色々あって仕方ないので、一つの喧嘩の事を
記載したい。
その喧嘩で判定を聞かれた僕は、ある
ポイントについて指摘することで
判定を下した。
そのポイントとは一方の人が発言した
「 飲食の概念は食べる事、飲む事でしょ 」
という一言である。
その喧嘩でも後半のポイントとして
やり合っていたのだけど、その人は
「なぜそう思うのか」の理由を
概念は連想だと言っていた。
なぜそのセリフがおかしいかというと
「 概念 」の使い方にある。
ただ単に概念と言う場合
その単語には単純な意味と哲学的な意味
があるがこの場合、連想とその人が
言っているのでおそらく単純な
単語としての意味のことを
言っているのだろうと思う。
単純な意味を連想と翻訳したのだとしたら、
それは辞書でいう
「 概括的な意味内容 」を
「 連想できる何か 」
と翻訳したのだろうと思う。
しかし、概括的な意味内容と連想は
まったく別の話である。
普通に考えれば、すぐに違いは分かる
のだけど、あえてわかりやすくする為に
実際の喧嘩で問題になった単語を使って
例を出すと
1、「 飲食 」という言葉の概念は
「 栄養摂取 」である
2、「 飲食 」という言葉の概念は
「 食べる、飲む 」である
分かるだろうか?
一番は僕が思う概念の使い方である
二番はその人の概念の使い方である
1番は「飲食」という単語を使って何を伝えたい
のかという、
2番は連想でもなんでもいいが、言っている事は
全く同じことである。熟語を分けただけである。
2番は論外として1番がどうして正しいと考えるか
といえば、「概括的な意味内容」の事を説明したい。
概括とは読んで字のごとく「おおむねにくくる」
という事だ。つまりもっとわかりやすく言えば、
「 色々言ってるけどまとめればこういうことが
言いたいんでしょ? 」
って事である。
これは、そもそも「 概念 」という熟語を
見るだけでもわかる。
このように喧嘩のポイントになった概念という
熟語の使い方を間違えたまま、それがわからない
のは相手の理解力のせいだと押し通して
話が進まなくなった原因を作った事を
マイナスポイントと判断し、喧嘩自体は平行線の
ままで、両方に他の加点も減点も見当たらな
かったので負けだと判断したのである。
記載したい。
その喧嘩で判定を聞かれた僕は、ある
ポイントについて指摘することで
判定を下した。
そのポイントとは一方の人が発言した
「 飲食の概念は食べる事、飲む事でしょ 」
という一言である。
その喧嘩でも後半のポイントとして
やり合っていたのだけど、その人は
「なぜそう思うのか」の理由を
概念は連想だと言っていた。
なぜそのセリフがおかしいかというと
「 概念 」の使い方にある。
ただ単に概念と言う場合
その単語には単純な意味と哲学的な意味
があるがこの場合、連想とその人が
言っているのでおそらく単純な
単語としての意味のことを
言っているのだろうと思う。
単純な意味を連想と翻訳したのだとしたら、
それは辞書でいう
「 概括的な意味内容 」を
「 連想できる何か 」
と翻訳したのだろうと思う。
しかし、概括的な意味内容と連想は
まったく別の話である。
普通に考えれば、すぐに違いは分かる
のだけど、あえてわかりやすくする為に
実際の喧嘩で問題になった単語を使って
例を出すと
1、「 飲食 」という言葉の概念は
「 栄養摂取 」である
2、「 飲食 」という言葉の概念は
「 食べる、飲む 」である
分かるだろうか?
一番は僕が思う概念の使い方である
二番はその人の概念の使い方である
1番は「飲食」という単語を使って何を伝えたい
のかという、
2番は連想でもなんでもいいが、言っている事は
全く同じことである。熟語を分けただけである。
2番は論外として1番がどうして正しいと考えるか
といえば、「概括的な意味内容」の事を説明したい。
概括とは読んで字のごとく「おおむねにくくる」
という事だ。つまりもっとわかりやすく言えば、
「 色々言ってるけどまとめればこういうことが
言いたいんでしょ? 」
って事である。
これは、そもそも「 概念 」という熟語を
見るだけでもわかる。
このように喧嘩のポイントになった概念という
熟語の使い方を間違えたまま、それがわからない
のは相手の理解力のせいだと押し通して
話が進まなくなった原因を作った事を
マイナスポイントと判断し、喧嘩自体は平行線の
ままで、両方に他の加点も減点も見当たらな
かったので負けだと判断したのである。