十界論   (10)仏界

 

仏界は、仏が体現した 尊極の境涯です。

仏(仏陀)とは覚者の意で、宇宙と生命を貫く 根源の法である妙法に 目覚めた人のことです。
また、さまざまな経典に 阿弥陀仏などの 種々の仏が説かれていますが、これは仏の境涯の素晴らしさを 一面から譬喩的に示した架空の仏です。
 

日蓮大聖人は、末法の一切衆生を救うために、一個の人間として御自身の生命に仏界という尊極な境涯を現し、一切衆生の成仏の道を確立された 末法の御本仏です。


仏界とは、自身の生命の根源が 妙法であると覚知することによって開かれる、広大で福徳豊かな境涯です。

この境涯を開いた仏は、無上の慈悲と智慧を体現し、その力で一切衆生に自分と等しい仏界の境涯を得させるために    戦い続けます。


仏界は、私たちの生命に本来、具わっています。

ただ、それを悩み多き現実生活の中で 現すことは難しいので、

大聖人は 人々が仏界の生命を現していくための方途として 御本尊を顕されました。


御本尊に末法の御本仏・日蓮大聖人の仏界の御生命が顕されているのです。

その真髄が南無妙法蓮華経です。

私たちは御本尊を信じて 自行化他にわたる唱題に励む時に、自身の生命の仏界を現すことができるのです。


仏界の生命と信心との深い関係について 大聖人は、「観心本尊抄」で「末代の凡夫、出生して法華経を信ずるは、人界に仏界を具足する故なり」(241㌻)と言われています。

法華経は 万人が成仏できることを説く教えですが、その法華経を信ずることができるのは、人間としての自分の生命の中に本来、仏界が具わっているからです。


また、この大聖人の仰せを受けて 日寛上人は「法華経を信ずる心強きを名づけて仏界と為す」と述べています。

 

この法華経とは 末法の法華経である 南無妙法蓮華経の御本尊のことで、御本尊を信じて生き抜く「強い信心」そのものが 仏界にほかならないということです。


この仏界の境涯を現代的に言うならば、何ものにも侵されることのない「絶対的な幸福境涯」といえるでしょう。

戸田第2代会長は、信心によって得られるこの境涯について

「生きていること自体が幸福であるという境涯」と述べています。
また仏界の境涯は、しばしば師子王に譬えられます。

どのような状況下でも 師子王のように恐れることのない、安穏の境涯であるといえます。

具体的には インドで生まれた釈尊(釈迦仏・ブッダ)等です。

           *参考文献 「大百蓮華」教学入門より、引用しました。

                「SOKA YOUTH」青年部サイト

 

<教学> 生命論 「 十界論 」

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