人間はどこまでも欲深です。
アインシュタインは
「宇宙は有限だが、人間の欲望は無限だ」
と言ったそうです。
産業革命以前は、
神を怖れて
人間は不完全だという観念が残っていた。
ところが産業革命以降、
ニーチェのいうように
人間は神を殺して万能観を持ち、
欲望を全開させてきました。
それが益々加速化しています。
塵のくせに
万能感を持ち
欲望を全開するから
個人も社会も行き詰まるのです。
いい加減にそこに気付きましょう。
人間はどこまでも欲深です。
アインシュタインは
「宇宙は有限だが、人間の欲望は無限だ」
と言ったそうです。
産業革命以前は、
神を怖れて
人間は不完全だという観念が残っていた。
ところが産業革命以降、
ニーチェのいうように
人間は神を殺して万能観を持ち、
欲望を全開させてきました。
それが益々加速化しています。
塵のくせに
万能感を持ち
欲望を全開するから
個人も社会も行き詰まるのです。
いい加減にそこに気付きましょう。
パスカルのいうところの人間は
「考える葦」。
私は
「欲深の塵」
と見ている。
いわんとするところは
要するに
頭がでかいけれど
出来ることはちょっということ。
パスカルは
葦だけど考える力があるから素晴らしい
と思っていたのだと思う。
しかし最近
段々「考えない葦」、
「強欲だけの塵」になりつつあるのではないかと思う。
最悪のパターンに近づいている。
何も出来ないくせに、
考えることなく、
欲望だけを全開にしている人間。
出口の見えない閉塞感ばかりが募り、
人間が暴発している。
中国でも
日本でも
ドイツでも
本当はしっかり考えて
生きるに役立つ知恵を身につけるべきところ
やたら知識だけが増えていませんか?
北九州中学生殺傷事件。
さらに続いて千葉県の夫婦殺害と放火事件。
こういう事件が
頻発するようになって来ているように思える。
いずれにしても
犯人の生き方の間違い
が背景にあるのだと思う。
何でも思い通りにしようとする欲張り。
思い通りにならないと
八つ当たりでムチヤクチヤなことをする。
他者の人生も自分の人生も終わる。
生き方を変えましょう。
人間は塵のごとき不完全な出来損ないです。
その人間が何でも思い通りにしようとすれば
無理がかかります。
不可能なことをしようとするのですから当たり前です。
普通は無理をしない、受け入れ、出来ることで満足する。
ところがこういう犯罪を起こす人たちは
受け入れない
出来ることで満足しない。
思い通りにならない
うまくいかないこと
を人のせいにしたり八つ当たりする。
人間が塵であることの自覚。
ここから人生を始めるべきです。
人間がどんどん欲深になっていき、
比較し、競争し、
対立・分断し、
孤立化していっている。
18世紀産業革命以降、その勢いは止まらず
益々加速されていっている。
世界で
貧困、病気、紛争、無智、災害
の五苦が増大しているのは
そのためだ。
人間存在の根本から見直すべき時に今来ている。
人間はそんなに欲張って大丈夫か?
釈迦や老子が
小欲知足
といっている理由を考えて見た方がいいよ。
マクドナルド中学生殺傷事件。
通り魔事件ですよね。
年齢も40 代の男と他の事件と類似。
「誰でもよかった」という、いつものセリフが聞こえてきそう。
中国でも似たような事件。
生き方をちゃんとしないとこうなる。
自分の人生がうまくいかないことの
八つ当たり。
しかし
社会も
学校も
親も
ちゃんとした生き方を知らない。
だから、こういう、とんでもない中年が育つ。
生き方を見直しましょう。
一度私の本を読んでもらえたらと思います。
高度経済成長、バブル経済、30年低迷期。
同じような発想で同じようなやり方をやっている限り、小手先だけでは世の中は変わらない。
根本的な考え方を変えましょう。
欲張って奪い合う競争社会ではなく、助け合って生きていく共生社会を実現する。
これまで前者でやつてきたツケが今廻って来ているのです。
だから対立と分断だらけになる。
これからは後者でいきましょう。
年金、賃金、税金を見直すだけでなく、
軍備や気候変動も。
それでみんなで幸せになろう。
大河ドラマ「光る君」柄本佑さん演じる藤原道長は
「武力に頼る世になってはならん」と言う。
しかし世界で戦争はなくならない。
日本は防衛費増強のために増税をしようとしている。
核なき世界は遠い。
根本的な発想の転換が必要です。
人間は塵のごとき不完全な出来損ない
支え合って
助け合ってこそ幸せになれる
世界は一家
人類皆兄弟
他者は敵ではなく仲間。
国同士で対立と競争をしない。
そこから
各国軍備の全廃と世界警察軍の創設。
日本国憲法の精神の実現。
戦争をなくすには
それしかない
韓国大統領弾劾決議案可決。
激しい政治闘争の結果がこれ。
しかし両派とも何が一番大事な事かということを忘れていませんか?
自己の優位性を示すために相手を打ち負かす。
自分達が権力を握る。
その事を優先させて結果は何も得られていない。
一番大事な事は、みんなが幸せになる事です。
そのために何をするかを考えるべきです。
風邪をひきました。
昔から年末年始にひくのが恒例でした。
以前の自分なら、それを悔やみ、後悔し、否定的な考えで過ごしていましたが、
今は、それを成り行き、巡り合わせ、天命と受け入れるようになりました。
樹木希林さんが「一切成行で面白がる事が大切」と言われているのと同じです。
欲張らない事が一番だという事です。
紀州ドン・ファン事件、無罪判決。
「疑わしきは被告人の利益に」という原則から考えると、
そういう結論もありという事になる。
刑事裁判では万一間違って無実の人を処罰する
と取り返しのつかないことになる。
だから
「10人の真犯人を逃すとも1人の無辜(むこ)を罰するなかれ」
疑わしい時は処罰せず無罪とするのが原則とされている。
しかし実際には
袴田事件のように
疑わしくても罰するという事件が後を絶たない。
しかし、この事件は本当に難しい事件だと思う。
疑わしいかどうかは評価の問題。
評価は人によって違う。
被告人が犯罪を犯したに違いないと思う人もいるはず。
カレー毒物事件の場合との比較は?
高裁はどう判断するか?
今後どうなるか
まだまだ目が離せないところです。