『女形の芸談』 六代目尾上梅幸/著

演劇出版社 2,940円円 A5判 304ページ 昭和63年11月初版発行 平成10年1月新装版発行 4-900256-24-2

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歌舞伎見人(かぶきみるひと)

■出版社の案内文


名女形、六代目梅幸の珠玉の名著が現代に甦る。
〈女形の事〉川尻清潭・〈梅の下風〉井口政治著述


■目次

〈女形の事〉
私の身の上/團菊左逝く/女形について/平素の行状/戻橋覚え書/戻橋苦心談/土蜘蛛の略型/土蜘蛛内幕話/茨木の老婆/骨寄せ岩藤/播州皿屋敷/幽霊の秘訣/四谷怪異談/お岩の変相/独吟菊の露/目の廻し賃/死神の工夫/死人草の花/茨木の趣向/即席急稽古/團菊の相違/古例仕初式/舞台の化粧/鬘の刳り方/女形の姿勢/衣装の着科/女形百箇条/故人の格言/三姫三婆/政岡のしどころ/尾上と尾上/岩藤の人形/鼓の打ち方/東がしらむ/桜丸の切腹/紅葉狩の振付/借りた鳴物/死人の台詞/揚巻の心得/切られお富/三千歳の役/お紺の仕科/鞘当の六方/蝋燭の芯切り/おさんの簪/累の浄瑠璃/小判の重さ/鬘髷と感覚/裾の中の足/女形の指先/獣類の挙動/名優の科白/相手の科白/若という字/女性の匂い/見学の修行/亭主の後見/年増と処女/酒の飲み方/話の立聞き/刀の持ち方/役に成り切る/乳房の動悸/手拭の模様/頬冠ろの襞/明方の汐風/手先の白粉/癪の起し様/腰元心掛け/衣装の選択/襦袢の縫袖/切継ぎと色気/芸者の風俗/左褄と右褄/サワリの事/役柄と足捌き/人形振り演技/鏡の中の姿/座頭の権威/菊次郎の手/性格と様式/楷草行書法/いろは習字/泣き紙の事/菊之丞の詞/梅寿の襲名


〈梅の下風〉
仕初式/紫帽子/常識幕/船と芝居/鼠木戸と印物/芝居茶屋と出方/楽屋風呂/黒布と中日/刷毛の事/伜栄三郎の事/墓参/活動写真/尾上梅幸/後援会の事/全快の舞台/大川の橋蔵/新春の吉例/夢の話/研究と礼儀/手拭/持紙について/嫌いな役/金の持ち運び/立聞きの口伝/指/禿の話/翁について/きつね、猫、狼/小坂部姫/鬼-茨木/戻橋/紅葉狩/獅子/物狂い/志渡寺/芸者/褄/煙管/船中/長襦袢/帯上げ/モデル/対手の模様/蝋燭と行燈/襠/宮城野/惣六/浜松風恋歌/鳥追/児雷也のこと/鞘当/長刀/下げ緒/女暫/ツラネ/女暫の拵え/人形振り/八重垣姫/十種香の袱紗/楼門五三桐/宙乗り/羽衣/宙乗りの仕掛け/怪談/四谷怪談/紋付の幽霊/引笑いのモデル/お岩の面/幽霊の型/四谷怪談の拵え/死神/風の神/長五郎の話/船弁慶/知盛の拵え/静の舞/船幽霊の演出/皿屋敷/累について/恩愛贖関守/忠臣蔵の話/足利と大星の紋/め組の半鐘/曾我の対面/揚障子/曾我の型/斎藤実盛/酒の飲み方/光線/同心と岡っ引き/首の重さ/世話女房/勧進帳/下男小助/仁木と男之助/関の扉/世話物のこと/芝居の囃子/断髪/水泳の話/魚/女形の心得/政岡の盗難/十二階の苦労/衣裳の選択/見えぬ衣装/特殊の胴抜き/座頭の権威/土蜘蛛


あとがき

 

■歌舞伎見人メモ (抜き書きの部分もあれば、まとめた部分もあります)

・子どもの頃は、赤い長襦袢や模様のついた着物を着て、女性同様に育てられた。実父は後年松助となり、

 さらに梅幸となった女形だった。母は芸者で、実母を呼ぶにも「姉さん」と言わされていた


・十三歳の折に、尾上家の養子に望まれ、相談がまとまった


・尾上家に養子に行った後は、踊り、鼓、義太夫、琴、茶、生花、書画、漢字、英語と、稽古に通い始めた


・女形の事を「おやま」と名付け、また傾城遊女の事をも「おやま」と呼ぶようになったのは、「野郎歌舞伎」の

 起こった承応年間に、江戸の人形遣いの「おやま次郎三郎」という人が、女形の人形を巧みに遣いこなした

 名手であった所から、人形遣いの苗字の「おやま」からこの名前が伝えられるようになったと聞いている


・昔の女形は、銭湯へ行くにしても、男湯へは入らずに女湯へ入るのを常としていたとかいう話がある


・「四谷怪談」で、小仏小平は紋付の着物で幽霊に出るが、三代目菊五郎が仕切場の男から聞いた話がある。

 その男は吉原の女郎屋が店終いをした家を借りて住んでいたが、住んだ晩から男の幽霊が出た。それを

 聞いた三代目菊五郎が、どのような形をしているのか詳しく見て貰いたいと注文を出し、男が見てみると、

 枕元の行燈の傍にしょんぼりと座っている男が、鼠色の紋付を来た野郎のちらし髪姿でいた。そのことを

 大家に話すと、その幽霊は、この家が女郎屋であった時分、お客の枕元の財布の中から金を盗み、

 牢死してしまった男だろう、とのこと、その男が当時花魁からの仕着せで、花魁の紋所の蔦の紋付を着ていた

 そうだから、幽霊の紋付ならおそらくその男がでるのだろうとのこと。このことを聞いた三代目が、折柄「四谷

 怪談」上演の工夫中であったため、早速小平の役に紋付の着付けを用いて勤めることにしたのだそう


・「四谷様」の仕草の中に引笑いの所があるが、三代目さんが巡業に出て、田舎で夜道に迷って泊めてもらった

 あばら屋で、宿の主の博打打ちが「納屋を覗いちゃいけねえぜ」と念を押して出かけたので、思い切って

 納屋の戸を細めに開けてみると、ざんばら髪の若い女が後ろ手に柱に括りつけられていながら、三代目の

 顔を見て「ヒヒヒヒヒ」と引笑いをしたそう。主人が帰って来たので、納屋の話を白状に及ぶと、「あいつは

 間男をしやがったから、指を一本一本へし折ってやろうと思って、括りつけておいたのだ」と言ったそう。

 この引笑いを舞台に応用した


・お岩さんのモデルについてもう一つ。南北の友達のお内儀さんが、産後に頭に櫛の歯が当たってちょっと傷に

 なったのが、丹毒となって、見る見るうちに顔が一面赤黒く腫れ上がった物凄さを、作者がそのまま、髪漉きの

 件に取り入れたという話もある


・隠亡堀の初めの戸板流しのモデルは、心中者が二人の身体をしっかり結び付けて、砂村に流れ着いたという

 事実があって、この心中は横に流れずに縦に流れたというのが評判であったそうで、これなどを取り入れて、

 戸板流しに用いたともいうし、またある所の親分の女房が子分と間男をして、戸板へ一緒に釘付けにされた

 まま、早稲田辺りの川へ流したのを見たことがあったとの話もあり、それやこれやを作者が取りあわして

 出来上がったらしい


・お岩は顔の右半面が腫れ上がっていて、土橋の累は左晴れ


・南北が「四谷怪談」を書き下ろした当時、三代目菊五郎の宅で相談最中、座敷の障子がすうぅと開いたので、

 ぴたりとしめると、また少し経ってすうっと開く。三度ばかりそれが続いたので、薄気味悪く思っていると、

 座敷に立てかけてあったことの糸がばらりという音を立てて切れたので、見ると十三本の糸がそっくり切れて

 いる。三代目は「南北さん、この狂言はきっと当たりますよ」と言った


・音羽屋の家に「死神」という役があるが、音羽屋の家で幽霊を勤める際は、その拵えを他人に見せないのが

 一つの定めで、拵えが出来上がってしまうと、浴衣を冠って舞台まで通う


・雪姫の「爪先鼠」の件は、女の姿勢と姫の品格を損じないようにしなければならず、骨が折れる箇所であるため

 に、この段を「人形振り」で見せる型もある。「人形」ともなれば様々な派手な事が出来るだけ、儲かりもすれば

 楽にもなり、見物受けがするので、若手の人気役者などは、多くこの「人形振り」の方へ逃げる事がある


・舞台でばったりと「つけ」を入れるのには、一幕のうち座頭がつけを打たさないうちは、つけを打ってはいけない。

 よんどころなく座頭以外の役者がつけを入れる必要のある場合には、一応座頭の許しを受けてから入れる

 のが定めとなている。「本釣鐘」を打つにしても、座頭が打たせない前に打たせるわけにはゆかない、更に

 侠客物の登場する衣装にしても、座頭が「染物の着付」を着て出ないうちは、その手下役の俳優が、染物の

 着付は来て出られないという不文律もあった


・團十郎と菊五郎とでは芸風は全然違っていた。團十郎という人は活歴の創始者であっただけ、すべての役が

 心持から入っていく演じ方で、性格劇というような行き方をしていたが、五代目のほうは形の上から入って行く

 行き方で、様式美を以て肝を現わして行こうという違いがあった。團十郎の芝居は桟敷から売れ、菊五郎の

 芝居は土間から売れていった


・時代狂言の女形に限って、泣き紙というものを使う。これは懐紙の一枚を四つ折りにして、更に二つ折りにした

 位な小ささに挟み、懐ないしは帯の間に挟んでもっている。本来んなら懐中紙を取り出して、その一枚をとって

 泣くべきだが、見た目にもうるさくなり、紙の捌きにも困るわけで、略式に只一つの泣き紙で、同じ意味の用の

 足せることになっているのが工夫のあるところ。

 心得としては、この泣き紙は決して処女の役にはないので、いずれも年頃の女の場合に用いる物であること


・元禄期の名優瀬川菊之丞の教訓の言葉の一つに、「女形が女の贔屓あるは甚だ悪きことにて、女房になど

 ならんと思はるるは悪きことなり、男の贔屓多くあのような女があればと思はるるやうに望むことなり」


・楽屋で使っているニッケル製の大小一組になる風呂桶は、父が考案したもの。現在楽屋で誰もが使っている

 ニッケル製の風呂桶を思いついて、出入りのものに申しつけてこしらえさせた。どうして大小二つになっている

 のかといえば、一つは宿の風呂に用い、一つは楽屋用とした


・若い時代には芸者だとか、どこそこの娘さんだとかから、「是非若旦那の刷毛が頂きたい」と茶屋の若い者や

 男衆などを通して申し込んで来たが、どこの人だかわからない型に時分の顔をつくった刷毛をやるのは、

 誠に迷惑だが、無下に断る訳にもいかないので、「私のでよろしければ・・・・・・」などの挨拶だけしておいて、

 刷毛で若いのでも年寄りでもそこにいる自分の弟子の顔を二三遍グルグル掻き廻して、香水をチウチウと

 ふりかけて渡した


・「四谷怪談」で伊右衛門が傘張の内職をしている場面があるが、これは七代目團十郎が今日に伝えたもの。

 七代目が四谷の組屋敷へ顔役に連れられて顔を出した時、その組の副頭取ともいうべき人が、黒の肩入れ

 をした着物に手拭で肩襷をして内職に傘を張っていた拵えを見て七代目が伊右衛門のモデルとした