「いつも心に太陽を」はギンビス社長の宮本 周治(みやもと・しゅうじ)さんの座右の銘です。「お菓子づくりは平和産業。だから社員がそういう心で作り、売ってもらえればいいなと。
宮本周治さんは、1973年東京生まれ。神奈川県大磯町で育ち、中学卒業とともに渡米。フランクリンピアース大学からサフォーク大学に編入、卒業。香港の四洲集団有限公司に入社。2年の武者修行後、帰国してギンビス入社。常務取締役営業本部長を経て、今年3月、父親・隆司の死去のあとを受けて社長に就任。国際派であり、並の御曹司とは違うタフさが身上だ。「湘南育ちで、根アカ」を自称。社業では「お菓子に夢を」という経営理念を大事にし、商品の味と品質を常に自らの舌でチェックしている。
                                 (宮本周治さん 
イメージ 1ロングセラー商品のブランド拡張に注力
 
「アスパラガスビスケット」「たべっ子どうぶつビスケット」などロングセラー商品で知られるギンビス。この3月、社長に就任した宮本周治氏は、中学を出ると米国のミリタリースクールに学んだ異色の経歴を持つ。香港でも2年間下積みを経験しているタフな国際派トップは、老舗をどう変えようとしているのか。 
 --まだ誰もモンドセレクションを知らない頃から出品するなどブランド戦略を重視してきました
 「モンドセレクションが日本に浸透するきっかけを作ったのは、当社かもしれません。1975年の第14回セレクションにすでに出品、『アスパラガスビスケット』が金賞を受賞しています。先代社長、私の父親ですが、コロンビア大学に留学、ペンシルベニア大学ウォートンスクールを出て、早稲田大学大学院で修士号を取得したという経歴です。ですから、もちろんそういうことも考えたのでしょうが、最初はむしろビスケットの本場ヨーロッパで、日本の菓子が通用するのかどうかを確認したかったからだと聞いています」

 --「アスパラ」にしても「たべっ子どうぶつ」にしても、大人から子供まで幅広く浸透しています
 「ありがとうございます。『アスパラ』が発売から45年以上、『たべっ子どうぶつ』が35年、3本柱のもう1つ『しみチョココーン』も10年余りたちますが、いずれの商品もおいしさを第一に、その上で子供たちの健康や『たべっ子どうぶつ』のように知育・教育に役立つようにと考えられて作られています」
 「ですから親子、孫の3代にわたってファンというご家庭も少なくありません。週末、お子さんたちが集まるパーティーがあると、お父さんがまとめて数パック買っていかれるようなことも少なくない。過去、類似品が随分出ましたが、いつの間にか消えました。品質第一、おいしさ第一という当社のものづくりの姿勢が支持されているのだと思います」
 --3本柱ですが、今後の展開はどのように
 「ひと言で言えば、ブランドエクステンション(拡張)ですね。それにより強い柱をさらに強くし、堅実な成長を達成する。例えば『アスパラ』であれば、黒ゴマ入りのオーソドックスな商品もしっかり売っていきますが、表面にチョコがけしたものや、パッケージを小さく5連にしたものなどを売り出しています」
 「『たべっ子どうぶつ』にしてもバター味が中心ですが、チョコレートコーティングしたものだとか、野菜味、あるいはアレルギーの出にくい材料のもの、化学調味料や合成着色料を使わないものなどを出しています。『しみチョコ』も同様で、味を変えたものや、今後はプレミアムバージョン(高価格帯)なども出してきたいと考えています」
 --新しい商品としては、どのあたりに期待を
 「『銀座@ラスク』『チョコバーZ』、それにスナック菓子系の『堅焼きポテトスナック』『焼き枝豆』などですね。後者は当社のコア技術である焼きの技術をさらに磨いて作り出したもの。前者もチョコを生地に含浸させる当社の技術が生きていて若い世代、女性に人気です。今後の計画として、うちにしかできない最高級ビスケットを開発したいと考えています。その場合、流通ルートなども変えることになるでしょう」
 --海外戦略にも、早くから取り組んでいる
 「中国の工場は、今年で操業開始17年目になり、ここから中国国内、米国、東南アジアに出しています。売上高に占めるこれら海外市場シェアは、現在、生産数量ベースで15~20%ですが、ここ数年急速に伸び、4~5年で25%に手が届くとみています。中国工場は増設を続けており、できれば東南アジアにも工場を新設したい。それができると大きな飛躍が遂げられることは間違いないですから」
 「また米国は何と言っても世界最大の菓子市場で人種も複雑。ここで受け入れられれば世界のマーケットに出られるので、この市場も攻略していきたい。そしてお菓子を通じて世界平和に貢献したいと思っています」 
【ミリタリースクール】 中学卒業と同時に渡米。「もともと海外に興味があったのですが、兄から『早く行くほうがいい』と言われて」
 留学先はニューヨークのミリタリースクール(陸軍士官学校)。「父親の、『日本にない学校へ行け』というアドバイスで決めました」
 米軍OBが中心になって運営する高校で全寮制。起床ラッパから夜寝るまで完全に軍隊式。「厳しすぎて夜逃げする同級生がいたりした。私自身は逃げるといっても日本ですからね」。何やら懐かしげでもある。
 「腕立て伏せやら、ランニングをどれほどやらされたことか。今は頑張ってよかったと思いますが、子供に『お前も行け』とはちょっと言えないですね」
 【香港時代】 米国の大学を出ると、香港へ。父親の知人が経営する食品の製造・輸入・卸などを行う会社に入社する。「今で言うインターンシップで行っていたところ、うちへ来ないかと誘われて」
 2年間在籍したが、「何が困ったかというと広東語。米国では漢字などと無縁の生活だったうえに、日系スーパーなどでも現場のマネジャーは広東語しか話さない。これには参りました」。
 とはいえ、2年間で、きっちりコミュニケーションは取れるようになったという。
 「ミリタリースクール時代もそうでしたが、とにかく目の前にあることをしっかりやろうという気持ちのほうが強くて、大変だとかはあまり思わなかったですね」。タフに生まれついたのか、そう鍛えられたのか。
 【スポーツ】 中学時代のバレーボールに始まり、アメフト、水泳、空手と多彩。最近は極真会館の空手道場に通う。「鍛えるためというより、体を動かすことで自分自身が元気になるという感じですね」

 会社メモ 老舗菓子メーカー。本社・東京都中央区。1930(昭和5)年、東京・錦糸町で創業。「銀座ベーカリー」の名称を経て、74年に銀座のビスケット「ギンビス」に。ブランド力強化、海外進出に早くから取り組み、中国・汕頭市に工場を持つ(別法人合弁会社)。国内はビスケットのほかスナック菓子などをラインアップに安定成長を目指し、海外は中国・東南アジア・米国を中心に拡大戦略を取る。資本金5000万円。従業員数405人(グループ含む)。売上高非公表。
MSN産経ニュース201471日)
 
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