『自衛隊の国際標準化』って何?
加賀海 士郎
〝年賀状 遅れて届く朋の顔〟
最近の物価高には目を見張らされているが、いつの間にかそれは異常ではなく普通のこととして受け容れられていくのだろう・・・馴れと言うのは実に不思議と言うかある意味そら恐ろしい気がする。郵便事情もその一つではないか、確かに配送業に携わる人も我々と同様の日常生活がある訳だから、土日の休業や労働時間の制約を受けるから昔のような訳にはいくまい。
だから時間がかかるのは仕方のないことなのだが、こと、年賀状については出来れば三ヶ日には届いて欲しいと思ってしまう。尤も、遅れるのは配達事情だけでなく賀状を出す側の事情も大きいのだろう・・・、最近は例えば「喜寿」とか、傘寿などと言ったタイミングを捉えてそろそろ年賀状を卒業したいと宣言する向きが多くなってきたようだ。これも社会的な現象と言うか風潮のようだからとやかく言う訳にも行くまいが、元々は日頃お世話になった方々へそのお礼の為に年始の挨拶回りをすると言う文化があり、当節のことだから遠方だとかその他の事情で出かけていくのが難しいのでそのお詫びの気持ちも添えて近況報告をする形が「年賀状」の習慣として定着してきたらしい。
確かに義理立てするように年に一度、形だけの年賀状を認めるのに骨を折るのも面倒な話かもしれないが・・・
毎月、知人友人にはミニエッセイ(PHPの裏表紙より)と称して近況報告のメール配信を続けている身には年賀状が如何ほどの意義があるのか疑問もある。
しかし、郵便事情で遅れて来た年賀状でも、Web検索して無料のイラストを探し出し、送ってきた賀状でも、その向こうに送り主の息遣いを感じることが出来る年賀状は何とも言えない嬉しいものだ。
⇔二見ヶ浦の夫婦岩から富士山が望める。この画像の左隅の水平線辺り、この画では確認できない・・・
実はこのブログを書き始めたのは三日の朝、箱根駅伝の復路スタートの直前に急いで日課のゴミ出しと新聞の取り込みに100段の階段を注意深く降りて、折返し一気に昇ってきた後、茶の間のテレビの前で新聞を広げ、テレビ画面を時々目で追いながら『天声人語』に目を通した。
そこには昨年末に享年96歳で他界した共産党の不破哲三氏が36歳の時に日本共産党訪中団の一員として上海で毛沢東との会談した時のエピソードが書かれていた。穏やかな雰囲気に包まれていた会談が共同コミニュケを取り纏める段になって、中国側の提案を日本側が拒否すると、毛沢東は「これ以上話すことはない」と言い放ち会談は決裂したそうだ。ソ連に対する考え方大きな隔たりが在ったことが原因だったが、それ以降、日本と中国の共産党の共産党の関係は断絶し撚りが戻ったのは冷戦終結の頃の1998年とのことだった。
このブログのサブタイトルに『自衛隊の国際標準化』って何?と書いたのは、昨年末に配信した『ゆく年くる年』で、日米安保同盟について、次の提案をしたからだ。
我が国が核の傘を離れる機会は今が絶好の機会であろう、その働きかけを決意すれば真の平和賞が掌中に届くことになると思う。多くは、夢物語と一蹴しようとするかもしれない、トランプ氏を激怒させるだけと見る向きもあろう。しかし、トランプ氏が代替わりしても次期大統領はさらにアメリカファーストを主張するのは間違いあるまい。
勿論、冗談ではない、しかし残念なことに目下の日本政府にはそのような姿勢は見られない、それどころか、昨日の米国のベネズエラ侵攻と大統領の拘束(強制収容)に始り、今朝の報道ではベネズエラの石油権益に目を付けて、マドゥロ大統領を引きずり下ろすだけに留まらず米国に都合の好い政権に転換するよう「ベネズエラ運営」を見届けると主張しているようだ。正に先祖返りのような力による支配(帝国主義)が世界を覆っていくように見える。
流石に武力による現状変更が正当化されるのは拙いとの声が上がっているようだが、トランプ大統領を真正面から非難する国は少ないようだ。中国はこの機を逃さず表向き(建前上?)強く非難しているようだが、内心はほくそ笑んでいるかもしれない?
有ってはならないことだが、台湾に武力侵攻して力による統一を前倒ししたとしても、米国にそれを非難することが出来るのか疑問だろう。
しかし、米国民がこぞってトランプ大統領を支持している訳ではない様だ。共和党にしても流石に一枚岩という訳にはいかず、米国内でも分断が進んでいるのではないか
⇔アンコールトムとアンコールワットの遺跡
⇔問題は、我が国がまともなことを言わなければ、米国の属国と勘違いされて相手にされなくなると言うことことではないか。その意味からも核の傘から離脱する覚悟を決めるのは決して夢物語ではあるまい。
〝身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ〟
と言うじゃないですか、本気になれば活路はきっと開けるはずだ。その時こそ初代女性宰相にノーベル平和賞の芽が出て来るに違いない。
しかし、冒頭に掲げた自衛隊の国際標準化が、単に自衛隊員の和名を修正して旧日本陸軍名称を使うと言うことであれば、全くの無駄どころか、軍国主義の復活と誤解されるだけだから百害あって一利なしではないか。その点についていま少し、説明を加えたかったが、うんざりすると、それこそ嫌われるだけだからやめて置こう。
完


