CM中のスタジオは、Yの辛辣な
(我々にとっては言いがかり以外何物でもないが)
コメントのせいで「カブキロックス」にとって
明らかにアウェイな空気が漂っていた。

そして審査結果は Y と I とゲスト女優 T が
別のバンドに票を入れ、2対3で敗れてしまった。
総括した審査委員長の萩原さんは
「先週より音にもコンセプトが表れ…」
とフォローコメントをくれたが、時すでに遅し。

賞金どころではない!この番組が世間に与えた
「カブキロックス」のイメージは
「キングオブ色モノバンド!」

いやいや、それは自ら色モノを演出して
その立ち位置にいたのは、計算であって
ガチで他人様に言われても…。

番組スタッフは、カブキロックスに対し好意的だったが
番組内の扱いと審査員 Y の暴言(笑)は
カブキロックスのイメージダウン必至かと思われた。

しかし、視聴者の人気バンド投票ランキングというものがあり
我々が消えた翌週から、ぶっちぎりの1位と聞かされた。

はっきり言って、それは意外な感じだった。
我々にとっては、悪い印象しか残せなかったと思っていたからだ。

そして間もなく番組内のコーナーで
「カブキロックスはヒスグラか?」なる、
内容はおふざけだったが、普通に演奏する倍の時間をさいて
プロモーション?してくれたりした。

その後「カブキロックス」へライブやテレビのオファーが
次々舞い込んできた。

しかし我々が最初にしなければならないこと
それはカブキロックスを継続させるかのメンバーミーティングだった。
現メンバーの意志確認
またヒスグラ、一番屋、共々事務所にも入ってたため余計ややこしい。

持ち曲二曲の、バンドとして「体」を持たないカブキロックスが
全ての事柄を決めなければいけない猶予は1週間余り
月が変わる1989年11月までに。

それが殺到するオファーに応えられるか否やのタイムリミットだった。
そして、この上なく重苦しいミーティングが始まった・・・。


ナレーターのボケっぷりがイカす(笑)