禅の問答に関するお話

一休さんから発展したお話でしたが、禅の考え方に次のようなものがあります
「仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し」


これは文章の一部抜き出しですが、全文を現代語訳して記載すると


「関羽将軍の大刀を手に入れたときのように、仏に逢っては仏を殺し、
祖(この場合の祖は仏教での祖、つまりブッタから続く先輩方のこと)に逢っては祖を殺し
生死の境のような状況にいようとも、死ぬまでその精神は自由で遊び過ごすことが出来る。


これだけではよく意味がわかりませんね?はい、これは何を言っているかというと

答えを探求しようとするとき何かの教えや先輩方の言葉に囚われていてはダメだ!
どんな状況にいても自由な発想に立って考えることこそ真実に近づけるんだ!

教科書や先輩方の言葉に従っていれば間違うということはないかも知れない
しかし、ニュートンの万有引力や、アインシュタインの相対性理論のような本当の真実
もしくは、よりより答えを探そうとするとき、それら教科書や先輩方の言葉は
ばっさり捨ててしまうくらいの勇気が必要なんだよ

という教えなんです。

一休さんは確かに破戒僧といわれ何人もの女性と遊んでいたと言われますが
通例通りのしきたりに囚われ、現状に満足するような姿は間違いだと一休さんは
考えたのです。
もしかしたら間違いかも知れない、でも現状に囚われている間は進歩もないのだ
今まで誰も向かわなかった方向に一歩踏み出して初めて、真実に近づくのだ
それは間違いではない、エジソンも言いました

「私は失敗したのではない、それは正解ではないという事を知ったのだ」

そう、どんなことであれ、より正解に近い答えを探そうと思うなら今ある答えに
満足してはいけない、仏に会ったら仏を殺すくらい、なにものにもとらわれない
状態にしておくことが大事なのだ。

これが仏に逢うては仏を殺しという禅語の考え方ですね