林市造  特別攻撃隊、第二・七生隊とし出撃、与論島沖にて戦死。

加賀博子編 

林市造 「日なり盾なり

現在この本は絶版になってますので、写真に撮って内容を閲覧できるようにしました。

 

この手記は誰にも見せないようにと市造さんは書き遺しています。

母も日記だけはそれを守りました。でも「私が世の中に石を投じたいという願望」とあります。

私にはこの日記こそ市造さんの天路歴程であるように思われてなりません。

 蓮華草畑に寝ころんでしみじみ故郷を偲んだり、毎朝小川で顔洗うのは芙容の花の咲いた田舎の

家の水仙の花の咲く小川の辺りで遊んだ、素朴で楽しかった幼い日を思わせる様な所で、最後の時を

過ごし得ましたことは、せめてもの慰めです。

市造さんはやはり神様の聖手のなかにあったのですね。

 昭和二十四年福高同窓の方々は「雁来紅」を出版して、母を慰めて下さいました。「母にとって

私の死は最後でしかないであろう」と市造さんが懸念した様に、憔悴しきった母が八十八才の長寿を

保ち得ましたのはそのお陰です。お友達の皆様は市造さんに代わって孝養を尽くして下さいました。

母はこう書き遺しております。「市造は皆様の胸の中に生きています。どうぞ身体を大切にして長く

生きて下さい」と。

(市造姉 加賀博子 日なり盾なりのあとがきより抜粋)