Studio Life  『ドリアン・グレイの肖像』   in シアター・ドラマシティー  マチネ

 本当に、久々のスタジオライフ。舞台初体験の友人を引き連れての観劇。噂ほど悪くはなく、友人も舞台の面白さを感じてくれたようで、結果的にはイイものでした。

story:画家のバジル卿は、純粋無垢の美少年ドリアン・グレイの美しさを崇拝し、キャンバスに永遠の美を完成させようとしていた。そこへ、バジルの友人ヘンリー卿が訪れる。彼もまた、ドリアンの外見的美しさと無垢な姿に興味を抱き、同様にドリアンも彼の人間的魅力に惹かれていった。
ヘンリー卿がドリアンの無垢な心に知恵を付けた事で、ドリアンは絵の中で永遠に変わらない自分に恐怖を覚え、この身が滅びる代わりに絵が醜くなればいいと望んだ。彼が『誘惑に勝つために誘惑に負けた』とき、自身の身は美しさを保ち続ける一方で、バジル卿が完成させた自身の肖像画が醜く変貌して行くのだった…。

あくまで概要です。
私は通称Aキャストを見たのだけど、時々歩き方の気になる人がいるくらいで、特に目に付くものはなく、強いて言えば音響を効かせ過ぎた事。気持ち悪いくらい恐怖を掻き立たせようとしてるのがわかって、ちとげんなりした。作品が作品だけにテンポが重要なのかしら、主要3人のシーンはいささか退屈してしまうところもあったけど、笠原氏演じるヘンリー卿の快楽主義の諭しは、なかなか。「誘惑に打ち勝つためには、誘惑に負けることだ」と言い放った彼へのムカつき度90(対100)ってとこ。
 それに対し目一杯の愛を放った女優シヴィル。彼女を演じたのは、林勇輔さん。彼はやっぱり光ってた。テンポもいいし、動きが滑らか。ドリアンへの愛に気付き、壁にへばりついてしまうところなんか、まるで私自身を見てるみたいで恥ずかしかったが、彼がそれをやるということはその他の人もやっている可能性もあるわけで、今まで私が密かに感じていた疎外感を克服できた気がする。ただ、一つ言うと、出来れば言葉の伸びをもう少し短くして欲しかった。敢えてそうしたんあろうけれど、あのゆるやかな声の伸びと彼女のキレのある動きが比例していないように思えたから。私は早口なあなたが好きなんです。でも、彼女が罵声を浴びせたドリアンにしがみ付く場面。『性格破綻者』とか言う人もいるけど、私はそこまで狂気を感じなかった。行き過ぎた愛が狂気に変わることもあるけど、彼女の場合はどこまでも純粋な愛だった気がする。初めて人を愛した時のどうしようもない激しい感情が「力強くしがみ付く」結果をもたらしたんだろうから、どちらかというと苦しみだったんだろうと勝手に解釈。じゃないと、自殺なんて方向に話が向く訳がない。もし本当に狂ってたとしたら、どこまでも追いかけると思う。『結婚して』と迫るはずだ。それがないんだから、もはや狂気じゃない。いうなら、ナチュラル狂気だな。良いと思う、絶賛はしないけど。
それと、シヴィルの弟を演じた奥田努さん。年もそんなに変わらないのに、なんて力強い人なんだ。劇団のベテランに負けず劣らず、確実に何かを得ているみたいだ。軽く嫉妬。

さて今回の演出方法は、舞台をキッチリ分けてしまうのではなく、道具の位置を変えるだけで場面を分けるため、割と抽象的な雰囲気。白のカーテンを光に透かしていろんな意味を含めた「壁」をイメージしているのは、綺麗だしわかりやすい。以前よりグッと整った演出だった。全暗転がないから「見せる黒子」の要領で配置換えをしていたけど、友人曰く「椅子をはける時、全員の動きをそろえているのが笑える」と言っていた。薄ら暗転で役者が素に戻ってはけて行ったらげんなりするんだろうけど、逆に黒子が演じてたら妙に感じるものなんだなぁ、と改めて気付いた私。

くだならい話。
客について。女性が多いけど、オペラグラス所有者の数も半端じゃない。なおかつ同じタイミングで動くから、こちらも見ていて楽しめた。人の見たい所って、ほとんど同じなのね。これに対してうんざりしている人々の顔もまた一興だったけど。
カーテンコール。クアロドプル(?)だったんだけど、本当にそれに値したかしら?1回目は役の延長という形を採用してしっかり構成されていたけれど、3度目辺りから素の部分が出だして、余韻薄。特にシヴィルが素敵なお辞儀にをするわりに、手の振り方がふと男を感じさせて、何となく切なくなった。

舞台の上で、あなただけには「女」でいて欲しかったから。