アンネのばら

アンネのばら

コカリナの演奏や花や飼い猫トラのことを中心に日々の出来事のブログです。

 

終戦の日、期せずしてアンネのバラが咲いた

秋にたくさん咲かせるためには

夏は蕾を持っても咲かせないほうがいいと

でも蕾を見たら咲かせたくなっちゃいます

 

今日は、終戦の日。当時2歳だった私は、横須賀にいた

父が、横須賀の軍需工場へ行くことになり、母と3人で

母の話では、爆弾が官舎のそばに落ちた・・・父は酔っていて

防空壕にと誘ったが、死んでも良いと大の字になってたとか

今、調べてみたら下記のような記述がある

 

(昭和17年)4月18日 ドーリットル空襲で米軍機による空襲を受け、

この後、終戦まで数度の空襲を受けた(横須賀空襲)

 

母の話では、故郷北海道から塩鮭を送って貰ったので、

駅に取りに行ったその時、空襲警報が鳴って、

今まで重いと思っていてた荷物も軽々と持って逃げた…と

笑い話のように…それだけ食べるものに事欠いたと

いう事なのだろう、当然背中には私がいる

 

終戦と同時に私たち親子3人は、逃げるように石巻へ戻る

父は当時の話は一切しなかった

私には不思議に思う事がある

なぜ、まだ赤ん坊の私と母を連れて行ったのだろう

なぜ戦場に不釣り合いの家族がいる人を遠くから雇ったの?

父も母も亡くなった後に、当時の

給料明細書のようなのが見つかったので、

従兄に見せたら、結構よい給料だと・・・

その給料明細書は、終戦後は書き込まれてなかったので、

もうこりごりと一目散に帰ってきたのではないかと従兄は言う

 

従兄(父の姉の子)も3年ほど石巻に住んでいた

父が呼び寄せたのだと思う・・・

 

従兄たちは北海道へ引っ越していってから何度か石巻へ来た

この写真のとき始めて聞いた話・・・だが彼は、広島で被爆しているという

詳しく聞いておけばよかったと思うが、一昨年、札幌で亡くなった

私の・・・淡い淡い‥・初恋の人かな

本人に言ったことなかったけど・・・ね

 

 

 

庭の花たち

ジニアとひまわりは、お盆の入日に

切ってお墓に手向けてきました

今日も夕方若夫婦と一緒に行くので、

何かしら切って持って行きましょう

千日紅が…いっぱい咲いてくれてます

 

 

百日紅がようやく咲きはじめました

 

 

おたふく紫陽花が1輪・・・このままにしておきましょう

今年はいっぱい挿し木しましたから

来年は鉢でも咲いてくれるのが楽しみです

 

前回の投稿で写真がだいぶ抜けていました

確認してか投稿したつもりでしたが???