自転車日本一周の旅 ~ミサンガで繋がる縁~ in沖縄 その3
沖縄へ行った1つの目的が、以前の旅の北海道に行った時に出会った旅人に会うためだった。
彼は今は沖縄に移住していて、国際通りで手作りのミサンガを売って生活している。
旅では本当に色んな人と出会った。
旅に出る前では想像もつかない生活をしている人と沢山出会った。
その生き方の多様さが、僕の生き方を幅を広げてくれたように思える。
彼もその中の1人だった。
彼はミサンガを通じて、沢山の人と出会っていた。
手作りのミサンガを買ってくれて身に着けてもらえるし、買ってくれた人は喜んでくれるし、人とのつながりも増えていく。
こんな幸せなことは無いと思う。
定住しながらも旅をしているようにも見えた。
失礼だけど、お金が沢山あるようには見えなかったけれど、本当に豊かな生活をされているように感じた。
旅を終えてから、「移動をしなくても、一箇所に留まりながらも旅をしているような生活をしたい」と思うようになった1つのきっかけも、彼だった。
留まりながらも、旅のように、色々な気づきや人との出会いに満ち溢れているような生活。
そのきっかけの一つとしての「ミサンガ作り」というのが、とても印象深かった。
彼にミサンガ作りを教えていただき、実際に何人かの人にプレゼントをした。
僕は商売というよりも、出会った人にプレゼントするという形の方が、自分に合っているように思える。
というのも、今まで旅の中では、農業の体験をやらしていただいたり、イベントに連れて行ってもらったり、人を紹介してもらったりと、「何かをしてもらう」ということばかりだった。
すごくありがたいことだったけれど、やってもらうばかりで、ずっと申し訳ないなと思っていた。
当時の日記を見ると、「受けた恩を返していきたい」という言葉が何度も書かれている。
こちらから相手に何かしてあげられないかなと、よく考えていた。
旅では多くの人と出会えるけれど、その場限りの関係になってしまう事も多い。
でも、プレゼントした人が着けてくれて、それを見るたびに僕のことを思い出していただければ、それだけでも繋がっていられるんじゃないか。
そう思って、旅から帰ってから、せっせと1個ずつミサンガを作っていった。
そして、先日プレゼントした人と久しぶりに会った。
ミサンガを着けてくれているのに気づいた時は、本当に嬉しかった。
「恩を返す」ということにはなっていないかもしれないけれど、ミサンガで繋がる縁を確認できた気がしたから。
これからもミサンガをプレゼントできるような日々を過ごしたいなぁ。
自転車日本一周の旅 ~this is a Music!~ in 沖縄 その2
僕が泊まったゲストハウスでは、よくパーティーが行われていた。
というより、何かにつけて毎晩宴会が開かれていた気がする。
初日には、泊まっていた人の自由参加で、浜辺でのパーティーが開かれた。
そのパーティーがあると聞かされたのは、昼に到着して直ぐだったので、あわててシャワーを浴びさしてもらって、みんなでワゴンに乗り合わせて出発した。
1時間ぐらいゆっくりとワゴンに揺らさられながら、沖縄のどこかのビーチに到着した。
とてもこじんまりとした、かわいらしい砂浜だった。
僕たちのほかには誰もいない。
そのビーチの端っこに、ポツリと打ち放しのコンクリートの建物が建っていた。
一階の部分は吹きさらしだった。
そこに、スピーカーやマイクなどの音響機械、さらにそれぞれが持ち寄った楽器を設置したら、そこはまさに簡易のライブハウスになった。
日も暮れだすころ、パーティーは始まった。
ある人は音楽にあわして踊ったり体を揺らせ、またある人は即興で歌を歌い、またある人は用意されたお酒や食べ物を食べたり、話したりと、みんな自由に騒ぎまくった。
音楽が途切れた間に、僕は旅に持参したギターを弾いた。
歌ったのは、Caravanというアーティストの『Trippin' Life』という曲。
その名のとおりで、スローでピースフルな旅の曲。
リズムにあわして体を揺らしてくれる人もいたりして、とても気持ちよく歌えた。
本当に音楽をやっていて良かったなぁ、と思えた瞬間だった。
歌い終わった時、人とリズムやメロディーを共有できた喜びがあふれ出てきた。
僕が歌ったのを皮切りに、それぞれが自由にギターを弾いて歌い始めた。
メインのエレキギターにあわして、僕もコードを合わせて弾いていた。
1つの音にあわせて、ある人は口ずさみ、体を揺らし、音楽を奏でていった。
その相乗効果で生まれた音楽は、今まで味わったことが無いくらい気持ちがいいものだった。
「あぁ、これが音楽なんだなぁ」
難しい音楽理論なんて関係ない。
歌が上手い下手じゃない。
ただ楽しく音を奏でてリズムに乗るのが、「音楽」じゃないのかな。
夜通し音楽は流れ続けた。
自転車日本一周の旅 ~新鮮な夜~ in沖縄その1
先日東京に行った際に、自転車旅の中で出会った人と再会しました。
彼らといると、自然に自転車旅の時の話になりました。
なんだか、とても懐かしく思えて仕方がありませんでした。
そんな中、
「そうだ。旅の文章の続きを書かなくては。」
と、思い出しました。
すっかり忘れていた、書きかけの旅の報告。
そろそろ書き終えてしまいたいと思います。
一年前の春、とうとう日本一周の南の端、念願の沖縄に着いた。
沖縄はこの時期に行くものじゃないのかもしれない。
天気は曇りがちで、しかも気温も低く、ずっとダウンジャケットを着ていた。
話によると、この時期の沖縄は、なんと梅雨らしい。
オフシーズンの閑散とした観光地を望んで来たものの、さすがにこの天候は気落ちしてしまった。
しかも、当てにしていた名護のゲストハウスは冬期休業で泊まれず、初日から予定外の野宿をするはめになった。
「沖縄は僕を受け入れてくれるのだろうか?」
そんな不安を抱いてしまった。(以前「受け入れられなかった」経験があるのだ)
結果的に、この疑問は那覇で解決することとなった。
沖縄料理を食べたり、米軍基地を眺めたり、酔っ払いのオジサンと話をしたりしながら、一路那覇へ。
北海道で出会い、この時ちょうど那覇に移住していた知人の紹介で、あるゲストハウスに泊まることとなった。
このゲストハウスの印象は、「とにかく濃い」ということ。
後から知った話だけど、このゲストハウスは一部では有名らしく、全国から多くの人が訪れ、このゲストハウス関係の人が全国に散らばっているという、人の繋がりがかなり濃いところだった。
立地的には国際通りの本当に直ぐ近くだけれど、どこか東南アジアの裏路地を思い起こさせる雰囲気があった。
実際に東南アジアを旅したことはないが、そう思わせる独特の雰囲気のある不思議なゲストハウスだった。
ここのゲストハウスでは夜な夜な宴会が催された。
その日出会った人たちと、夜遅くまで飲み明かした。
ある人の片手には泡盛、ある人はオリオンビール。
白熱灯の暖かい色に照らされた食卓には、島ラッキョなど沖縄のおつまみが並び、
みんなで1つの鍋を突き合いながら、それぞれ自己紹介をした。
話下手な僕は最初は全く馴染めず、いつものように直ぐに一人になりたがった。
でも、「旅の目的は、出会いだ」ってことを思い出しました。
そこで、「当たって砕けろ!」と、精一杯話してみることにしたところ、これが結構上手くいきました。
話は盛り上がり、僕の旅の話をしたり、他の人の職業や夢の話を聞いたり出来た。
お酒の力を借りたことは否めないけれど、コミュニケーションを心の底から楽しむことができた。
5日滞在した中での最終夜のことでした。





