ある夜、ワタシは出先から家へ戻る途中に、見たこともない巨大な宇宙船に遭遇した。宇宙船は月明かりに照らされながら、ゆっくりとワタシの頭上を旋回していたかと思うと、やがて大きな口から勢いよくいくつもの七色の光の玉を吐き出した。光はやがて色とりどりのタマゴになると飛び散り、夜空のかなたへと消え去った。一瞬の出来事にワタシはしばし呆然とその場に立ち尽くしていた。気が付くと宇宙船の姿はなく、ワタシの足元には黒ずんだタマゴが1つ転がっていた。こんなタマゴは今まで見たことがない。ワタシはそのタマゴを拾い上げると家へ持って帰り冷蔵庫へ保管した。
翌早朝のこと。ワタシは台所から聞こえる妙な物音で目を覚ました。音に導かれるように台所へと向ってみると、どうやらそれは冷蔵庫の中から聞こえてくるようだ。そっと冷蔵庫の扉を開けると中には黒色の小さな生き物が「ムー、ムー」と鳴き声を上げながらうごめいていた。黒い生き物のそばにはふたつに割れた黒ずんだタマゴの殻が転がっている。この黒い生き物は昨日拾ってきたこのタマゴから産まれたに違いない。とにかく冷蔵庫から出さなくては。そう思いワタシが恐る恐る手を差し出すと、その生き物はスンスンと鼻を鳴らしながらワタシの手に近寄り、パクリと指に吸い付いた。一瞬、噛み付かれたのかと思い驚いたが、黒くてポッテリとしたその小さな生き物にはまだ歯が生えておらず、それはまるで赤ちゃんが母親のオッパイを吸うかのような仕草であった。そして、不思議とその温かい感触が心地よく感じた。
よく見ると愛嬌があるような気もする。それにしてもこの黒い生き物はいったい何なのだろう。ワタシはその生き物の画像をコンピューターに入力して検索結果を待った‥。
すると画面に黒い生き物のデータが表示された。どうやらその生き物は哺乳類の一種で名前は『犬』というらしい。しかも、驚いたことにこの犬というのは旧世界の生き物で、はるか昔に絶滅したことになっており、旧世界では最もポピュラーなペットの一種とされていたようだ。性格は比較的温厚で人間には友好的な生き物らしい。たしかにそのことは先ほどの指先を舐めるような仕草からも推測できる。ただ、絶滅種である犬がなぜここにいるのだろうか。それとも、この生き物は犬に似た他の生物なのだろうか。
ワタシはとりあえずこの生き物が本当に絶滅したとされる犬なのかを確かめるために、試しにしばらく育てて様子をみてみることにした。旧世界ので絶滅種をワタシがこっそり家で育てているなんて、友人たちが知ったら何と言うだろう。通常この世界でペットといえばそれは『昆虫』のこと指し、大型の昆虫は主に乗用や労働用に用いられ、小型のものは愛玩用とされている。なかでも一部の特別な種類の昆虫は愛虫家に高く評価され、驚くほど高額で取引されることもあるらしい。そのため哺乳類をペットとして育てることはごく稀であり、一般的にワタシたちはそのような発想を持ち合わせてはいなかった。そういう意味では変わり者だと言われるワタシにとって、犬はぴったしのペットとなるのかもしれない。ワタシはそんなことを考えながら、友人たちの驚く顔を思い浮かべて小さく笑った。
データによると幼い犬の食事は本来、犬用のフードやミルクで離乳食を作るらしいのだが、我家にいる犬はすでにモリモリと冷蔵庫の中にある食料を食い漁っているではないか。「やはり犬ではないのだろうか‥」ワタシはそんなことを思いながらも水を入れた器を犬の横に置いた。犬は待ってましたとばかりにバシャバシャと音を立てて水を飲み干すと、大きく息を吐きグッタリとその場に寝そべった。そして、2時間ほどして目を覚ますと再び食料を漁り、水を飲みグッスリと眠る。その後はその繰り返しで1日が過ぎ去った。
翌朝は子供が騒々しく走り回るような足音とキャンキャンという鳴き声で目が覚めた。ワタシが目を覚ましたのを見ると犬が勢いよく駆け寄って来た。
「おはよう。オマエずいぶん大きくなってるじゃないか。」
その体は既に昨日の3倍ほどの大きさまで成長しているではないか。それにしてもひと晩でこれほど成長するとは驚きだ。データとはずいぶん違う気がするが、見た目はデータにある犬にずいぶん近くなってきた気もする。しかし、まだこれが本当の犬だと断定するには早すぎるのかもしれない。だいたい成長のスピードが本物の犬のそれとは違いすぎる。昨夜まではヨチヨチ歩きだったのが、翌朝には目に見えて体も成長し、ひっきりなしに元気に走り回っているだなんて、そんなデータはどこにも書いていない。
ただ、犬はワタシが食料や水を与えることで飼育者として信頼を置いてくれているらしく、ワタシが歩けば後について歩き、ワタシが椅子に座れば足元に寝転ぶようになった。こうして一緒に過ごすうちに短時間でワタシも犬に愛着を感じるようになっていった。
「おはよう」
翌朝、ワタシはその声で目を覚ました。今のは決してワタシの寝言ではない。そして、この家にはワタシ以外は誰も住んでいない。慌ててベッドから飛び起きたワタシをのんびりと床に寝そべった大きな犬が嬉しそうに尻尾を振って見上げていた。犬は昨日よりはるかに大きくなっていて、およそデータにある成犬の大きさにまで成長していた。そのせいか少しばかり落ち着きもでてきたようで、昨日のようにバタバタとした様子がない。それに引き換えワタシは、驚きが重なり合ってなんとも複雑な表情を浮かべていたことだろう。目の前にいる大きな犬が人間の言葉は話したというのか。そんなにわかには信じがたい思いをかき消すかのように、犬が再び口を開いた。
「おはよう」
たしかに目の前の犬が人間の言葉を話している。犬がワタシに朝のあいさつをしている。慌ててワタシは犬に向ってあいさつを返した。
「お、おはよう‥」
なんとも不思議な光景だ。ワタシは犬にあいさつを返している。しばらく驚いて犬の顔を見つめていたが、犬と自分が話をしていることを考えると無性におかしくて思わず吹きだしてしまった。ワタシが腹をかかえて笑う姿を見て犬の顔も笑っているかのように見えた。よし、これからは犬に人間の言葉で話しかけることにしよう。ワタシは少し考えて、犬のほうを向いておもむろに口を開いた。
「一緒に散歩に行こうか。」
旧世界で犬をペットとして飼うためのデータには、成犬は運動と気分転換のために散歩をする必要があると書かれていた。たしかにこの大きさでは家の中を歩き回るにも少し狭いだろうし、同じ哺乳類として気分転換が必要なことも理解できる。ワタシの言葉が通じたのか、散歩に出かける準備をはじめると、犬は嬉しそうに尻尾を振ってドアの前でワタシを待ち構えている。ワタシがドアを開けると犬はワタシのすぐ後について外へと出た。犬にとってはこれがはじめての散歩である。新しい場所へ行ったときスンスンと鼻を動かし、しきりに辺りの匂いをかぐ動作はこの犬という生き物の特徴らしい。犬は大きく尻尾を振ってワタシの周りをピョンピョンと飛び跳ねてみせた。そんな犬の姿を見ていると、こちらまで嬉しくなってくる。
もともとワタシは散歩が好きでこうしてときどき遠くまで景色を眺めながら歩くことがある。友人たちに言わせるとそれはとても妙な癖らしい。その点では、ワタシは旧世界での犬の飼われ方にある「運動」と「気分転換」という散歩が与えるメリットに賛同を覚える。これは思いがけず良い散歩仲間ができたものだ。しかも、人間の言葉を話す犬となればこの上ない散歩仲間である。以前からワタシは時折、特別に美しい景色や偶然の楽しい場面を見かけたときに、誰かにそれを話したくてウズウズすることがあった。そうしたときにひとりの散歩は不便である。その感動や驚きはその瞬間に伝えないと消えてなくなってしまう。でも、これからは犬と一緒に楽しく散歩ができる。ワタシは嬉しくなって犬の背中をポンポンと優しく2度叩いた。
犬は毎日の生活から少しずつ人間の会話を学び、ほどなくして片言ながら人間の言葉で日常会話をこなせるまでに上達した。
この間にワタシは『犬』と犬が人間と共に生活していた旧世界について調べなおしてみた。旧世界の情報の多くには制約があり、あまり一般には情報公開されていななかった。それはかつて起こった悲劇をどうにか忘れ去りたいという先人の知恵とエゴであった。かつては数百種類にも及ぶ犬たちが人間のペットや生活の仲間として飼われていた。それが絶滅の一途をたどった原因はある種のウイルス感染が原因ではないかと言われている。また、そのウイルスは犬だけではなく多くの他の哺乳類にも影響を及ぼし、その後の30年間で人口は約6割にまで激減し、人間以外の多くの哺乳類が絶滅した。そのウイルスが終息を向かえた年を境に、それ以前の人類の歩みは『旧世界』と呼ばれるようになった。
その後、人類はウイルスの脅威に打ち勝つ術を得て、もはや脅威にさらされる心配がなくなったと同時に、わずか150年足らず前に旧世界で起こった悲劇を、遠い過去の悪夢として闇へと葬るようになった。
犬は人間の言葉を覚えると、次に文字を学び始めた。部屋にはたくさん旧世界の書籍が置いてあり、それらはすべてワタシがコレクションがてらに集めたものだった。しかし、実際にはこの世界での情報はすべてデジタルであり、書籍を紐解いて何かを調べるなどという行為右派は、一部の学者だけがする行為であった。そのため、旧世界の書物のことをある者は「木々を伐採してまで作られた旧世界の産廃」と言い、またある者は「ローテクノロジー下の旧世界で作られた小粋なインテリア」と言った。それらの書籍はワタシにとってもただのコレクションの一環であり、真剣にそれを読破してみようなどということは今まで一度もなかった。ところが、犬はとてもその書籍が気に入り、毎日、熱心に読み入っては夕食の席で、知らない言葉や興味を持ったことを次々とワタシに問いかけた。
「人間はどうして洋服を着るの?」「人間はどうして2本足で歩くの?」質問の多くは一緒に過ごすワタシと犬の外見の違いや、人間の子供が思うような素朴なものだったが、ときにはワタシも頭を悩ますような難しいことを聞くこともあった。2週間もすると犬はすべての本を読みつくし、部屋にワタシがいないときは1日の大半を窓の外を眺めたり昼寝をしながら過ごすようになった。あるとき犬が窓から外の景色を眺めていると、1匹の巨大な幼虫が運搬車で街へと運ばれているところだった。
「あれは何をしているの?」小首をかしげながら犬が不思議そうにワタシに尋ねた。
「ほお、あれはきっとオオクマイの幼虫だな。」
「オオクマイは大型の昆虫だね。」ワタシの答えに付け加えるように犬が言った。
「そう。たぶんこれから市場へ運ぶんだな。オオクマイは力持ちだから、成虫になるまで育てて乗用や農耕用として使うんだろうね。」
犬はワタシのほうへ耳だけを向けて、運搬車が見えなくなるまでじっと窓の向こうへ見入っていた。









