すべては1台のアコーディオンから始まりました。
近所の友達が廃校になった小学校からアコーディオンを持ってきてくれたのです。
その日、私はアコーディオンを右肩に持ち替え、左肩に持ち替えして一日中、弾きました。
翌日もその翌日も毎日弾き、そのうち、
「両手で鍵盤を弾きたい」
そう求めるようになりました。
友達がキーボードを貸してくれましたが、電磁波過敏症で体調を崩してしまいました。
それから一年かけて舅姑を説得し、ピアノを家に置いてもらえるようになりました。
以降、毎日弾いています。
去年の12月に左手首を骨折しましたが、治るまで片手で弾いていました。
ピアノのおかげで田舎でも楽しく暮らせると思うようになりました。
もう東京に戻りたいと思わなくなりました。
さて。
今月からピアノのレッスンに通うようになりました。
まずはハノンから練習しています。
あと、バッハのインベンション1番、ハイドンのセレナーデ、ショパンのワルツ64ー2を弾いています。
レッスンはとっても楽しいです。
先生がとってもすてきです。
曲の背景、指使いなどを教えてくれ、私の疑問などを全て解決してくれます。
そうして、たとえば私がワルツ64-2を弾き始めると、先生は立ち上がって歌いだします。
ピアノを弾くとは指で踊ること。
先生の歌声と一緒にワルツを踊っていると、しあわせいっぱい胸いっぱいになります。
先生の歌声には先生の人生が流れています。
「これまで生きてきた僕の人生を君に教えてあげよう!
音楽しか知らないけれど」
そう歌ってくれている気がします。
気がするだけかもしれないですけど、よく伝わってきます。
その歌声に、先生の人生に、つまりは音楽の魅力にうちのめされます。
聴いていると、弾いていると?、踊っていると??、体が熱くなります。
あまりにも美しく、波のようにすべてをさらっていってしまいます。
心ごと、すべてを持って行かれます。
そう言うわけで私の心は音楽に盗まれてしまいました。
音大に行けば良かったと後悔したりしています。
先生の前だと緊張してぼろぼろに大間違いしたりするのですが、
「よく練習していますね。練習のあとがうかがえます」
そう、ほめてくれます。
そのたびに私は、どこに「あと」があるのですが?と心の中で先生に質問するのですが。
やさしいです。
いつも笑顔です。
何を質問しても、即座に、自信満々に答えてくれます。
頼りになります先生は。
昨日のレッスン後、先生から一枚の紙をもらいました。
ピアノ発表会のお知らせでした。
来年の2月に西宮市内にある兵庫県立芸術文化センターで、とあります。
まだ習い始めたばかりですけど、希望すれば参加できるみたいです。
「そうだ! 「別れの曲」を弾こう」
質はともかく、暗譜で弾けます。
即、参加することに決めました。
そしたらピアノをくださった方や手首の骨折を治してくれたお医者さんやリハビリの先生や遠いところに住んでいる昔の友人を招待しよう。
ずっと前、結婚の約束をしながら別れてしまった恋人も。
一緒に中学校を下校した幼なじみも。
高校の時、大好きだった先輩も。
もちろん調律師さんも。
今は関西に住んでいます。
生まれ育った土地も大学生活を送った所も東京より近く、日帰りで行ける距離です。
かわいがってくれた先輩方や一緒に過ごした同級生の顔が次々に浮かびました。
そうだ、みんな、招待しよう。
と思いました。
その用紙を読んでみると、今年はムソルグスキーが2019年に生誕180年を迎えることを記念して、ムソルグスキーに関連した曲目を特集する予定と書かれていました。
ムソルグスキー知らないです。
弾けないです。
好きな曲しか練習しないし。
他の作曲家の曲じゃだめなのかな。
レッスンの前に文房具屋さんの前で似顔絵を描いてもらいました。
とってもかわいく描いてくれました。ありがとう。