幼稚園受験、小学校受験を考えた時にまずやったことは、ネットでの情報収集でした。ネットでは上部しか分かりませんが、それでもお作法は分かります。
馬鹿らしいと感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、服装を整え、基本的な情報を頭に入れ、上部だとしてもお相手に失礼のないように、引いては少なくとも敬意を払っていると分かっていただき、テリトリーに入れていただけるように準備しました。
その上でのお教室体験、そしてお教室通い。
通うことによって空気感が分かるというのが、一番の収穫なのではないかと思っています。特に小規模教室や個人教室では、決して揺るがない先生がいらっしゃって、それはさながらお姑さんのよう。核家族化し、なかなか親に育てられたように結局は子供を育てがちであると、または反面教師にしつつ子育てしがちであると、経験上思うのですが、何というのか、別系統の子育てをその先生やお教室の雰囲気から学んでいたと思います。もちろん幼稚園や保育園の文化も同じようなものではありますが、もっとこう、育ちや躾や親のあるべき姿、そうね、親に対してのご指導というものが直接的ではないにしろあったのだと思っていますし、それが何よりの貴重な得たものであったと思うのです。
ただ紺色のお洋服を着て数時間のお授業を受けておうちでもペーパーや巧緻を頑張るというのだけでは不足していて、最初はもちろんそこから入るしかないのですが、どこか途中で日々の生活で気をつけることや親の在り方を、変な形容ですが、あちらのテリトリーに合わせていく、つまり私立幼少という文化や雰囲気に合わせていくという擦り合わせ的なものが必要です。
もともとの親の育ちによって、その合わせるといった範囲には大小あるかと思いますし、合わせずとも最初からそのままで問題のないご家庭もありますが、その価値観が周囲になかった場合はそこが肝なのではないかなと思います。伝統校ほどその傾向があると感じます。ご縁をいただいた学校、入学した学校、うちはそもそも狭い範囲での同じような系統の学校しか受けていませんが、入ってみて周りを見渡すと同じような考え方のご家庭が多いんですよね。空気感や子供に対する親の在り方考え方ですとか、親の雰囲気ですとか、そういったものがもちろん多様性もあるのですが、同じ方向を見ているように思います。
お教室時代は、親御さん達とお友達になるべきではないと忠告を受けてはいましたが、お茶しながら情報交換することが多かったです。いわゆる受験するご家庭の多い幼稚園の方とも良くお話していたのですが、かしこまっていない時の服装や持ち物、メイクの濃さや髪の色的な見た目の部分もとても勉強になりました。何年もそういう佇まいをしていると、こなれた感が出て来るんですよね。
もちろん自分の軸は保つようにしました。受ける学校、他のお教室の講座、いろいろと話しましたが、心惹かれることも乱されることも多々ありましたが、うちはこれ、うちの子とあの子は違う性格の子と思って。それでも年長春なんて瀕死のメンタルでした。
未だに、もちろん子供の最大限の頑張りがあった上でですが、その年の合格者の第一志望校や志望人数や問題の傾向といったラッキーが重なった結果だと思っています。でもお教室通いの数年の間にわたし自身の、待ち合わせたものはなかなか変えられませんが、考えや雰囲気といったものが受け入れられるような最低限のレベルになっていたと思われることも大きく作用したのではないかと思います。
いろいろ大きくずれましたが、お教室って結局はは親のための塾です。もちろん子供がその空気感に慣れるというのはありますが、親が心構えを得るためのものです。断言したい。大人になって、現代ではもう叱られることもほとんどなく、指標もなかなか身近にない、そこにこうあるべきという柱を立ててくれるような感じというのか。
日々の生活、おろそかになりがちな時間、子供の体験、季節、礼儀、子供だからと見逃されがちなこと。四角四面にはできないこともありますが、受験という目的によって始めたことが、日々の指針となります。言われたことばかりではなく、もともとやっていたことにも一貫性が生まれるというのか。
ちなみに愚痴ですが、周囲は子供なのにっておっしゃるけど、じゃあ何歳になったらきちんとを教えるの?何歳になったんだから小学生になったんだからって、お誕生日や入学式からパチンと切り替えなさいってことでしょうか。酷すぎませんか。周囲は責任なんて取りません。いろいろ思い出してもやもやして来ました笑!
これからお教室通いを始める方、特にご自身は出身ではない方、そんな大仰なものではないと思いますが、違う文化に飛び込む勇気や行動力があるのだと思います。空気感、大手でも何だこれってなることはあるのではないかと思いますが、そこに違和感なく溶け込めるようになれれば、それが第一歩なのではないかなと、勝手ながら思う次第です。