『菊五郎の色気』 長谷部浩/著

文春新書 1,000円 新書判 280ページ 2007年6月発行 ISBN9784166605743

http://www.bunshun.co.jp/cgi-bin/book_db/book_detail.cgi?isbn=9784166605743



歌舞伎見人(かぶきみるひと)



■出版社の案内文


美しくも哀しい日本人の心をうつす音羽屋の粋と技

女形から男伊達まで観客を魅了する菊五郎。代々が育て上げてきた名跡「菊五郎」の芸を七代目が初めて語る。蔵出し写真満載の一冊

現在の歌舞伎界を代表する名役者、七代目尾上菊五郎。女形として美しく、立役として二枚目を貫き、新しい試みにも意欲的な彼の「色気」の正体を、演劇評論家の長谷部浩氏が解き明かします。 役柄ごとの詳細な演技分析や、娘・寺島しのぶの「お客さんが見てくれることを疑ったことがない」、息子・菊之助の「何もしていないように見えるのですが、実はやっている」という言葉を通して、七代に亘る「尾上菊五郎」の技芸を体現する、ひとりの男の姿が明らかになっていきます。


■目次


はじめに


第一部 菊五郎という名跡


 一、七代目菊五郎 襲名への道筋

     六代目の孫として生まれ

     大器の蕾

     テレビが作り出した人気

     七代目菊五郎の行方

     三十一歳の襲名


 二、七代目尾上梅幸 出生の秘密

     梅幸襲名

     六代目の死


 三、初代から六代目 芸の伝承

     初代 女形から立役へ

     二代目 夭折した若女方

     三代目 鶴屋南北とともに

     四代目 品格にすぐれた女方

     五代目 芝居心のひと

     六代目 不世出の名優


第二部 七代目菊五郎とその芸

 

 一、和歌集の風情 「菊畑」虎蔵、「車引」「賀の祝」桜丸

     時分の花

     虎蔵、菊の化身

     桜丸、純粋な魂


 二、変身する悪党 「弁天小僧」弁天小僧菊之助、「三人吉三」お嬢吉三

     弁天小僧の変幻

     お嬢吉三の華麗

 

 三、男伊達の粋 「助六」助六、「直侍」直次郎と三千歳、「御所五郎蔵」五郎蔵

     身にまとう色気

     助六の晴れやかさ

     直次郎の哀愁

     五郎蔵の軽薄


 四、市井の人々 「魚屋宗五郎」宗五郎、「髪結新三」新三

     辰之助の死

     宗五郎の酔い

     新三の不敵

     世話物の危機


 五、耐え忍ぶ女 「合邦」玉手御前、「先代萩」政岡

     玉手御前、真実の恋

     政岡、母であり、忠臣である


 六、踊り踊りて 「娘道成寺」白拍子花子、「鏡獅子」小姓弥生後に獅子の精、「吉野山」佐藤忠信実は源九郎狐

     白拍子花子の妖しさ

     小姓弥生の悲壮美

     忠信、立ちのぼる幻


 七、復活狂言と新作 「NINAGAWA 十二夜」捨助、坊太夫

     復活狂言を演出する

     蜷川幸雄vs.菊五郎


 八、忠臣蔵の決算 「忠臣蔵」判官、勘平

     判官、梅幸の遺産

     勘平、自由の風


 結び

 あとがき



■歌舞伎見人メモ (抜き書きの部分もあれば、まとめた部分もあります)


・歌舞伎の入門書は数多くあるが、ある程度歌舞伎を見慣れた観客を対象にした中級編が見当たらない。

 本書は歌舞伎をより深く知りたい観客に役立つようにと心がけた。


・七代目菊五郎は、その水際だった男伊達、いなせな鳶の者、きおいの侠客らの役を通じて、もはや現実には

 跡形もない失われた江戸の粋を、幻のように舞台にのぼらせていった


・中村吉右衛門は、時代物の精神を問い直そうと試みる。片岡仁左衛門は、上方の「型」を復活させることに

 よって、自由な演技体を追い求めている。松本幸四郎は、世話物を心理主義的な演技術によって作り変え

 ようとしている。

 そのなかで、近代歌舞伎の正統と考えられてきた五代目、六代目菊五郎の継承者として位置づけられる

 現・菊五郎の立ち位置は、考えるだに困難である


・(菊五郎)「芝居は大好きでしたよ。本当に見るのが大好きで、しかも変な役が好きでしたね。『義経千本桜』

 の小金吾討死の立廻りに出てくる猪熊大之進が大好きでね。渋い脇役でいらした尾上鯉三郎さんが格好

 良くって、まねをしていましたね。『誰でもない、猪熊大之進だっ』ていうと、紀尾井町のおじさん(二代目松緑)

 が『オオドダイコ屋だ』って声を掛けてくれるんです。『ありがとう!』って答えていました。(中略)オオドダイコヤ

 っていうのは、大ド大根役者(笑)。訳わからなくて、喜んでいました」


・何代目菊五郎は、その前名にあたる丑之助、菊之助時代は、主に女方の修行を積んでいる。この時期に女方

 を勤めるのは、いくつかの理由が考えられる。

 ひとつは、将来、立役へ進むとしても、その修業時代に立役の相手役となる女方を勤めておくことで、その演目

 全体への理解が深まる。

 第二には、歌舞伎俳優の魅力の根底に色気があるとすれば、女方によってその基礎が固まる。

 第三には、若年では立役の大役を勤めるのは難しく、女方の方が役に恵まれる。


・(菊五郎)「ただ、僕は女方が嫌でしたね。歌舞伎はどうしても最後は立役がもっていってしまう。『妹背山』の

 お三輪もあれだけやっても、殺されたら黒幕で消されてしまう。『先代萩』の政岡にしても、『天命思い、しった

 るか』で御簾が下がって終わりです。『忠臣蔵』(九段目)の戸無瀬でも後半は本蔵の後見をやっているような

 ものです。女方が立つ芝居は本当に少ないから、だんだん物足りなくなってくる。会社(松竹)も父がやって

 きた役をやればいいという考えでしたから、それがもう嫌で嫌で、立役ばかり一生懸命観ていました。それも

 あって、すぐに女方から立役に切り替えることができたのだと思います」


・襲名をする際は、(菊五郎)「いまでこそ松竹から電話があって、『だれだれに襲名させます』で終わりですが、

 自分のときは、新橋の料亭に、黒の紋付を着た歌右衛門、勘三郎、幸四郎、松緑、羽左衛門のおじたちが

 居並ぶなかで、父梅幸に引き回しをされ、挨拶をしました。

 松緑さんも勘三郎さんも、七代目になりたかっただろうと思います。

 父は、歌舞伎界の紳士といわれて、いつも温厚で、いつも一歩引いてきましたが、それはすべて、私に襲名

 させるためだったのかもしれません。」


・六代目が亡くなった当時、菊五郎一座のほかに、吉右衛門、猿之助、三津五郎がそれぞれの一座を持って

 いた。歌舞伎座が焼けたために、松竹系の劇場は、東劇と新橋演舞場に限られたため、菊五郎劇団は

 東京の劇場を占拠するには至らず、地方巡業を強いられた。


・七代目菊五郎は父梅幸の舞台について、次のように語っている。

 「父は、『め組の喧嘩』のお仲とか、『魚屋宗五郎』のおはまのような、おかみさん役が好きだったと思います。

 成駒屋さん(歌右衛門)はお姫様が好き、父は長屋の娘が好き。やっぱりおじいさんが世話物の人だから、

 相手役をやっているうちに、そちらが得意になったのでしょう。成駒屋さんは、(初代)吉右衛門さんが時代物

 の人でしたから、相手役をしていてそうなった。先輩にこれをやれといわれたら、はい、という。いや、それは

 出たくありませんなんていえない世界ですから、だれの相手役を勤めて育ったかが、色濃く反映されるんです」


・(菊五郎)「舞台でも平素も、父に怒られたこともほめられたこともありません。社交上手な半面父は私生活に

 弱い人間で、うちでは子供にどうやって対応していいかわからずに、家庭内で一線を引いていました。

 テレや威厳を保つためにではなく、本当にどうしていいか判らないのです。

 父に限らず歌舞伎役者の家庭はそうしたものだったのでしょう。私が父に何か言う場合も、母を通して伝えて

 もらうという形でした。おもてづらはとてもいいのに、うちで世間話が出来ない。大声をあげて笑ったり馬鹿

 ばなしをしたことは一度もありません。無口で何を考えているのか判らず、リモコンを操作してテレビを見ている

 だけで、ひとことで言えば、うちにいるのが苦手でしたね。」


・初代菊五郎は、二十三歳で大阪の中村富十郎座に移ったが、海老蔵に誘われて、江戸に下っている。

 当時、女方は、関西出身者が江戸に迎えられるのが通例だった。


・初代菊五郎は、副業として堺町に油見世を開いたが、隣接の若衆茶屋の少年が捨てた煙草のせいで大火と

 なり、江戸三座のうちの二座、中村座と市村座が類焼して焼け落ちた。しかし、菊五郎の自宅は土蔵作り

 だったために焼け残り、世間の反感を買った。


・初代菊五郎と、四代目幸四郎との有名な争いとは、温厚で知られた菊五郎が上演中、幸四郎に財布を打ち

 付けたばかりか、幸四郎が仕切場の弥兵衛と結託して堺町に芝居茶屋を出したり、難波町に松本香という

 油見世を出しているのを見苦しいと観客に訴え、真剣で斬りつけようとした。


・三代目菊五郎は、楽屋の鏡台に向かって、ひとり言に、「俺はどうしてこんなによい男なのだろう」と言ったのを

 居合わせた者はだれもおかしいと思わなかったというほどの美男だった。


・三代目菊五郎は、『東海道四谷怪談』の初演で、お岩・小平・与茂七の三役を早替わりで演じた。


・五代目菊五郎は、『土蜘』、『茨木』、『弁天小僧』を初演している。


・武家の式楽として、幕府や大名の庇護を受けてきた能には、歌舞伎に対する差別意識が当時色濃く残って

 いた。歌舞伎の側もまた、明治の高尚趣味に合わせて、能や狂言に取材した作品を生み出そうとした。


・六代目菊五郎は、『身替座禅』や『棒しばり』、『一本刀土俵入』、『刺青奇偶』、『暗闇の丑松』、『お夏狂乱』

 などを初演している


・六代目は市村座の興行や経理の責任まで負うこととなり、借金も嵩んだこともあり、松竹入りすることに

 なって、ようやく興行の責任を負わず、舞台に集中できる環境が整った


・昔は歌舞伎役者は千両取ってもさげすまれていて、お能や狂言や雅楽とは全く違う扱いだったが、

 九代目団十郎と五代目菊五郎とで、天覧歌舞伎を行い、これが歌舞伎の近代化の始まりとなった


・七代目菊五郎は、苛烈だった若い頃の劇評を振り返って、

 「その通りでしょう。全然やる気がなかったしね(笑)。何とでもいえって感じでした。そういう評が出ると余計に

 遊んじゃったりするしね。今も同じです(笑)」


・「賀の祝」で、菊五郎の桜丸は切腹の際、苦痛に顔を歪める。武士の切腹ではない。介錯するものもいない。

 白太夫は、介錯するといって、弔いのための鉦を撞木でたたくばかりである。その痛みをこらえかねて、

 自ら喉をかききる


・五代目菊之助に、立廻りについて訊ねると、立廻りの芯になる俳優は、無駄な動きをするなと、まず教えられる

 のだという。

 (菊之助)「父の舞台には、立廻りひとつでも、これでもか、これでもかと、お客さんに見せなければいけない

 という焦りがない。だから、間と余韻を楽しむことが、できるのではないでしょうか」


・『三人吉三』が初演されたときのお嬢吉三は、岩井粂四郎(のちの八代目半四郎)。女方だけを演じるまぎれも

 ない「真女方」であって、黙阿弥が翌々年に五代目菊五郎に向けて書いた弁天小僧とは、異なる位置づけに

 あるとわかる。


・菊五郎の長女にあたる寺島しのぶに、菊五郎の色気について質問したところ、

 「目と脚かしらね。(中略)脚はね、細くなくて、裾をからげても、太くてむっちりしているでしょう。そこに

 エロティシズムがある。(後略)

 父が出ると、一枚、照明が明るくなったような気がする。『出』のときの空気の変え方がすごい。

 それが自然に出来るのが、梨園で育てられた歌舞伎俳優なんだと思います。出たときに、お客さんが見て

 くれるのを疑ったことがない。そこに何の迷いもないところが色気なんですね。きっと弟(菊之助)も、

 お客さんが自分を見てくれると信じている。一度も疑ったことはないと思いますよ。」


・菊五郎は、「直侍」については、相手役によって直次郎と三千歳のどちらをも勤めている。世話物の代表的な

 作品の主役を、立役女方どちらでも演じることができるのは、菊五郎だけである。こうした演目に「十六夜清心」

 の十六夜と清心、「切られ与三」のお富と与三郎がある。


・六代目菊五郎には、三代目尾上菊次郎という女房役者がいた。素人の出で、門閥もないが、市村座の立女方

 にまで上り詰めた。市村座で六代目の直次郎、菊次郎の三千歳が「直侍」を演じたとき、「知らせ嬉しく三千歳

 が」で出てきた菊次郎の手を六代目が握ったところ、氷のように冷たかったという有名な話がある。菊次郎は

 自分の出番まで、背景の陰にいて、氷で手を冷やしていた。


・写実を重んじ、江戸の現代劇ともいえる「世話物」のなかでも、「弁天小僧」や「御所五郎蔵」は、様式的な

 演技、演出がほどこされているために、「時代世話」と呼ばれている。


・菊之助に、菊五郎の魅力はどこにあるのでしょうと聞いたところ、

 「団十郎兄さんにも同じような空気を感じることがあるのですが、父は、何もしていないかに見せて、

 大きくお客さんを取りに行く遣り方なのだと思います。何もしていないように見えるのですが、実はやっている。

 それが技術であり、芸なのだろうと思います」


・初代辰之助が急逝したとき、息子の現・四代目松緑はまだ幼かった。二代目松緑にとっては、六代目から継承

 し、生涯を費やして練り上げてきた芸がこのまま失われるのは耐えがたく、辰之助の代わりに、これらの役を

 後世に伝える役割が、菊五郎や三津五郎の肩にかかってきた。(中略)

 辰之助の急逝がなければ、菊五郎の芸域は、より狭く、女方寄りになっていたかもしれない。

  

・「髪結新三」で、新三が家主長兵衛におどしたりすかしたりされ、お熊を白子屋へ帰すことになる件について、

 (菊五郎)「確かに家主は、新三より一枚上手なのですが、当時の家主が持っていた力を知らないと

 それだけの芝居になってしまいます。江戸時代に家主といえば、長屋で溜めた糞尿を売る権利まで含めて、

 一切を差配していた。家主に逆らえば、店子は家を追い出される。まして、新三は上州無宿です。無宿者に

 家を貸すことは禁じられていますから、家主が訴え出れば、新三はとてもまずいことになる。だからこそ、

 新三は家主に頭があがらないのですよ。」


・菊之助に、菊五郎の色気を感じるのはどんな役のときか、と質問したところ、

 「あえていえば、汚れを汚れと感じさせない役のときだと思います。『芝浜』でも、『文七元結』でも汚いなりで

 出てきますが、それが不思議に汚れに見えない。僕はそこに色気を感じます。やせがまんしている男の魅力

 でしょうか」


・寺島しのぶは、菊五郎の当たり役について、このように話している。

 「耐えている役がいいのではないでしょうか。『忠臣蔵』の判官様、『勧進帳』の義経がよい例ですけれど、

 女方であれば、『伽羅先代萩』の政岡や、『摂州合邦辻』の玉手御前だと思います。父が耐えているとき、

 目がぎらぎらして、眉がちらちらしてくることがあります。その切迫感が出るとき、いいなあと思いますね」


・筆者が二度にわたって、菊五郎本人に、ぜひもう一度、玉手を演じてほしいと頼んだことがあるが、

 一度目の返事は

 「(先代)三津五郎さんが亡くなってから、合邦を演じられる役者が見つからないから、むずかしいね」

 二度目は平成十八年に重ねてこの話を持ち出すと、

 「そうですね。もう少ししたら、菊之助に玉手御前をやらせて、私が合邦をやろうかなと思ってね」


・政岡の役は、七代目梅幸、六代目歌右衛門が競うように舞台で勤めているが、七代目菊五郎が初めて勤めた

 とき、父梅幸はみずから教えることをせず、菊五郎の希望通り、歌右衛門に頭を下げ、指導してもらった


・七代目梅幸は、「道成寺」について、このように書き残している。

 「『ただたのめ』のあと、押戻しのない時は鐘に登って幕になるが、鐘に上がってチョンと柝が入り、幕が閉まる

 までの苦しさは尋常一様ではない。それまで踊りまくって鐘に登って静止するのだから、それこそ心臓が

 破裂しそうだ」

 「押戻しのある時はこのあと鐘に入るわけだが、それまで花子は決して鐘の下をとおってはならないという定め

 がある。鐘に入るとなかにも電気がついていて鏡があり、大急ぎで後ジテの蛇体の化粧をする。かつぎを

 かぶって出る時、かつぎを三角にして蛇の鱗を表す」


・(菊五郎)「菊之助がほめられると、うれしい半面、あれでほめられるのかっていう気持ちもあります。師と父、

 半々でしょうか。今、踊りに熱心なのも、当たり前で、それほど、女方が中心になる芝居は少ないんです。

 若いうちは踊りが好きなものですよ。踊りならば、自分で幕を下ろすことができますから。菊之助も、菊五郎を

 継ぐのであれば、いずれは立役に行くのでしょうね。でも、まだ先は長いんだから、焦ることはありません」


・寺島しのぶ、菊之助のふたりに聞き合せたところによると、菊五郎が踊りを稽古しているところを、物心ついて

 から観たことがないと口を揃えていう。寺島しのぶが物心ついたとき、菊五郎は三十代半ば。菊五郎は、

 三十代後半には、頻繁な稽古を必要としないだけの地力を身につけていたと考えられる。

(菊五郎)「それまでにしましたから。身体に染みつくほどしたから。そう、稽古はあくまで、稽古なんですよ」


・寺島しのぶに、ふだんの菊五郎はどんな人かたずねたところ、

 「うーん、いつもトランプで一人遊びをしているかな。

 父は膝が痛いんだと思います。六歳のころから、舞踊で脚を床に打ちつけるような無理を重ねているでしょう。

 体にいいわけはないんです。端から見ていても、膝をかばっているのは、わかります。でもね、父は絶対に

 痛いとはいわない。たぶん、母にも愚痴をこぼしていない。そういう人なんです」


・菊五郎に膝の調子を訊ねたところ、案の定、言葉を濁した。

 「それはまあ・・・・・・。ただ、若さでもって今まで一メートル飛び上がれていたものが、五十センチしか跳べなく

 なるのは本当のことですよ。それを芸の力でおぎなえっていうけど、難しいことなんです。舞とちがって踊りは、

 悲しいことに、跳んで跳ねてができなくなったら、そうそう醜い身体をさらすことはできない。だから、できなく

 なったら、もう止めてよし、みたいなところがあります。もちろん、跳べなくても、味で見せる踊りはあると思い

 ますが、お客さんに可哀想なんて思われたら嫌です」


・「忠臣蔵」は、歌舞伎俳優の基本中の基本である。いつどのような役がきても、演じられるのが当然。かつては

 台本にあたる書き抜きさえ渡されなかったという。


・七代目梅幸の芸談によると、「忠臣蔵」四段目で由良の助が掛け込んでからの判官の心得についての記述が

 ある。「終始息をつめて鼻で呼吸をして、腹を引っ込めていることだ。腹を出して芝居をすると緊張感が薄れる。

 だから昔はイガ栗を腹に入れて稽古をしたそうだ。(中略)父も四段目をやると疲れて何もやりたくないといって

 いた。ずっと昔は判官役者は切腹して駕籠に乗ったまま家へ帰ったそうだ。いったん切腹した判官が楽屋に

 うろうろしていると、他の役者が仇討ちがやりにくくなるというわけだ」


・忠臣蔵四段目は、「通さん場」といい、芝居茶屋から桟敷に届けられる菓子や弁当、すしもこの幕が終わるまで

 は、通さないしきたりとなっていた。現在でもこうした配慮は、歌舞伎座の案内を勤める人たちによって守られて

 いる。


・菊五郎は、いずれ演じてみたい役として、「千本桜」の渡海屋銀平、「寺子屋」の松王丸、「加賀鳶」の道玄、

 「切られ与三」の蝙蝠安をあげている