「選択肢を常にたくさん持って生きていく」は岩渕健輔(いわぶち・けんすけ)さんの座右の銘です。 
岩渕健輔さんは1975年、東京都生まれ。青山学院高から青山学院大へ。天才肌のスタンドオフとして活躍、大学2年で日本代表に選ばれる。日本代表としては、20試合に出場した。社会人強豪の神戸製鋼やケンブリッジ大学、英国、フランスのチームなどを経て、2008年から7人制日本代表コーチを務める。2009年から日本協会で育成などを担当し、2012年からラグビー日本代表ゼネラルマネジャー。

                                                    (岩渕健輔さん)
イメージ 1アウェーで大胆な行動力
 
ラグビー日本代表ゼネラルマネジャー(GM)の仕事は多岐にわたる。だが、つきつめれば「日本代表を強くするのが仕事」と語る、若き司令塔である。日本代表ヘッドコーチがプロ野球の一軍監督にあたるなら、GMは、強化のプランやスケジュールを作り、時に二軍監督として一貫指導を進めたり、広報担当として魅力を発信したりもする。
 楕円(だえん)球を自在に操るスタンドオフ(SO)として活躍した現役時代も、国際会議などで世界を股に掛ける今も、両親の言葉を胸にしのばせている。「『選択肢を常にたくさん持って生きていく』という教えは常に心がけてきた。Aパターンだけでなく、他も考える。転びそうになっても倒れずゴールにたどり着けるように準備する」
 青山学院初等部3年で競技を始めた。4年生の時に香港で観戦した7人制ラグビーの国際大会が忘れられない。お祭り騒ぎの中、海外の強豪が華やかなプレーを披露していた。「世界で勝負したいという気持ちを強く持った」。海外志向が一般的ではない時代に、すでに「選択肢」として見据えていた。
 青山学院大では厳しい練習をこなしつつ、政治学を学び、将来のため英語の習得にもいそしんだ。1998年秋、ついに英国の名門ケンブリッジ大の門をたたく。だが欧州で日本人が戦う現実を思い知らされた。「日本の選手には完全なアウェー。チャンスすら与えてもらえなかった」
 ここであっと驚く手を繰り出す。「選手を決める大きな力を持つのが主将。周囲に働きかけ、国籍にこだわらない主将を誕生させた」。そのおかげもあり、留学2年目には、伝統のオックスフォード大との定期戦で司令塔のSOとしてピッチに立つ快挙を成し遂げる。準備した語学力と大胆な行動力のなせる業だった。
 2015年に次回ワールドカップ(W杯)がイングランドで開かれ、19年には日本での開催が控える。日本は、過去全7大会に出場しながら勝利は1回だけ(通算成績1勝21敗2分け)。伝統国との定期的な対戦が強化の一番の近道で、システムの構築を含め、GMの腕の見せ所だ。「日本大会の目標は8強だが、上方修正できるくらいじゃないといけない。『(強豪の)ニュージーランド代表には負けて当然』という考え方はやめようと言っている。世界一になれると思って、やる」
 球を持つと「何かをやってくれそう」なワクワク感を抱かせた現役時代。今も、同様の雰囲気に包まれている。
 
(読売新聞「言葉のアルバム」201437日)
 
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