花鳥風月日記 -2ページ目

花鳥風月日記

食べること、本を読むこと、映画を見ること、娘と一緒にいること、ひとりの時間が大好きです。日々感じたことを綴っていきます。



こんにちは。mikiです。



感情の波が上がったり下がったり激しい私ですが、少し前までなかなかに落ちていました。

慣れているので、そういうときはそういうものとして抵抗しないのですが、(だって元気が出ない時に元気出す必要ある?)そんなときは、自分が一人だということをことさらに強く感じて、結婚して家族のいる人がうらやましくなったりする。


同じ職場の人は全員結婚していて、よく旦那さんや子どもの話をするのだけど、こうしてちょっと落ち込んだときに話ができる人がそばに居るのはいいよな、とやさぐれた気持ちになる。


娘と一緒に暮らすのは本当に楽しいし幸せだけど、つらい気持ちは話せないし話したくない。仲の良かった友達は結婚して遠くに行ってしまって会えないし、LINEで話すのもちょっと違う。相談したい訳じゃないから。


孤独だわ…とか感じながら仕事から低いテンションで帰り、うちにいた娘が呼ぶので部屋に行くと、TikTokで見つけた楽しい動画を見せてくれるので、2人でベッドに横になりながら、娘の食べかけのポテトチップを食べたりして過ごす。


その後二人ともダイエット中なので、(ポテトチップ食べちゃってるけど…)たんぱく質多めの軽めなごはんを作って、録画しておいた楽しいテレビをみながらそれを食べ、クリープハイプの曲をかけながら皿洗いなどをしていると、はっとする。


この毎日、すごくない?と。

この、自由度の高さよ!!




結婚して家族がいるってことは、毎日が家族中心で回っていくってことだ。子どもの世話、夫の世話、親の世話。

今は娘と二人だから気楽なごはんで全然構わないし、娘も高校生だから自分で自分のことができる。


娘がバイトに行けば、その間の時間はすべて私のもので、何をしてもいいし何もしなくてもいい。この自由度、この自分のためだけの時間、これを持っていなくて、もし売ってたとしたら絶対買う。


そうして孤独感から一転、急に今の自分が持っているものの価値に気付く。私が失ったもの。でもそれと引き換えに得たもの。失ったものにフォーカスしていると、その代わりに得たものが見えなくなる。


私は孤独だ。でも自由だ。それに、結婚していた時だって孤独だった。今の自分が持っている一番価値のあるものを、いつでも見失わないでいたい。何時だって、誰だって、その時にしかない宝物を持ってる。



写真は、お休みの日の朝の至福タイム。お茶とおやつとAmazonプライム。(今は『スーツ』!)



こんにちは。mikiです。



最近私の人生に突然現れた、尾崎世界観。彼のことも、クリープハイプのことも、以前から存在は知っていて、初めて『7ルール』で彼を見たとき、「こんなにカワウソに似てる人いるんだ…」と思ったくらいなのに(ごめんなさい…)、今ではもうかわいくて仕方がない。


『幽霊失格』や『ただ』のmusic videoを繰り返し繰り返し見てしまう。なんというかわいさ。なんという魅力。なんて美しいメロディと歌詞。


全然関係ないけど、私の父は洋食屋をやっていて、(今はもう亡くなって、お店ももうやっていないけど)毎日料理を作るのを私はそばで見ていたけど、もう、何をどう作ってもおいしくなってしまうんだろうな、と思わせる確かなものがそこにはあった。




繰り返し続けてきたことで積み重ねられた技術と安定と一朝一夕には得られない輝きみたいなもの。


尾崎世界観を見ていると、それと同じものを感じる。ずっと歌を歌い続けてきた人しか出せない魅力。歌っている姿が、何をどうやったって格好よくなってしまう感じ。


全身全霊で歌を作って、それを歌って、人に聞かせてきた人にしか出せない輝き。

それを見せてもらえることに感謝。尊い。


『愛す』という曲の、

「肩にかけたかばんの 


ねじれた部分がもどかしい


何度言っても直らなかった癖だ


もう元に戻してあげられなくなるんだな」




というのがあって、わー、分かるーと思う。




ほんの少し前まで、いつでも触れられる存在だったのに、別れることになってしまった途端、その寝癖を直してあげることも、折れ曲がった襟元を元に戻してあげることもできない。その悲しみ。





愛しさも悲しさも、そういう細部に無数に散りばめられていて、それをすくい上げる視点が素敵。




アーティストの、「愛してる」ということを、いかに「愛してる」という言葉を使わずに表現するかがとても大事だと思っていて、そういう意味でもとても好きな部分。


(あとスピッツの『歌ウサギ』の中の「〝何かを探して何処かへ行こう〟とかそんなどうでもいい歌ではなく 君の耳たぶに触れた感動だけを歌い続ける」というところも大好き)


でも「ただ好きなんだよ」と歌ってしまうところも好き。ダメだ、とにかく好きなんです。


でも昔、小沢健二のことを大好きになってしまい、本当に苦しい思いをしたので、(手の届くところにいない相手を本気で好きになるのは苦しすぎるのです)適度な距離を保ちつつ、好きでいます。(可能か?)




とにかく感謝の気持ちでいっぱい。素敵な音楽を届けてもらっていることに。その歌う姿にきゅんとさせてもらっていることに。きゅんとするって、意思じゃないから。しようと思ってできることじゃないから。



こんにちは!mikiです。

毎日楽しく仕事に通っています。



給食室の仕事は、野菜を洗う人、切る人、茹でる人、副菜を和える人、主菜を作る人、ご飯を炊く人などいくつかの仕事に分かれていて、毎日順番にその役割が変わっていくのです。

なので今私は、ひとつの仕事を1週間かけて教えてもらいながら、全ての仕事ができるように勉強中です。


来週で全ての部門の仕事を教わり終わるので、その次の週からはもうほぼ独り立ち。どの部門も基本1人で受け持つのでドキドキです。(6人で300人分の給食を作っています)


給食室の人たちはとても仲が良くて、この仕事を長く続けている人が多く、「覚えることはたくさんあるけど、達成感っていうか、すごいやりがいのある仕事だよ!」と教えてくれます。




今の私は、本当に一から勉強しているところなので、道具の置き場所から覚えなくてはならず、ああ、私、また最初から始めるんだな…と思う。


いろんな仕事をしてきたから、覚えては辞めて、また新しい場所で覚えて、の繰り返し。


給食室の人たちの、慣れた感じで、楽しそうにおしゃべりしながら働いている様子を見ていると、ああ、あれは、私が手放してきたものだ、と感じる。


慣れ親しんだ仕事。気心の知れた仕事仲間。


新しい環境や、目新しい経験は手に入ったけど、そういう、長く続けてきたことで得られるものたちは、私が手に入れられなかったもの。


今までは、自分がやりたいことをただを追いかけてきたから、そして若かったから、特にそんなふうに感じたことはなかったけど、今になってみると、仕事の上で積み重ねたものがないというのは、少し寂しいし、いつまでも新人なのはちょっと情けない。




経験という意味では、充分いろんなことができたし、おもしろいよなーと思えるけど、長く同じ仕事を続けて、大抵のことに対応できて、その場所になくてはならない人になっている人たちを見ると、素敵だなあ…とやっぱり思う。

どちらも手には入らないし、どちらがより良いという訳でもないけど、そんなふうに思う。




でも、あんなに覚えて、(メモがどんどん増えて4冊くらい持ち歩いてた)やっとある程度まではスムーズにできるようになってきた前の仕事だけど、それでも「もう全部いらないからここから出たい!この止められない流れからどうにかして抜け出したい!」と思ったのだから、それはどうしようもないし、出られてよかった…と今は本当にほっとしてる。もったいないとはやっぱり思えない。




でももう一回これをやるのはいやだな。ここを最後にして、次はもう自分のお店を持ちたい。もしかしたらお店じゃなくても、何かで独立はしたい。それだけは決めてるし、そのためにこれまでのすべてがある。




写真は、ある日の夕焼け。加工などなしでこの色!