今日も面白い議題を見つけたので
記載したいと思う。
最強と無敵はどちらが上か?
なかなか面白い矛盾のテーマだ
ピグで議論するには惜しいくらいの
テーマである。
無敵は
AはBCDを排除でき
おのずと最強になり
内包してるので無敵が上だ
と主張するような人間が出るのだから
悲しくなる
ピグではまともな議論をしてる人間を
「 おぐりん 」さん以外に出会った
事は無いが、他の人はなんでも
アバウトに考え過ぎる。
みんなもよく考えてみると
面白いと思う。
以下に僕の考えを記載しておこう
僕の考えは
A無敵 B最強 C雑魚 C雑魚
だとしよう
おそらく100人中99人は
どっちも一番上って言ってるのに
一番上が二人いるのは矛盾してる
と考えるだろう
しかし、そもそもこの比較の矛盾は全く
別のところにある。
これがわかる人がピグには
何人いるだろう…
最強が無敵より下になると、
比べて最も上という意味に
矛盾が出来てしまう
逆に無敵と最強と比較すると
敵がいないという事に矛盾が出る。
これが分かればどちらが上か9割がた
出ているとおもう。
「 比べた時点 」で「最強」の土俵に
無敵を乗せるという事であるから
実際に比較するという事である。
そして比較した以上、最も上なのは
最強になるのである。
話は変わるが、単語の意味の
把握の仕方が多くの人と僕とでは
違っていることが多い。
先ほどの最強と無敵でいうならば
多くの人はどちらも、「一番上」
と考えている。
だが、僕は字そのもので考える
無敵は敵がいないと考え
最強は最も強いと考える
こういった考え方の違いが
正しいかを別にして
「 瞬間的な判断 」に違いを生む。
多くの人はどちらも同じ「ような」
意味の言葉として語感で使用する
事になる。それは日常生活では
正しい。
小説を読むとき、人と話すとき
とき、そういった時それらは正しい。
但し、議論するとき、その議題
自体をメタファーで捉えてはならない
というのが僕の立場である。
それを説明する言葉がメトニミーで
あるのは構わない。
だが出題に関しては出題の意味がある
その意図を図る上で答えの幅が出る
ような把握の仕方は間違いである。
東に迎えというのと
北を0度としたとき右に85度の方向に
迎えと言うのではたどり着く場所が
違う可能性が高いのである。
記載したいと思う。
最強と無敵はどちらが上か?
なかなか面白い矛盾のテーマだ
ピグで議論するには惜しいくらいの
テーマである。
無敵は
AはBCDを排除でき
おのずと最強になり
内包してるので無敵が上だ
と主張するような人間が出るのだから
悲しくなる
ピグではまともな議論をしてる人間を
「 おぐりん 」さん以外に出会った
事は無いが、他の人はなんでも
アバウトに考え過ぎる。
みんなもよく考えてみると
面白いと思う。
以下に僕の考えを記載しておこう
僕の考えは
A無敵 B最強 C雑魚 C雑魚
だとしよう
おそらく100人中99人は
どっちも一番上って言ってるのに
一番上が二人いるのは矛盾してる
と考えるだろう
しかし、そもそもこの比較の矛盾は全く
別のところにある。
これがわかる人がピグには
何人いるだろう…
最強が無敵より下になると、
比べて最も上という意味に
矛盾が出来てしまう
逆に無敵と最強と比較すると
敵がいないという事に矛盾が出る。
これが分かればどちらが上か9割がた
出ているとおもう。
「 比べた時点 」で「最強」の土俵に
無敵を乗せるという事であるから
実際に比較するという事である。
そして比較した以上、最も上なのは
最強になるのである。
話は変わるが、単語の意味の
把握の仕方が多くの人と僕とでは
違っていることが多い。
先ほどの最強と無敵でいうならば
多くの人はどちらも、「一番上」
と考えている。
だが、僕は字そのもので考える
無敵は敵がいないと考え
最強は最も強いと考える
こういった考え方の違いが
正しいかを別にして
「 瞬間的な判断 」に違いを生む。
多くの人はどちらも同じ「ような」
意味の言葉として語感で使用する
事になる。それは日常生活では
正しい。
小説を読むとき、人と話すとき
とき、そういった時それらは正しい。
但し、議論するとき、その議題
自体をメタファーで捉えてはならない
というのが僕の立場である。
それを説明する言葉がメトニミーで
あるのは構わない。
だが出題に関しては出題の意味がある
その意図を図る上で答えの幅が出る
ような把握の仕方は間違いである。
東に迎えというのと
北を0度としたとき右に85度の方向に
迎えと言うのではたどり着く場所が
違う可能性が高いのである。