さて、売春に関する問題であるが、慰安婦問題の
根底というか下地にこの問題があることも事実であり
問題はここじゃないという人は、必ず右寄りの人であり
この点を攻めるのはリベラル系の人である。
そういった、ある方向にある種類の人が集まるのは
明らかに不自然さを疑うべきである。
つまり、この点を問題として議題に取り上げれば
言い争いに負けるという思惑が見え隠れしていると
言われても仕方がないと私は思う。
リベラルを通り越して左派の人達は売春そのものを
悪とし、それに関するあらゆることを断罪する。
これらの問題点としていつも例に上がるのは
ノルマンディー上陸作戦にまつわる話で米英の
兵士による現地人女性に対するレイプ事件が
余りに多く真偽は僕にはわからないが、周りを見れば
レイプ現場だらけという状況に対して現地市長が
慰安所なりを設置してくれと米軍に訴えたが
拒否したという事実があった。
これはアメリカ本土において慰安所に関しては
「白人奴隷だ」という声が出て問題になり廃止した
経緯があった為だが、現実を無視して理想を追い出せば
こういった問題が出てくるのは当然である。
性的に女性を求めることは我慢できている人が居るのだから
我慢できずに女性を買うのは個々人の問題であり
売春そのモノを禁止すべきだという売春に関する
そのものの問題に関して、僕が男だからかもしれないが
極論である。
つまり理性は本能に勝るか?という話なのだと思うのだが
結論として「あーだ、こーだ」いっても反論もあろうから
まず一つの疑問を呈したい。
「本能は抑えがたいからこそ宗教はそれらを悪とみなし
憲法などで抑えつける必要があった。それから何千年
と経ったわけだが例えば7つの原罪の一つでも解決したの?」
もし一つでも解決したのであれば「あー理性が勝る事も
あるのだなー」と思えるが2000年で解決しない問題を
何時までも同じように悪い悪いと言い続けるだけでは
解決しないことは確かなように感じる。
本能は理性に勝るのだと理解し、その上で解決策を
探すことこそ本当の道である。
その方法として売春があるのだ。
もし売春がダメだというのならそれに代わる何かを
提出しなければならないのだと僕は思う。
根底というか下地にこの問題があることも事実であり
問題はここじゃないという人は、必ず右寄りの人であり
この点を攻めるのはリベラル系の人である。
そういった、ある方向にある種類の人が集まるのは
明らかに不自然さを疑うべきである。
つまり、この点を問題として議題に取り上げれば
言い争いに負けるという思惑が見え隠れしていると
言われても仕方がないと私は思う。
リベラルを通り越して左派の人達は売春そのものを
悪とし、それに関するあらゆることを断罪する。
これらの問題点としていつも例に上がるのは
ノルマンディー上陸作戦にまつわる話で米英の
兵士による現地人女性に対するレイプ事件が
余りに多く真偽は僕にはわからないが、周りを見れば
レイプ現場だらけという状況に対して現地市長が
慰安所なりを設置してくれと米軍に訴えたが
拒否したという事実があった。
これはアメリカ本土において慰安所に関しては
「白人奴隷だ」という声が出て問題になり廃止した
経緯があった為だが、現実を無視して理想を追い出せば
こういった問題が出てくるのは当然である。
性的に女性を求めることは我慢できている人が居るのだから
我慢できずに女性を買うのは個々人の問題であり
売春そのモノを禁止すべきだという売春に関する
そのものの問題に関して、僕が男だからかもしれないが
極論である。
つまり理性は本能に勝るか?という話なのだと思うのだが
結論として「あーだ、こーだ」いっても反論もあろうから
まず一つの疑問を呈したい。
「本能は抑えがたいからこそ宗教はそれらを悪とみなし
憲法などで抑えつける必要があった。それから何千年
と経ったわけだが例えば7つの原罪の一つでも解決したの?」
もし一つでも解決したのであれば「あー理性が勝る事も
あるのだなー」と思えるが2000年で解決しない問題を
何時までも同じように悪い悪いと言い続けるだけでは
解決しないことは確かなように感じる。
本能は理性に勝るのだと理解し、その上で解決策を
探すことこそ本当の道である。
その方法として売春があるのだ。
もし売春がダメだというのならそれに代わる何かを
提出しなければならないのだと僕は思う。