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生命論 「十界」
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「十界」とは、生命の状態、境涯を10種に分類したもので、仏法の生命観の基本となるものです。
十界の法理を学ぶことによって、境涯を的確にとらえ、各人がそれぞれの境涯を変革していく指針を得ることができます。
「十界」それぞれの名を挙げれば、地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人界・天界・声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界です。
このうち地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天をまとめて「六道」といい、声聞・縁覚・菩薩・仏をまとめて「四聖」といいます。
「六道」は、インド古来の世界観を仏教が用いたもので、もともとは生命が生死を繰り返す世界を六つに大別したものです。
また「四聖」は仏道修行によって得られる境涯です。
*参考文献 「大百蓮華」教学入門より、引用しました。
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十界論 (9)菩薩界
菩薩とは、仏の覚りを得ようとして
不断の努力をする 衆生という意味です。
二乗((8)声聞界・縁覚界)が仏を師匠としていても、
自分たちは 仏の境涯には至れないとしていたのに対し、
菩薩は、師匠である仏の境涯に到達しようと 目指していきます。
また、仏の教えを人々に伝え広めて人々を救済しようとします。
すなわち、菩薩の境涯の特徴は、仏界という
最高の境涯を求めていく「求道」とともに、
自らが仏道修行の途上で得た利益を、他者に対しても
分かち与えていく「利他」の実践があることです。
現実の世間のなかで、人々の苦しみと悲しみに同苦し、
抜苦与楽(苦を抜き、楽を与える)の実践をして、
自他共の幸福を願うのが 菩薩の心です。
二乗が「自分中心」の心にとらわれて 低い覚りに安住していたのに対して、菩薩界は「人のため」「法のため」という使命感をもち、行動していく境涯です。
この菩薩界の境涯の根本は「慈悲」です。
大聖人は、「観心本尊抄」で「無顧の悪人もなお妻子を慈愛す。菩薩界の一分なり」(241㌻)と仰せです。
他人を顧みることのない悪人ですら 自分の妻子を慈愛するように、生命には本来、他者を慈しむ心が具わっています。
この慈悲の心を 万人に向け、生き方の根本にすえるのが 菩薩界です。
*参考文献 「大百蓮華」教学入門より、引用しました
日蓮大聖人は、「浄土というも、地獄というも、外には候わず。ただ我らがむねの間にあり。これをさとるを仏という。これにまようを凡夫という」(1504㌻、
通解──仏の浄らかな国土といっても、地獄といっても、外にあるのではありません。ただ我々の胸の間にあるのです。
このことを悟るのを仏といい、このことに迷うのを 凡夫というのです。と述べられています。
生命に 十界がすべて具わっているということは、たとえ今の自分が地獄の苦しみの境涯であっても、仏界の大歓喜の境涯へと 変革できるということです。
このように、法華経に基づく十界論は、自身の生命の境涯を ダイナミックに変革できることを示す 原理となります。
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