Ranko☆のプロフィール♡ | ソウルヒーリングで内なる女神を呼び起こす☆

ソウルヒーリングで内なる女神を呼び起こす☆

誰もが内なる女神・神とともに生きています。ただ、その存在を知らないだけ。内なる女神を呼び起こし、愛とともに愛の無限のパワーとともに、どうあっても幸せ♡な人生を送りませんか?

 

〜プロフィール〜

 

 

ー小さい頃〜学生時代

 

小さい頃は田んぼを駆け回ったり、タニシやザリガニを捕ったり、秘密基地を作ったり、おてんばな子供でした。

一方、とても素直ないい子だったようで、地元の付属小学校に入れようとした両親に

「いろんな子供の中で、もまれた方がいい」と幼稚園の園長先生に言われたと聞きました。

 

地元の小学校に入りましたが、友達と一緒にいても、一緒にいる感じがしない、いつも浮いている感じがして、

「どうして自分はみんなに馴染めないんだろう」

「他の人に好かれる人じゃないんだ」

「自分はダメなんだ」と思うようになりました。

 特に、いじめられたわけではないけれど

いつも疎外感があって、自分を生きている感じがしませんでした。

 

自分の想いを口にすることが苦手で

顔色を伺うクセがあった私ですが、

言葉にできないバレエが大好きで、自分の想いを音楽や踊り、身ぶりで表現することがとても好きでした。

主役を2度いただき、舞台でスポットライトを浴びることも大好きでした。

中学時代はアイドル全盛期だったため、テレビのアイドルを見ては「私もアイドルになりたい♫」とずっと思っていました。笑

大学時代には、こっそり週刊朝日の表紙モデルに応募したりもしました。(見事に何の連絡もなくコケましたけど笑)

 

進学校に入ったため、周りは皆大学に行くため勉強していました。

私はみんなが行くから大学に行く、ということに意味が見出せず、悶々としていましたが

資格を取って一生仕事ができるようになりたいと管理栄養士の資格が取れる大学に入学しました。

 

大学時代は授業と実験・実習に忙しかったのですが、そんな中でもずっと「どうすれば自己肯定感を上げられるだろう」と雑誌や本を読み漁る毎日でした。

 

会話が弾まない、面白いことを言えない、ボケられない、

2枚目より3枚目の方がモテる関西で、面白くないことは最大の欠点だと思っていました。

とにかく、話すことが大の苦手で、合コンやパーティーなどが苦痛で仕方なかったのです。

本当に大きな大きなコンプレックスでした。

「私は好かれない」「私は愛されない」

ずーっとそんな信念をその後も抱え続けることになりました。

 

 

大学のゼミでは研究室に毎日こもって研究をしていましたが、アルバイトでした販売の仕事の方が楽しく、

「研究室で仕事をするより、人と接する仕事がしたい」と

小売業の会社に就職しました。

話すのが苦手なのに、人と接する仕事がしたいって不思議かもしれませんが

「世間話が苦手」だったんです。

商品を勧めることは全く平気で、とても楽しかったのです。

 

 

ー結婚するまで

 

初めての職場は若い人が多く、まるで大学のサークルのようなノリでとても仕事が楽しく、販売から女性初の営業職もやらせていただきました。

「人を動かす」「七つの習慣」など自己啓発本を読み漁ったのもこの頃からです。

今思うと、それまでつけていた鎧を少し外せる雰囲気があって、私らしくいられたのだと思います。

募集があった広報部員にも自ら手をあげ、東京本社での編集作業や広報ビデオに出演したりもしました。周りからは男前、豪快と思われていました。それも私の一部でしたが、私の中のもう一部分の弱い自分を出すことができずに苦しい思いをすることも多々ありました。

表の自分と裏の自分。二つの自分がどんどん離れていって、深くてどうやって埋めればいいかわからない暗い穴を心の中にいつも持っていました。

心理学の本を読み漁ったり、ドライブに行ったり、森林浴をしたり、自分を癒そうと思ってもどうやって癒せばいいのかわかりませんでした。(今みたいにネットもないし、情報が少ない時代です。)

 

好きなことを仕事にしたいと花屋さんへ転職するも、なかなか思うような仕事はできず、パワハラにあったこともあり、鬱状態となり退職しました。

(しかし、この時いろんな人を観察することができたことで、その後の仕事に大いに役立ちました。)

自分が大嫌いで、暗い大きな穴を心に抱えていたある日、本屋で「聖なる予言」という本に出会いました。それが、私のスピリチュアルとの出会いでした。

その後、「神との対話」などの本と出会っていきました。題名は忘れましたが、「誰にも愛されなくても神だけはあなたを愛する」というフレーズにとても癒された覚えがあります。(かと言って、宗教に入ることはありませんでしたけどね笑)

 

 

退職後、元気になってきた時に友達とイタリアとフランスへ旅に出ました。

イタリアのフィレンツェにあるウフィツィ美術館のピエタの絵の前で

「私はこの人生で無条件の愛を学ぶのだ」と悟りました。

言葉が下りてきたとしか言えない感じでした。

その言葉はその後、私の中でとても重みを持った言葉、ある意味自分を縛り付ける言葉となりました。

 

旅から帰ってきてしばらくしてから再就職し、文化施設の受付案内スタッフの採用・研修・管理・運営等をするディレクターの仕事を始めました。

新しく何もないところから立ち上げる仕事は大変なことも多々ありましたがとても面白く、終電に乗れずタクシーで帰ることもあったような日々でしたが、とても充実していて楽しい毎日でした。

仕事は楽しかったのですが、やはり大きな穴を心に抱えていて、電車の中から町の灯りを見ては

「あの灯りひとつ一つに家族がいるんだな〜」と思い、実家で両親と暮らしていたにも関わらず

「私はひとりぼっちだ」と思っていたことを思い出します。

実家は両親の巣であって、私の巣ではない。ずっとそう思っていました。

今思うと、そのままの私では自己価値観が低いから仕事を頑張っていたという一面もあったように思います。(単純に仕事が大好きでもあります。)

 

 

ー出会い〜結婚・子育て

 

パートナーは欲しいなと思っていましたが全く結婚に関心はなく、仕事一筋の毎日でした。

が、ある方の紹介で一人の男性と出会いました。

私は全く結婚する気がなかったのですが、「どうしても会うだけでも会って」と母に言われ、会うことになりました。

初めて会ったのに初めて会った気がしない人で、とても話しが弾みました。

一緒にいてもとても楽で、会っているうちに私の心の暗い穴がだんだんなくなっていったのです。そして、出会って1年くらいで結婚しました。

結婚した後も仕事は続けていましたが、妊娠し、出産1ヶ月前頃に退職しました。

(まさか自分が専業主婦になるなんて思いもしませんでした。私の人生図にはなかった・・・)

 

子供が出来てからは、自分のように自己肯定感の低い子供にしたくない、という思い、そして、無条件の愛を注がなければ、という思いを常に胸に抱え、子育ての毎日でした。

身体にいいものを食べさせ、たくさん一緒に遊び(多い日には1日3回も外遊びに付き合い)、休みの日は少し大きな公園に連れて行く。良いお母さんになりたくて必死でした。

本当は仕事がしたい、そんな思いを抑えて、イライラも抑えて、怒りも押さえ込んで子供中心で頑張っていました。(仕事をしたら、家庭をほっぽり出して仕事をしてしまうのではないか、という恐怖がめちゃくちゃ大きく、仕事ができなかったのです。)

2人目の子供ができた頃、夫が転職し、1年の半分か半分以上海外に出張に行く生活になりました。夫は手のかからない人で、出張前も自分で全て用意していましたが、出張の用意をする姿がとても楽しそうにウキウキとしているように見え、私は次の日から3〜4週間の子供達との毎日を思うと暗い気持ちになっていました。(でも、そういう気持ちを夫に言えなかったのです。私の気持ちを言わずに、わかってくれないと思っていました。ひどいよね!)

子供が小さい時はマンションの下のゴミ置場にゴミを捨てに行くだけでも、「途中で誰かに殺されたり、連れ去られたら、子供はどうなるんだろう」とか「私が倒れて助けを呼べなかったらどうなるんだろう」とそういう緊張感もずっと抱えていました。

実家に帰ったり、家に夫がいる時は助けてもらったりしましたが、小さい子供とのワンオペ育児は本当に大変でした。私が「きっちりしなければ」、「周りに迷惑をかけてはいけない」という信念を手放していれば、きっともっと子育てが楽だったと思います。でも、私は「いい母にならなければ」「あれもダメ、これもダメ」と自分に呪いをかけていたのです。

 

 

やっぱり私の人生を生きたい、とビーズアクセサリー作りや刺しゅうの通信教育を受けたり、通信制の大学にも入学しました。

でも、なぜか大学の勉強(心身相関の勉強でした)をするとめまいに襲われ、1週間近く寝込むということを1年ほど繰り返し、結局、大学は退学しました。

 

子供が幼稚園の頃、婦人科の検診に行った病院で、きっと私の様子が変だったのでしょう、看護師さんが別室で話を聞いてくれました。(自律神経失調症だと言われました)

「冷凍食品ばかり食べてもちゃんと育つから大丈夫!」「部屋がホコリだらけでも死なへんから」と言われ、号泣した記憶があります。そうなんだ、大丈夫なんだ!ってやっと気が付きました。

 

 

子供が赤ちゃんの頃から下の子が幼稚園に入るまで、仲のいい人以外とのママ友との付き合いが苦手でした。

興味が合わないし(昼ドラとか見ないし)、無意識に同調を求められているようで居心地が悪かったのです。

なぜか一緒にいなければ、仲良くしなければ、と思っていました。(だから、居心地悪かったのだけど)

でも、下の子が幼稚園に入った時、もういいやと思って、お迎えに行っても一人で待っていました。(それまではママの輪に入らなければ、と思っていた。)

そうしたら、意外と一人でいる人多いんだ!って気づいたのです。

そういう人と話していても、とても楽チンで、一緒にランチに行くようにもなりました。

 

ー病気

 

そんなママ友たちとある手作り雑貨のショップに行ったことをきっかけに(こんなんだったら作れるやん!て笑)布小物や木工作品を作って、手づくり市やフリマに出品するようになりました。毎日、集まって作っておしゃべりして楽しく過ごしていたある日、胸にしこりが見つかりました。病院へ行くと、「乳がんです」と言われました。2008年のことです。ガンの宣告を受けてからしばらくは、もう死ぬかもしれないと思っていました。それほど、ガンのことは全く知らなかったし、まさか自分がかかるとは思っていなかったのです。

でも、その時知ったのです。

 

死ぬかもと思った時、思うのは子供のことだけ。自分がもっとこんなことがしたかったとは全く思わなかったのです。その時、今まで自分のしたいことをして生きてきたんだな、と思いました。でも、子供たちには・・・子供がいなければ仕事が出来たのに、と思ったことも正直ありますが、心の奥底ではどんなに子供達のことを愛していたか、を知ったのでした。

自分は子供達の犠牲になっている、そんなことを思ってしまう自分はダメな母だ、無条件の愛で子供を愛さなければいけないのに、愛せないダメ母だ、とずっと自分を責めていたのです。

心の奥底にあったのは、子供達への深い深い愛でした。(だから、専業主婦で子育てしてたんですね笑。気づいていなかったけど)

そして、夫は私を支えてくれ、夫の深い愛も知ることとなりました。

告知から1ヶ月後に手術。そして、放射線治療・抗がん剤治療6クール・ホルモン治療5年をしました。

 

手術の後、自宅に帰ってきてからはストレスを解放する本についていた誘導瞑想のCDを寝る前に毎日聞きました。後からわかったことですが、私は自己ヒーリングを毎日していたのです。(その時は自己ヒーリングのことは全く知りませんでしたが)

ある日自己ヒーリングをしている時に「私は治った!」と直観しました。

そして、手術後3ヶ月経った頃、意識が覚醒し深い深い感謝が溢れてきました。

深い感謝とともに視力が急に10.0になったのかと思うほど全てのものがくっきりと色鮮やかにキラキラと輝いて見えたのです。あまりの世界の美しさに見とれていると、5分くらい経った頃、またいつもの風景に戻りました。いつも私たちの視界はフィルターがかかっているんだ、とわかった瞬間でした。

 

病気になったことで、人生は自分で創造していることがはっきりとわかりました。そして、受け取ることの大切さを知り、こんなにも多くの人に支えられて生きているんだ、と。

病気は大きな大きな気づきと学びを与えてくれました。本当に感謝しています。

 

 

ーヒーラーさんとの出会い〜自宅サロンを経て今

 

乳がんで手術し治療をしてしばらく後に出会ったあるヒーラーさんに、「あなたはハンドパワーが強い。将来ヒーラーになる人です。だから、これから毎日瞑想しなさい。」と言われたことをきっかけに、瞑想を始め、その後レイキ、タロット、シータヒーリングや様々なエネルギーワーク、パステルアートやマンダラアートなどを学びました。

そして、イベントに出展したり、お茶会、レイキ交流会、セッションや講座を開くようになりました。と同時に、友達と一緒に、手作りと癒しのイベントを主催したり、FB集客や動画作成講座など講師を招致し、講座を開いたりもしてきました。

 

その後、脳科学や宇宙の法則、量子力学、キネシオロジーやヒューマンデザインなどの学びを深めていきました。

 

ある日、再び覚醒し、常に無条件の愛に包まれていることを体感し、今のこの瞬間というものは多くの可能性が収束し、多くの可能性に開かれている1点であることを直観しました。

 

 

自分の仕事を一旦すべて手放し、パートナーシップを見直す時を経て、魔法の質問に出会いました。

「答えはすべて正解です」「答えが出なくても正解です」「出てきた答えをいいね!と受け止めましょう」という魔法の質問の3つのルールがピュアハートで繋がることがどんなに喜びをもたらしてくれるかということを体感しました。

 

お金の問題に向き合わざるを得ない状況になったり、夫との関係を卒業したりと、人生はどんどん変化していますが、自分が嫌いで自己肯定感を高めたかった過去の私はいつの間にか「自分大好き!」になりました。

そして、何かを得て「すごい人になること」が願いでしたが、今は「大好きな人の笑顔を見ること」が何よりの願いとなりました。

 

そして、本当の自分を生きること、自分の人生は自分で創造していると自覚を持つこと、日々ご機嫌で笑顔でいることが人生の大仕事、人生が豊かになる秘訣だとこれまでの人生から学びました。

そんな人生経験からの学びや気づきをシェアすることで、本当の自分を生き、幸せや喜びを感じ、自分の人生をより良いものにしようと目覚めていく人が増えれば嬉しく思います。

 

 

長文をお読みいただき、ありがとうございました♡

 

 

Ranko☆

 

 

 

魔法の質問認定マスター

レイキマスター

禅タロットリーダー