「念ずれば通ず」は斉藤 惇(さいとう・あつし)さんの座右の銘です。
斉藤 惇さんは1939年、熊本県生まれ。慶大商卒。1963年野村証券入社。公社債部長、ニューヨーク勤務などを経て、1995年に副社長。2003年に産業再生機構の社長に就任。機構の解散後、2007年に東京証券取引所の社長。2013年から、大阪証券取引所との経営統合で誕生した日本取引所グループの最高経営責任者(CEO)を務める。趣味は園芸と畑仕事。
斉藤 惇さんは1939年、熊本県生まれ。慶大商卒。1963年野村証券入社。公社債部長、ニューヨーク勤務などを経て、1995年に副社長。2003年に産業再生機構の社長に就任。機構の解散後、2007年に東京証券取引所の社長。2013年から、大阪証券取引所との経営統合で誕生した日本取引所グループの最高経営責任者(CEO)を務める。趣味は園芸と畑仕事。
(斉藤 惇さん)
私欲を捨て仕事に全力
「念ずれば通ず」。仏教関連の本を読み、心に残ったことを記してきた大事な
ノートに、そう書き留めてある。
「私欲を捨てて目の前のことに一生懸命取り組んでいれば、どこかで天は見ていてくれる。読み返してみると、書いていることはずっと同じなんですよね」
ノートを書き始めたのは、米国野村証券の副社長としてニューヨークに赴任した40代のころだ。
「私欲を捨てて目の前のことに一生懸命取り組んでいれば、どこかで天は見ていてくれる。読み返してみると、書いていることはずっと同じなんですよね」
ノートを書き始めたのは、米国野村証券の副社長としてニューヨークに赴任した40代のころだ。
入社以来、株式取引を通じて人間の欲望がぶつかり合う壮絶な世界を見てきた。会社の経営に少しかかわるようになり、ふと立ち止まって仕事や生き方について考えた時、手に取ったのは般若心経や観音経だった。
どんなに金銭や地位を求めても、結局最後は死んで「無」に帰す。煩悩にとらわれず、目の前の仕事に全力を尽くすことが大事――。そんな教えを自分に言い聞かせた。
だが野村証券の副社長だった1997年、総会屋への利益供与事件が発覚。社内調査を担当、
どんなに金銭や地位を求めても、結局最後は死んで「無」に帰す。煩悩にとらわれず、目の前の仕事に全力を尽くすことが大事――。そんな教えを自分に言い聞かせた。
だが野村証券の副社長だった1997年、総会屋への利益供与事件が発覚。社内調査を担当、
心身ともに疲れ果てた時、自宅の庭に咲いていたハナミズキの花が、本来のピンクではなく灰色に見えた。
「自分の心が曇っていて、捨てなければいけないはずの欲望が残っていた」。自責の念にかられ
「自分の心が曇っていて、捨てなければいけないはずの欲望が残っていた」。自責の念にかられ
ノートを何度も読み直し、書き直した。
事件の責任を取って経営陣の総退陣を提案し、自らも身を引いた。家に仏壇を買い、朝晩に般若心経や観音経を読むのが日課になった。
還暦を過ぎ、そろそろ静かな生活を送ろうとしていた時、政府主導で設立された産業再生機構の社長就任を打診された。企業再生ビジネスに縁はなかったが、「天命として、残りの人生を国に奉仕したい」と受け入れた。政治家や官僚、銀行など多くの利害関係者がいるなかで中立の立場に徹し、
事件の責任を取って経営陣の総退陣を提案し、自らも身を引いた。家に仏壇を買い、朝晩に般若心経や観音経を読むのが日課になった。
還暦を過ぎ、そろそろ静かな生活を送ろうとしていた時、政府主導で設立された産業再生機構の社長就任を打診された。企業再生ビジネスに縁はなかったが、「天命として、残りの人生を国に奉仕したい」と受け入れた。政治家や官僚、銀行など多くの利害関係者がいるなかで中立の立場に徹し、
ダイエーなど41件の再生案件を手がけた。
機構は当初予定より1年早い2007年3月に解散した。企業再生で黒字が出ていたが、「欲がからむ前に『無』に戻さなければ、どこかで間違える」との思いからだった。
その年の6月、東京証券取引所社長を、やはり「天命」と思い引き受けた。大阪証券取引所との経営統合を実現し、今年1月には持ち株会社の日本取引所グループの最高経営責任者(CEO)に就いた。国際的な市場間競争が激しくなるなか、日本市場の存在感を高める取り組みが続く。
「人間の本当の価値がわかるのは肩書がなくなってから。書き留めてきた言葉通り、最後まで日々の仕事に全力を尽くそうと思っています」
機構は当初予定より1年早い2007年3月に解散した。企業再生で黒字が出ていたが、「欲がからむ前に『無』に戻さなければ、どこかで間違える」との思いからだった。
その年の6月、東京証券取引所社長を、やはり「天命」と思い引き受けた。大阪証券取引所との経営統合を実現し、今年1月には持ち株会社の日本取引所グループの最高経営責任者(CEO)に就いた。国際的な市場間競争が激しくなるなか、日本市場の存在感を高める取り組みが続く。
「人間の本当の価値がわかるのは肩書がなくなってから。書き留めてきた言葉通り、最後まで日々の仕事に全力を尽くそうと思っています」
(読売新聞「言葉のアルバム」2013年11月22日)
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