいちゃんの写真の隣に
わたしたち孫と二人が写った写真を飾った。




「ゆぅちゃん、触れる体がもうないんだね」
と泣きながら旦那に言うと、
旦那は
「触れる体がなくなっただけだ。」
と言った。

“ああ、そうか。
わたしの中に、おばあちゃんは生き続ける。
それでいいのか”
と少し楽になった。




おばあちゃん
あなたがくれた無償の愛は、
これからもわたしたちの生きる糧となり、 出逢う人達へと紡ぎ、
受け継がれていくのでしょうね。

あなたが生きた証を
わたしはきっと守り続けていきたいと思います。

最期まで、わたしを愛してくれて
その身体を振り絞って
「だいすきだ!」と伝えてくれて
本当にありがとう。

わたしは、おばあちゃんに愛され
育ててもらったおかげで
今、旦那を愛し息子を愛して
こうして幸せを感じていられるのです。

『三つ子の魂百まで』
とよく聞くけれど、本当にその通りで
四つまでわたしを保育園にも預けず
家で育ててくれたおばあちゃん。

あなたがしっかり手元でわたしを抱きしめ、愛してくれたから
わたしは今、人を素直に愛せるのです。



ありがとう



だいすきだよ、おばあちゃん。



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