「何がほしいか、ではなくて何を捨てるか、だ問題から逃げない」はミレニア社長の垂井博紀(たるい・ひろき)さんの座右の銘です。
垂井博紀さんは、1966年岐阜県高山市生まれ、桜美林大卒。大手ホテルチェーンに勤務した後に渡米。1991年から現地で医療、看護に携わり、訪問看護事業の経営に乗り出した。
1999年に社名を「ミレニア」とし、2004年に日本法人を立ち上げた。
                                  (垂井博紀さん
イメージ 1未来を逆輸入 米国式「医療の現場」
 
訪問看護と傷のケアを中心にしながら、生活の質向上を目指している。20代で単身渡米後、患者を各機関が連携して支える進んだ現場を目の当たりにして、仕組みの逆輸入を進めてきた。医療をめぐる環境が15~25年ほど遅れて米国と似た経緯をたどるなか、本場の事情に精通したリーダーに対する期待は大きい。
 ──業務は多岐にわたっていますね
 「基本は医療の現場です。まず、病院に入院するのと同じ形の医療を在宅でやっています。認知症の早期発見プロジェクトや、糖尿病で足を切断しなければならない方を助ける創傷ケア外来のマネジメントも全国展開しています」
 ──特に力を入れている分野はどこでしょうか
 「まずは訪問看護です。アメリカで政府が医療費を削減、長期入院を規制したように、日本も同様の流れで制度が変わっています。いまこの瞬間、これまでなら病院の中にいたであろう医療ニーズを持ったかなりの方々が、自宅にいらっしゃるのです。そのなかで訪問看護の充実を図っています」
 ──米国で起業した後に日本法人を立ち上げました
 「訪問看護を展開するうち、がんや糖尿病、認知症患者のケアなど、『これは必要だ。でも、まだ日本にはない』というものに数多く出合いました。ならばそれらの仕組みを日本に持っていけばよいのでは、と考えたのです」
 ──日本への逆輸入ですね
 「そこでコンサルティング部門を作り、アメリカの最新技術を選別し、必要なものであれば独占権を取得して日本に紹介しています。大手商社なら社内手続きなど数年はかかるところを、現場の第一線にいて小回りがきく私たちなら3日で持ち込めます。スピード感が強みです」
 ──渡米のきっかけは幼稚園時代の友人だったとか
 「アメリカ人と日本人のハーフのジョージ君で、地元の幼稚園で一緒でした。学生時代、彼が住んでいた米ロサンゼルスへ遊びに行ったり、彼が友人と日本へきたりするうちに、『アメリカに行きたい』という気持ちが強くなりましたね」
 ──そしてある日、米国の知人から働き口を紹介する電話が入り
 「大学を卒業して入った会社にはすぐ辞表を出し、ロサンゼルスに飛びました。その就職先が看護師の人材派遣会社で、現在の事業を展開するきっかけになったのです」

 ──いまは米国と日本を頻繁に往復されているそうですね
 「飛行機が映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の乗り物に感じます」
 ──というのは
 「アメリカで15~25年前の医療に関する資料をみると、そこにあるのがいまの日本の姿です。ということは、日本の15~25年後がいまのアメリカにあります。仕組み的にアメリカで成功しているものは日本でも成功するはずだ、という流れがみえると思いました」
 ──今後の目標を教えてください
 「健康を願うすべての皆さまに安心、希望、勇気を届け、それをずっと続けられる会社であってほしいと思っています。テクニックを追求するだけでは消滅してしまうでしょう。次の世代が創業者と同じ夢をみるのは難しいという問題もありますが、チャレンジしていかなければなりません。せっかく出合えたこの事業を100年、200年、そして300年と続くようにしていきたいです」
 【趣味】 ゴルフ。20歳ごろから始めた。昨年の12月24日に初のホールインワンを達成。
 【好きな食べ物】 野菜。
 【お酒】 「たしなむ程度、ではないでしょうか。ワインならハーフボトルぐらいです」
 【健康法】 温泉や自宅の風呂など、湯船につかって血流をよくする。1日に数回、風呂に入ることもある。
 【睡眠時間】 6時間程度。
 【学生時代】 在ロサンゼルスの友人やその仲間と交流するうち、米国との差を感じるようになった。 「ちょうどソウル五輪の年で、アメリカ人の彼らは中継をみながら開催地をめぐる隣国の動きや背景などを語っていたのです。とてもそこまで考えがおよばず、『これはマズい。世界観のレベルが違う』と感じました。そこからですね、『アメリカで勝負したい』と強く思うようになったのは」
 【就職】 100年以上の歴史がある料亭旅館の長男だったこともあり、勉強の一環として大手ホテルチェーンに就職。しかし、渡米のきっかけをつかみ、約1年で退職。
 【渡米はしたが】 医療制度改革のあおりを受け、就職した看護師の人材派遣会社が倒産。が、東海岸にはまだニーズがあることを知り、4人の看護師を連れてバージニア州に飛んだ。同州での事業は軌道に乗らなかったものの、起業の足がかりになった。
 【尊敬する経営者】 訪問介護などを展開する「セントケア・ホールディング」(東京)の村上美晴(よしはる)会長。29歳のときに知り合い、数多くのことを教わったという。
 「よく覚えている言葉は『何がほしいか、ではなくて何を捨てるか、だ』。経営者はあれもほしい、これもほしいと欲張りになりますからね。また、あるとき『うちの社員は元気がないんですよ』と愚痴をこぼすと、『それは元気のいい会社を作ろうと、あなたが腹の底から思っていないからだ』と一喝されたのも忘れられません。結局、社長がだらしなかっただけのこと。『なればいいな』では何も変わらないのです」
 【リーダーシップ】 勇気を与える存在であることを心がけている。「いくら理屈を説いても、人はそう簡単に動いてくれません。人は勇気を得て、はじめて動くのでしょう。ですからリーダーは、何かをもらう姿勢ではなく与える姿勢にならなければならない。そして勇気をしっかり与え続けられるよう、まずは自分の健康に注意しています」

 【会社メモ訪問看護、創傷ケア、認知症プログラムなど、安心して暮らせるための医療、看護に関する事業を展開。2004年設立。本社は東京都中央区。今年3月、日本初の足専門医院「足の診療所」(東京都港区)の開設を支援した。資本金1000万円。グループの年商14億円、従業員350人。
 
MSN産経ニュース201393日)
 
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