イメージ 1シャンソン歌手の草分けとして知られる石井好子さんが
7月17日に肝不全のため亡くなられました。87歳でした。
石井好子さんの名言には、
「丸い地球の上で歌い続ける」 
「終電車は始発電車」 
「今を一生懸命に生きなければ永遠はない」 
などがあります。
健康で歌えることが大事になるので、日頃の生活の中でも、努力というより習慣、よい癖をつけるということから、時間を見つけてはウォーキングやストレッチを行い就寝前には、いろいろなパターンの腹筋を鍛える体操をしてきたそうです。
また木原光知子さんに誘われてマスターズの水泳大会の50m平泳ぎ優勝の体験をして、体が健康であることの喜びを再認識しましたと語っていました。

石井好子さんは、良家のお嬢さん(石井光次郎元衆議院議長の次女)であり、小生はフランス語が理解できないため、石井好子さんくらいのシャンソン歌手ならパリに行けばどこにでもいるよといった話にもそんな程度のシャンソン歌手なのかと納得して、むしろ石井好子さんが「巴里の空の下オムレツのにおいは流れる」というエッセイを書いて日本エッセイスト・クラブ賞を受賞と知って、思わぬ副産物が身を立てて良かったなと思ったものです。
しかしながらその後、石井好子さんがドイツ歌曲、ジャズ歌手を経てシャンソン歌手になるまでの日本と海外での波乱万丈のいきさつを知って、ただものではないなと初めてわかりました。
石井好子さんが歌手生活35周年を迎えたようとした年、最愛の夫の死という悲しみが訪れました。
『百花為君開』(百花君のため開く)
 これは、夫を失い悲しみに沈む娘のために父の石井光次郎氏が書いたものでした。
「嘆き悲しんでいるけれど、お前の周りには百の花が咲いて慰めている。自分一人の人生ではない。皆が自分のことを思ってくれていることを感謝しなさい」と。
政治家としては真面目さとクリーンな政治信条から自身の出世にも淡白であった石井光次郎氏は、鳩山政権の後継を争った自民党総裁選では、二位・三位連合の奇策で石橋湛山氏を統一候補として岸信介氏を破り石橋内閣成立の立役者にもかかわらず、その副総理就任を辞退しました。その後、思いもよらない石橋湛山氏の病気退陣による後継総裁の座は、副総理として入閣していた岸信介氏に奪われることになりました。
花が大好きな小生にとって、この『百花為君開』は石井好子さんが、夫や父の相次ぐ死を乗り越えて、悲しみのどん底にあっても、涙があふれ、泣き伏しても、立ち上がり歌えたのはいつでも石井さんのそばには、シャンソンとこの言葉『百花為君開』があったからと思われます。
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石井好子さんの素晴らしいことは、シャンソン歌手としての活躍の他に後輩歌手育成のために日本シャンソン協会長やパリ祭などの活動、難民救済のチャリティコンサートの慈善活動に非常に力を入れて貢献したことでしょう。
シャンソン歌手には、石井好子さんや芦野宏、中原美紗緒、岸洋子らのように音大出身者の比較的端正な唱法と宝塚歌劇の越路吹雪や独学の若手シャンソン歌手などの感性豊かな唱法があるようです。

イメージ 35年程前に知人の紹介で『ワサブロー』というフランスで30年以上活躍している日本人シャンソン歌手のリサイタルに行ったことがありました。フランスのシャンソン歌手がフランス人以上に流暢にフランス語で歌うシャンソン歌手と紹介しているようです。小生はフランス語を理解できませんので、フランス語の正統性は区別できませんでしたが、日本で活躍しているシャンソン歌手の唱法とは確かに何故か異なっていました。
ワサブローさんは「僕にとってフランス語は最もよく鳴らすことの出来る楽器」と説明しています。
フランスのシャンソン歌手は、フランス以外の出身者が多く、フランス人でなければ、シャンソン歌手になれないというわけではないそうです。
たとえば、イブ・モンタンは「イタリア」、シャルル・アズナブールは「アルメニア」、アダモは「イタリアのサルディニア」、バルバラは「ベルギー」、シルヴイ・バルタンは「ブルガリア」、ジョルジュ・ムスタキやナナ・ムスクーリは「ギリシャ」、ダリダは「エジプト」といったように、その出身は様々のようです。どの歌手もフランス語はネイティブのフランス人と変わりなく話せるそうです。

「NHK地球ラジオ・にっぽんチャチャチャ」に7月17日(土)の17:30から「海外で活躍する日本人にお話を聞く」という番組にワサブローさんが出演していました。

時代が人を求めるし、時代が変わると違った人達が新しい活躍の場を創り上げていくのでしょう。
小生がシャンソンをもっと理解し楽しむにはフランス語と仲良くしないと無理ですね。
mont-livre